邂逅
遅くなってすみません!
――――転移三日目。
昨日の大雨が嘘のように晴れ渡った、何処までも高く、澄み通った青空が見渡せる。
「ん?」
目を覚まして上を見上げ、広がっている空に、何か違和感を覚える昴。
自分の周辺を確認すると、昨日までは確かにあった筈の壁が、瓦礫になっていることに気づく。風雨を凌いでいた拠点が崩壊していたのだ。
一度魔法によって具現化された拠点は、外部からの圧力を受けない限り破壊されない。人が安全に眠るための拠点なので、それもかなりの圧力に耐えられるのだ。
自分の置かれた異常な状況を正確に認識するために周囲を見回すと、ある一点に目が釘付けになった。
(これ、やばいかも)
昴の視線の先に有るもの、正しくは居たものは、人に死を予感、いや、死を確信させるにたる存在だった。
ググゥ、ググゥー
鼾をかきながら、拠点のそばで眠る赤黒い巨体。大きな鱗と折り畳まれた一対の翼を持つ‘‘それ’’の名は。
「ドラゴン……」
遠い昔から様々な物語で起用されてきたドラゴン。時には強大な敵として、時には頼れる仲間として、ドラゴンはその力を存分に振るってきた。
魔素が発見される以前は、完全に空想上の生物として語られてきたドラゴンであったが、西暦3500年頃に北方の大国でそれは現れた。
なんてことはない、普通の日。ある日突如現れたそれの姿形は、西洋に伝わる四足四手の竜であった。
突然空を覆ったその巨体に、人々は瞬間的に恐慌状態に陥った。
子供は泣き叫び、大人は逃げ回り、老人は置き去りにされ、追いつかれたものは次々とドラゴンの餌食となっていく。
ドラゴンが食事を済ませ、満足して帰っていった後には、崩壊した町と血溜まり、喰い残しだけが残っていたそうだ。
しかし、現在。既にそれから何百年という年月が経ち、当然対処方が生まれている。と言っても、討伐にはA級魔術士が最低10人は必要になるのだが。
結局のところ、現在の昴では到底敵わない相手であることに違いはない。
(どうやって逃げようか……)
少し考えた後、昴は自分の荷物を背負い、静かに森を歩き出した。
(風魔法が使えればこんなに慎重に移動する必要ないのに……)
中級風魔法〈無音〉。自らの周囲を風の膜で覆い、音が外に漏れるのを防ぐ魔法である。この魔法が使えれば、自分が直接出した音によって敵に見つかるのを予防できるのだ。
しかし間接的に、つまり自分にぶつかった物が他の物に当たって鳴らした音を防ぐことは出来ないので、今現在昴が立っている瓦礫の中では殆ど意味がない魔法であろう。
加えて、ドラゴンのような食物連鎖の圧倒的上位に位置する生物は獲物を音だけではなく、匂いや空気の流れで感じ取るため、なおのこと意味がない魔法だ。
(とにかく静かに……)
ピシッ
例によって例のごとく、気づかれないように動いているときに限って木の枝を踏んでしまう昴。
たぶんダメだよなぁ~、と思いつつも恐る恐るドラゴンを見遣ると、案の定目がバッチリ合ってしまった。
「ググァァァァアアア」
「うわあああ!」
暫く見つめ合った後、眠りを妨げられたドラゴンは怒りに任せて咆哮。慌てて駆け出した昴の後を追いかけ始めた。
昴は走る。腕を大きく振り、地面を蹴飛ばし、瓦礫を飛び越え、昴は走る。
額に枝打ち、草で足切り、石に躓き、走り続ける。
対する竜も障害となる木々を薙ぎ倒し、断続的に火炎を放つ。
逃げる昴に追いかける竜。息を切らし、手足が動かなくなりつつも懸命に働かせ続けた甲斐もなく、始めに開いていた距離も着実に狭まっていく。
フゥオオオオン
「攻撃が止んだ?」
フゥオオオオン
「……ん?おい。おいおい!何溜めてんだよ!」
背後に迫る熱風が突然パタリと止んだかと思えば、ドラゴンは大口開けて火球を作り始めた。
火球は既に直径2メートルを越え、人一人に使うような攻撃ではなくなっている。
ヴゴォォオオオオオンッッ!!
凄まじい轟音と共に、火球が放たれた。
火球は周囲の草木や射線上に入った魔物の命を根刮ぎ奪っていく。
背後からはパチパチッという焼ける音だけが聞こえ、断末魔の一つも聞こえないことに火球の恐ろしさを感じ、背中に冷や汗が流れた。
物を燃やし続け肥大化した炎の塊と昴の距離が1メートルを切ると、今度は皮膚が焼けるように熱くなる。
このままでは逃げ切れない。そう思った昴は最後の悪足掻きをする。
「吹き抜けろ! 〈旋風〉!!」
フューーン
土壇場で初めて発動した風魔法は本来の威力には程遠い、そよ風だった。
何を思って風魔法を試したのかはわからないが、少なくとも発動したそよ風が火球を巨大化させる手助けにしかならなかったことは言うまでもない。
「あっ、終わった」
遂に追い付かれ、身体に火球が触れようとした瞬間。
目の前が真っ黒に染まった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ぁああああ、ぅごッ!」
足元が抜けて落下し始めてから数十秒。人一人文程度の太さがある石でできた管を滑り降りて壁面から飛び出し、顔面から盛大に突っ込んだ。
顔を軽く袖で拭き、服の汚れを叩いて落とした後、辺りを見回すと自分がいるのが鍾乳洞のような場所であることに気づく。
「ここは……泉?」
落下地点から数歩先。昴の眼前には光を受けて煌めく、大きな泉が広がっていた。
水際まで歩みより水面を覗き込もうとして、はたとあることに気が付いた。
「何で明るいんだ?」
そう、明るいのだ。確かに地下深くまで落とされた筈なのに、頭上を見上げれば太陽があるのだ。
しかしそれは──眩しいことに代わりはないが──直視できる時点で太陽ではないようである。とは言うものの、やはり太陽のように明るく暖かいことに違いはない。そうすると、当てはまるのは。
「神代遺産か」
アーティファクト。日本でも少数ながら発見された、過去の遺産である。
これには様々な種類があり、現在の技術では再現不可能な逸品で、当然国宝に指定されている。
夢のような機能と共にあまりにも強大な力を秘めているために、常人には制御できず、神が地上に降りて人間や動物と共存していたとされる神の時代の遺物だと考えられている。
日本で発見されたアーティファクトは、‘‘固定の砂時計’’・‘‘真実の踏み絵’’・‘‘分解の小槌’’の3つだ。
‘‘固定の砂時計’’は、中に入っている砂が落ちきるまでの3分間、時を止めることができる。
‘‘真実の踏み絵’’は、対象者が放った言葉が嘘か真かを知ることができる。真なら踏み絵は光り、嘘なら光らない。スパイの炙り出しや重犯罪の冤罪予防など、かなり頻繁に使用されるアーティファクトだ。
‘‘分解の小槌’’は叩いたものを一瞬にして不可視レベルまで分解する、日本で発見されたアーティファクトの中で最も危険な品である。運ぶのにも細心の注意が必要なので、常に国の保管庫で厳重に保管されている。
以上の3つのように、アーティファクトの機能にこれといった共通点はない。
そこで、昴は頭上の疑似太陽もアーティファクトではないかと当たりをつけたのだ。
気を取り直して水を掬おうとすると。
「ちょっと何してんの!?」
「……は?」
何処からともなく、昴の行為を制止させる声が聞こえてきた。
ずっと自分一人しか居ないと思っていたせいで、突然の声に呆けた声を上げてしまう昴。
顔を上げて前を見ると、そこには人らしきものがいた。
「えっ、誰?」
「私? 私はフェア。フェア=フローリデ。この泉の管理者にして水の精霊よ」
腰の辺りまで伸ばした透き通るような水色の髪に、水晶のように清らかな瞳。加えて、慎ましいながらも柔らかそうな胸な胸を持つ美少女である。ひとつ残念なところがあるとしたら、その大きさだろうか。とても、とても小さいのだ。身長約20センチメートル。背中から伸ばした昆虫のような一対の羽をはためかせる妖精が、そこにはいた。
「管理者?」
「そう、管理者。あなたの知っての通り、これは‘‘生命の泉’’よ。あなたのようにこれを狙ってくる人間や魔物から泉を守るために精霊界から派遣されてきたの」
地下深くにあるというだけでも普通の人が入るのは困難であるのに、さらに管理者までいるという、保護に対する力の入れ様。どうやらこの泉は本当に貴重な物らしい。ただ――――
「俺はこの泉を狙った訳じゃないし、‘‘生命の泉’’とか名前も聞いたこと無いぞ」
「はあ? じゃあ何で‘‘魔の森’’に入ったの? こんな危険な場所に」
泉の管理者フェアの口振りから察するに、昴が転移された場所は‘‘魔の森’’といい、ここを訪れる人間は例外無く‘‘生命の泉’’を目指してやってきているらしい。
「いや、ちょっとした手違いで迷い混んじゃってね……それより、‘‘生命の泉’’って」
「手違い? ……まあ、いいわ。この泉はね――」
フェアの話によると、‘‘生命の泉’’と呼ばれるこの泉は、飲めば忽ち万病が治り、掛ければ息を吹き返す(と言われているが、正確には瀕死状態でも生きていなければ効かない)。とにかくとんでもない水なのだそうだ。
この泉、一度飲めばまた飲みたくなる強い中毒性を持つ。以前、人間と仲が良くなった精霊がお土産代わりに‘‘水’’を渡したところ、それの効果を知った人間同士で殺し合いの奪い合いを始め、国家間で戦争が勃発。多くの人々が死んでしまう結果に繋がった。それ以降この泉に管理者を置き、侵入者を排除しているのだそうだ。
「で、偶然俺はここに入れたわけだ」
「ん? 偶然じゃないわよ?」
「は?」
「は?って、私が助けてあげたんでしょうが」
ドラゴンに襲われているときに間一髪、フェアの管理者権限によって創られた道によって助けられたらしい。
「でも、どうしてそんな簡単にここに通してくれたんだ?」
「何となく、暇だったから……?」
「えっ、てことは俺の命はフェアの気紛れに委ねられていたってことかよ……」
話を聞くと、フェアはこの見た目に似合わず、1000歳(人間でいう高校生くらいの容姿)を越えているそうだ。精霊界に住む精霊達は500歳(中学生くらいの容姿)にそれぞれ役職が精霊王より与えられ、地上に降りてくる。特別な場合を除いて、基本的に一つの場所に一人が派遣される。また、一度派遣されるとよっぽどの理由が無い限りその場を離れる事も許されないのだ。
つまりフェアは泉だけしかないこの鍾乳洞にたった一人、500年もの時間を過ごしていたということになる。こんな途方もない時間を閉鎖空間に一人閉じ込められていて、暇だった、の一言で済ませられる精霊の精神力は推して知るべしだ。
「そうか。それで、出口はどこだ?」
「そこを出て、暫くすれば出られるわ」
「ありがとう。じゃっ!」
「うん、じゃあね~……って、ちょっと待ちなさい!」
自然な流れでここを立ち去ろうと思ったんだけど無理だったか、と内心で命の恩人に舌打ちを打つ、とんだ礼儀知らずな昴。フェアの置かれる状況を頭では理解しながらも、気紛れで助けられたことに釈然とせず、こんな態度をとってしまう。
「じゃあ、何をすればいいんだ? 俺は何も持ってないぞ?」
「そうね……私を連れてって」
「よし、わかった。行くぞ……って、はあ!? ここを離れたらいけないんじゃないのか?」
いきなり泉を離れての昴への同行を請うフェア。その願いに当然の疑問を昴がぶつけると、フェアはにやりと笑い――
「‘‘生命の泉’’の管理者フェア=フローリデの名の元に管理者権限を行使! ‘‘生命の泉’’を完全封鎖!! ……早く出るわよ!」
一度、洞窟が大きく脈動する。
フェアに追い立てられて泉のある広い空間から通路らしき少し狭い空間へと移動すると。
ゴゴゴゴゴゴッ
背後で泉の部屋への道が狭まっていき、穴が完璧に塞がった。
「いや……え? こんな普通に離れていいの?」
「……ほら、行きましょ」
まともな返答を返さないところを見て、もしかしたら今までにも同じことをコイツは繰り返しているのでは?という疑念が昴の中で大きくなりながらも、訝しげな眼差しを向けるだけで黙ってフェアの後ろに着いて歩いていく。
――――泉の部屋を後にしてから30分後。
部屋を出てから幾多に分かれた道を、壁面の鉱石が放つ淡い光を頼りに、薄暗い道を進み続けているが、石でできた通路がひたすら延びているだけで全く景色に変化が表れない。
「道合ってんのか?」
「……ん?……あ、ああ、道ね。合ってるわよ……たぶん……」
「何だよ、たぶんって。……もしかして道知らないんじゃないのか?」
「……」
「おい!……はぁ、道理で同じ道を通っている気がしたんだ」
やっぱりそうか、と納得すると同時に、ちゃんと泉から離れずにずっと守っていたんだなぁ、とフェアを見直す昴。
気持ちを切り替え、フェアを連れ立ってさっきまでとは別の道に進む。すると――
「あっという間に扉が……」
昴が先頭で歩き始めてから数分後には、重く分厚い、巨大な鉄扉の前に辿り着いた。
思いっきり力を込めて押すと、ゆっくりと扉が開き、人がギリギリ通れるくらいの隙間が生まれる。
いつの間にか昴の肩に我が物顔で座るフェアと一緒に扉を通り抜けると。
「ウォォオオオオオン!!」
人ならざる者の強烈な雄叫びが地面を揺るがした。
声の出所を見て一気に血の気が引いて顔が青ざめ、身体は小刻みに震え出す。
恐怖を振り払うために昴は叫ぶ。
「何でこんなところにコイツが居るんだよぉおおお!?」
「だって、ここ迷宮よ?」
何言ってるのこの人?頭大丈夫?みたいな顔でとんでもないことをさも当然のように言い放つフェア。
驚き焦る昴の前にはこの迷宮の番人、牛人間が立ち塞がっていた。