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異世界と神風の指揮者《ディリジオール》  作者: 神嵜将太郎
第一章
11/13

幕間 虚無の聖女

 一点の曇りもない澄み渡った青空はどこまでも広く、爽やかな風が若葉の香りを載せて吹き抜ける。青々とした葉を一杯に広げて風に揺られる木々は、さらさらと耳に心地よい音楽を奏でている。空気を胸一杯に吸い込めば、体の隅々まで浄化されていくようだ。

 夏の到来に備えるこの季節。人々を眠りへと誘う陽気に大人は欠伸を噛み殺し、子供は素直に身を任せる。


 すーっすーっと安らかな寝息が聞こえてくるこの場所は、アグレゲート王国隣に位置する大国、レリジオ聖教国末端の都市‘‘ヴァロ’’にある教会。

 一人の少女の周囲では何人もの子供たちが横になり、静かに昼寝をしていた。


 少女の名前はカノン。カノン・セインティアだ。


 純白の修道服に身を包み青みを帯びた白の髪を腰まで伸ばした彼女は、教会のステンドグラスから射し込む暖かな光に映し出され、その可愛らしくも美しい容姿と相まって、聖女を彷彿とさせる。


 それもそのはず、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、自らの膝に頭を載せて寝息をたてる幼子の髪を静かに撫でるこの少女は、紛れもない聖女であった。


「んー……はふぁ」

「目が覚めたの?」

「ぅん……おはよう、おねえちゃん……」

「うん、おはよう」


 ‘‘聖女の家系’’セインティア家の一人娘、八代目聖女であるカノン・セインティアは、現在13歳。日本では考えられないほど大人びた彼女ではあるが、2年後に成人を控えたただの少女だ。まぁ、その頭には「美」と付くが。


「おねえちゃん」

「どうしたの?」

「一緒にあそぼっ!」

「ふふっ 起きたばかりなのに元気ね ええ、一緒に遊びましょう」

「うん!」


 セインティアの名を持つ聖女は代々、神の能力の一部が行使できるという【神力】と呼ばれる強大な力を持っている。彼女ら聖女達が行使できた力は一人一人異なるものであったが、そのいづれもが人を外敵から護り、傷を癒し、土地に豊穣をもたらすものだった。


 聖女は常人とは隔絶したその圧倒的な力の行使によって人々の安寧を守り、国へ多大なる貢献をした。彼女達が一人の例外もなく持っていた他愛の心でもってこの国に住む人々を自らの限界まで救い、時には他国の民でさえも救いの手を差し伸べた。

 その活動の間にはいつしかそれぞれの能力からとった二つ名でその存在が国中に知れ渡っていた。


 戦争によって際限無く殺し合いが続き人同士がひたすらに傷つけ合うだけだった場所で、ただ一人の力で敵味方関係なく万の兵を癒し、その過剰なまでの治癒能力で戦闘意思を削いだ揚げ句、そのまま戦争を終結にまで至らしめた女性。


――初代‘‘万癒の聖女’’シルバ・セインティア


 魔物の最強の一角である龍種の無数の大群が国に押し寄せ、誰もが言葉を無くし希望を失った中、一人きりでその矢面に立ち、その力で民を護りきった少女。


――二代目‘‘聖壁の聖女’’スベル・セインティア


 日照りに次ぐ日照りで土地が枯れ果て、人々が飢えに苦しみ喉の渇きに喘ぐ中、その力で大地を甦らせ、潤いをもたらした婦人。


――三代目‘‘豊穣の聖女’’フェルト・セインティア


 戦争の影響によって大量発生し、国民に死を振り撒き続けていたアンデッドとそれらが居着く穢れた土地を、他の聖職者達の先頭に立って逸早く浄化に回り、多くの人々を救済した女人。


――四代目‘‘修祓の聖女’’シャス・セインティア


 不治の病と怖れられる病が大流行し、発症した者が次々と息絶えていく地獄にいつ自分が落ちるかわからずに人々が恐怖する中、その病に効く薬の原料をその力によって世界各地の秘境から持ち帰り、人の命を繋いだ女流。


――五代目‘‘探求の聖女’’クエス・セインティア


 国民が生活用水として用いる水が流れる川の上流にある湖に毒素が混ざり込み、人々が体に異常を来たしたり、奇形の赤子が誕生したりと問題が起き続けたとき、自らが与えられた力を行使して全ての水を完全に浄化し、被害者を皆無に帰した夫人。


――六代目‘‘斎戒の聖女’’オルカ・セインティア


 要人の暗殺が立て続けに起こり、国家の存亡の危機に陥ったとき、暗殺者として送られていた人に化けた人語を解する魔物の正体をその力で見抜き、終止符を打った細君。


――七代目‘‘神眼の聖女’’アイン・セインティア


 時代も年齢も立場も異なる【神力】を持つ聖女達は、全員がそれぞれの力で人々の窮地を救い、後に偉業と呼ばれることを成し遂げた。

 全く性質の違う強力な能力でありながら、全員が決して人を傷つけるような力ではなく、とにかく人を癒し守る能力を持っている。


 しかし、今代。八代目聖女、カノン・セインティアだけは違った。


「じゃあ、何しようか?」

「うーんとね……『御免くださーい!』」

「ん? どなただろう……はーい、今行きます!」

「お客さん?」

「そうみたい ごめんね、ちょっと行ってくる」

「うんっ! 待ってる!」


 巡礼者を除いて殆ど訪れてくる人のいない、辺境の地に立地する教会に足を踏み入れた男が呼ぶ声がして、子供との遊戯を一旦中止して玄関口へと向かうカノン。


 孤児院を兼ねたこの教会はできるだけ多くの孤児達を受け入れられるようにかなり大きな建物となっているが、代わりに内装は他所と比較して非常に物寂しく、質素になっている。

 調度品の類いはほぼ皆無であり、あるとしても信奉する神の像などといった教会として最低限の物のみである。


 その妙にすっきりした少し長めの廊下を速足であるき、訪問者のところへと辿り着いた。


「どちら様ですか?」


 教会を訪れてきた男はこの辺では目にしない仕立ての良いスーツを身に付けており、背後にはその格好に身合った豪華な馬車を停めており、彼が上流階級、所謂貴族の地位にいることを確信させた。


「はじめまして聖女様 レリジオ聖教国侯爵ベン・コウアルダイスと申します」

「侯爵様……?」


 侯爵と名乗る男にカノンは、自身の男に対する警戒レベルを一気に上げた上で訝しげな表情を向ける。


 カノンが警戒する理由は3つ。


 1つ目は、男が侯爵である言われて後ろの馬車及び彼の胸元を確認したところ、間違いなくコウアルダイス侯爵の家紋であった点だ。

 侯爵は国で第二の地位を持つ。聖女もこれまでの功績によって明確な地位は無いにしても多少発言力をもつ存在ではあるが、喩えその聖女が相手だからと言って自ら国の末端に位置する辺境を訪れることなど本来あり得ないのだ。

 加えて、この男は馬車の御者を除いてただ一人の従者も連れていないのだ。護衛する兵士も身の回りの世話をするメイドもだ。注意深く周辺を見ても誰かが居るようには見えない。こんなに高貴な人物がほぼ身一つで辺境に赴くなど前代未聞である。


 2つ目は、この男がコウアルダイス侯爵であるということだ。

 このコウアルダイスには常に悪い噂が付き纏い、跡が絶たない。その内容は詐欺であったり誘拐であったり暗殺稼業を担っているなどと多岐にわたる。


 3つ目はそもそもこんなところを訪れてくる理由が見当たらないことだ。もし理由があるとしたらやはり聖女であるカノンが目的であろうが。


「それで、どういったご用件で?」

「あんまり怖い顔は為さらないでください 美しいご尊顔が勿体無いですぞ」


 そう言って肩を竦めるベン・コウアルダイス侯爵。


「お世辞は結構です……で?」

「はぁ~……では、単刀直入に申しましょう 聖女様、貴女様のお力を御借りしたい」

「わたしの力ですか……それは私自身の力ですか? それとも【神力】で?」


 わかっていながらも念のために訊ねてみるカノン。


「それは勿論、両方で御座います」

「そう言って我らが信奉する神の力を利用しようと画策しているのでしょう? そもそもわたしの【神力】はまだ発現しておりません もうお引き取りください」


 そう言って踵を返すカノン。取りつく島もない様子のカノンに、侯爵は慌てた様子を見せながら回り込んで彼女の道を塞いだ。


「お待ちください! これは貴女様にも利のある話ですよ!」

「わたしに利ですか……」

「はい! 例えば――」


 立ち止まったカノンを見てこれは好機だと思い、地位や生活の保証、活動可能範囲の拡大などカノンに利があるということを矢継ぎ早に言う男。しかし、対するカノンは男が何かを言う度に彼に向ける視線の温度を下げていく。とにかくカノンを説得して自陣営に引き入れて自らの利益を得ようと考え、説得を続けながらもその後の未来を想像して口元が弛むのを禁じ得ない彼は気づかない。そんな未来など永遠に訪れないと言うのに。


「――などです とにかく、聖女様にも利益はあれど損など有りはしませぬぞっ!」


 力強く言い放って言葉を切った。


「それで以上ですか? では、お引き取りください」

「なっ⁉」


 これで聖女も自陣営が独占できるという根拠の無い絶対の自信がすげなく打ち払われて、驚愕の声を上げるコウアルダイス侯爵。


「……のだ」

「ん?」

「このわたしがっ! ベン・コウアルダイス侯爵であるこのわたしが! 自ら足を運んでやったというのに何なのだその態度は! この小娘がああっ!」


 自分勝手な性格でも有名である男は、あっさりと激昂して腕を振り上げ、そのままカノンの顔に振り下ろす。


「ぅぐっ!」


 【神力】も今だ得ておらず、特別な力の無い正真正銘非力なただの少女は、それを避けることも叶わず、男の拳がカノンの顔面を強かに打ち据えた。


「もうよいわ! ダン!クルル! こいつを捕らえろ!」

「「はっ!」」


 先程までその気配を完全に消して身を潜めていた、侯爵私飼の暗部である2人の男がその姿を現し、コウアルダイス侯爵の命に従って迅速に行動する。

 数瞬の後にはカノンは目隠しと猿轡をされた状態で後ろ手に縛られていた。侯爵が直接命令を下し動かすこの2人は双方ともかなりの手練れである。


「おねえちゃん、どうしたの~……?」

「ん⁉ んん~~!!」

「お、おねえちゃんっ!?」


 つい先程一緒に遊ぼうとしていた女児が目を擦りながら歩いてきて、現在の異常な状況を目の当たりにし、目を見開いて切迫した声を上げる。


「おじちゃん! おねえちゃんを返してっ!」


 そう言って侯爵の足に取り縋る幼子。


「何だこのガキは! 汚い手で触るなっ!」

「きゃっ!」


 男はその子供を蹴飛ばし、振り払う。まだまだ軽いその体は容易く空中に投げ出され、体を石床に強く打ち付けた。


「ううぅぅぅ痛いよおぉぉ……うわぁあん!」


 小さな体では到底受け入れられなかった衝撃に恐らく骨も折れているだろう。その幼女は大きな声を上げて泣き出してしまった。


「ええい、うるさいわ! 黙れ! 静かにしろ!!」


 既に身体中が傷だらけで動くこともできないその子供を男は何度も何度も蹴りつける。


 目も口も手も塞がれたカノンは、その子の姿を見て労ることも痛みを押さえるための言葉を掛けることも傷の治療を施すこともできないまま、男の足が少女を捉える鈍い音と次第に小さくなっていく彼女の声を聞き続けることしかできない。


「ふぅ~、やっとくたばったか」


 心の優しい、孤児院でも人気のあった可愛らしい女の子は、その短い人生に実に呆気なく幕を降ろした。


「カノン姉⁉」

「カノンお姉ちゃん!」

「おねーちゃん!」


 そしてこれだけ騒げば、寝ていた他の子供達も異変を感じ、続々と集まってきてしまうのは必然であった。


「~~~~!」


 声もまともに上げられず、子供達を逃がすこともできない。


「よくもお姉ちゃんとアンナを!」

「カノンちゃんを返せ!」

「そうだよ、返してっ!」

「返せ! 返せ!」


 カノンの切実な願いは誰にも届くこと無く、子供達も逃げる様子がない。


「ああっ! どいつもこいつも、うるさいっ! 黙れ黙れ黙れっっ!! ダン!クルル! 全員纏めて殺せ! 殺し尽くせぇえええ!!」

「「はっ、仰せのままに!」」


 そして、殺戮が始まった。







×××








 音が耳に残っています。


 声が、怨嗟が、嘆きが、わたしの耳に残っています。


 大好きな子供達の体を蹴り跳ばす鈍い音。

 大好きな子供達を切り裂く音。

 大好きな子供達を燃やす炎の音。

 大好きな子供達を突き刺す音。

 大好きな子供達が流す血の音。

 大好きな子供達が叫ぶ声。

 大好きな子供達が――――


 何も出来ないわたしは全てを失いました。


 何もかもを失いました。


 大切なものを。

 愛するものを。

 掛け替えのないものを。

 無くしてはいけないものを。


 全部を、失いました。


 生きる目標を。

 目的を。

 理由を。

 意味を。


 失いました。全て全て、消えて無くなりました。


 なんか、もう、いいです。


 もう何もないんだから。


 全部、全部、無くなってしまったんだから。


 いっそのこと、全て。













――――『キエテシマエ』











×××





 初代聖女は全ての人に癒しを与えたいと願った。

 二代目聖女は全ての人を護りたいと願った。

 三代目聖女は全ての人を飢餓から解放したいと願った。

 四代目聖女は全ての死者を天に送り届けたいと願った。

 五代目聖女は全ての病に苦しむ人を助けたいと願った。

 六代目聖女は全ての人の未来を繋げたいと願った。

 七代目聖女は全ての人の恐怖を消し去りたいと願った。


 神は心からのその願いを聞き入れ、力を【神力】を貸し与えた。


 そしてまた、カノン・セインティアの願いも聞き入れられ、神は彼女に【神力】を貸し与えた。


 そして、

 彼女が愛した場所を。

 彼女が愛した者達を。

 彼女を愛した者達を。


 また、

 彼女らの未来、

 彼女らの人生、

 彼女らの命を、奪った者達を。


 この世から存在ごと消し去った。


 そうして――――






 今から3年前。八代目‘‘虚無の聖女’’が誕生した。

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