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2.鬼頭家に御宅訪問する理由(4)

 空になった器を必死に舐めているチャコをつつくと、ようやく何も無いことに気付いたらしい。口の周りをぺろぺろと舐めながら、私を見上げた。そんな顔しても、もう何も出てきませんよ!

 器を回収して、軽く水で洗う。後ほど他の食器と一緒に洗うようなので、そのまま台所に置いておく。

 ようやく与えられた使命を完遂した私は、ふうう、と息を長く吐くと、チャコのところへ戻った。

「じゃあチャコ、課長もすぐ戻ってくると思う、──か、ら……?」

 私が言い終えるよりも早く、彼女は私の指を舐め始めた。行っちゃやだ、と言わんばかりの行動に、うぐ、と呻く。


 指を引く。

 ててて、と追いついてきて、また舐める。

 もう一度、指を引く。

 ててててて。やっぱりついてくる。


「なにこれ可愛い」

 実害(帰れない!)がついて回る難問だ。ぬう、と唸る。

 しかし、必死で指をぺろぺろしてくる仔犬を置いて帰るなど、無理だ。痛んだ良心から膿が発生して、大変なことになるだろう。


「鬼頭課長が帰ってくるまでだよ」

 言い聞かせるように言えば、またキャンだかアンだか鳴いた。嬉しそうである。やっぱりこの子、天才かも。自分の愛らしさを熟知してますね。

 なんとなくソファに腰掛けるのは気が引けて、ソファを背凭れにする形で、床に座り込む。尻尾をぱたぱた振りながら、とったんとったん、と音が出ていそうな危うい足取りでチャコが追い掛けてくる。

「天使め……」

 びーん、と両頬を引っ張ってみる。それすらも“構ってくれている”という認識なのか、幸せそうな顔だ。

 しばらく適当に構ったり、一人遊びを見守ったりしていると、くあり、と大きく欠伸をした。どうやら遊び過ぎて眠たくなってきたらしい。寝静まったところでこっそり帰ろう。

「……お?」

 覚束ない足取りで私の元までやってきたチャコは膝の上に乗ってしばらく足踏みをすると、ごろんと転がった。

 え、と漏れる声。驚いて身動ぎすると、薄目を開けて私を見上げる。「あ、ごめんね」反射的に謝ってから、いやいやそうじゃないよ、と項垂れる。帰れないじゃないか!

 しまいには、すー、と穏やかな寝息が聞こえてきた。

 私の膝の上に大変な爆弾が設置されたような気分だった。



 ──そろそろ、足の感覚が無い。



 チャコが退いた瞬間に、尋常ではないくらい痺れるのだろうなあ、と思わず遠い目をしてしまう。

「鬼頭課長〜、早く帰って来てくださいよおおお」

 ひーん、と泣き言を漏らしていたら、玄関の方から物音がした。静かな足音。リビングの扉が開く。


「まだいたのか」

「帰ろうとはしたんですよ……!」


 鬼頭課長の視線が、私の顔から、下方へ──つまりチャコの座る膝に移った。眼差しに潜んでいた“疑問”が、一気に“同情”へと差し替えられる。

「俺が出掛ける前にもやられた」

「え、まさかの確信犯ですか、これ」

 本当に天才なのではなかろうか、この子。性格悪く育つぞ。『昔はあんなに可愛かったのに』と、よく世のお母様がたは仰るが、まさにアレになるぞ。……ああでもそう言いつつも、成長しても可愛いんだろうなあ、絶対。


「チャコ、こら、ケージ戻るぞ」

 鬼頭課長が慣れた手つきでチャコを持ち上げると、寝惚け眼の彼女はとろんとした目を鬼頭課長に向けた。

 きゅん、とか細く一声(ひとこえ)。身体はだらーんとしているのに、尻尾だけぱたぱたと揺れている。()い奴め。


 足を崩した瞬間、一気に血が巡っていくのが分かった。これはマズイぞ、と顔が引き攣る。その警告を嘲笑うように、足がジーンと痺れ始めた。

 床に両手をついたまま動かない私に、鬼頭課長は悠々とした口調で「どうした、足でも痺れたか」と訊く。分かっているのなら口にしないでよ、と言いたい。当然言えない。

「そのとーりでございます……」

 せめてもの抵抗として、慇懃無礼な口を利いておいた。けっ。


 顔を背けた私が気に食わなかったのかなんなのか、(おもむろ)に近寄ってきた鬼頭課長は、人と足をワシッと掴んだ。

「みゃあああああ!?」

 ぞわわっ、とした痺れが足から駆け上ってくる。その感覚に、思わずところどころ濁音混じりの悲鳴を上げた。

 しばらく耐えると、ようやく波が引いていく。ひいい、と小さく悲鳴を漏らしながら、鬼頭課長を睨み付けた。


「せ、せくはら! せくはらです!」


 これは確実に訴えることができる!

 妙齢の女性の足に触るなど! 言語道断だ!

 いつになく本気でキレる私に、鬼頭課長はしかし、顔色ひとつ変えていない。事の重大さを分かっていないようだ。


「悪い。面白い反応が見れそうだと思ったら、ついな」

「そんな悪びれもしない言葉で許される行為ではありません! 否! 悪いと思ったところで、取り返しのつかないことをしたんですよ、課長は!」


 未だにじんじんしている足を摩ることすらできずに、涙目で主張する。

 大体、痺れていてもいなくても、無断で足を触るなど、あってはならぬ行為だ。足には女の子の秘密が──いろいろあるのだ! そう、いろいろ!


 部下の機嫌がいつまで経っても直らないことに気付いた鬼頭課長は、ご機嫌取りのつもりなのか、「飯食ってくか?」と台所を指差した。

 ふん、そんなもので釣られる程、私は安い女では──あ、でも昨日のオムライス、美味しかったな。


 どうする、と訊ねる鬼頭課長。

 まあほらここで意地を張って相手の面子(めんつ)を潰すのも大人気(おとなげ)ないから。うん。


 決してご飯に釣られた訳ではない。




半・実話。

ふれあいランド的なところで座っていると、小型わんこがんしょんしょっと膝上によじ登って来て「なにこれ可愛い天使か!」と悶えている内に、わんこ、眠りに……。

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