2.鬼頭家に御宅訪問する理由(2)
……で。
本当に来てしまいました、鬼頭課長のマンション。
うわー高いなー。家賃もそれなりにしそうだなー。と思いながら見上げていたら、さっさと来いと命じられた。その顔に、先程までの動揺は無い。復活早いよ。
「結局、なんなんですか……」
「……中で話す」
なるべく入りたくないんだけどな、と思いながらも、仕方なくお邪魔する。
几帳面な鬼頭課長らしい、無駄な物の少ない玄関。靴を揃えると、彼の後ろに続く。
リビングに続いているらしいドアを潜ると、真っ先に飛び込んできたのは、白いケージだった。中にいた茶色いもふもふが、課長を見つけてぴょこぴょこと跳ねている。
きゅうきゅうと鳴いている様子は、可愛くて仕方がなくて。
(こりゃあ、あんなあっまい顔にもなっちゃうよなー)
なあんて、思ったり。
「飯、準備する。その辺りでテキトーに待ってろ。そいつと遊んでても良い」
ご飯。鬼頭課長が、準備するのか。
先輩にソレをさせる状況に、内心で悲鳴を上げながらも、こくこく頷く。……なんだかんだ、拉致されてきた身である。お言葉に甘え、わんこを愛でていよう。
ケージの鍵を開けると、わんこは見慣れない人間に若干の警戒を見せながらも、とてとてと近寄ってきた。なにこれ可愛い。
しばらくの間、私を観察した後に、“こいつは警戒するに値しない雑魚”だと判定されたのか、あるいは単純に甘えたいお年頃なのか、よじりよじりと膝に乗ろうとする。が、失敗して後ろにこてんと転ぶ。リトライ。リトライ。リトライ。……なにこれ可愛い。
一向に成功に漕ぎ着けない彼、あるいは彼女をよいしょと持ち上げる。……“あれ”は無いから、女の子のようだ。
ぱたぱたと尻尾を震わせている。抱っこすれば、大人しく擦り寄ってきた。良い子だ。しばらくすると私にも慣れてきたのか、腕の中でうとうとし始めた。
「か、可愛い……! これは殺人的な可愛さだ」
「大袈裟な」
飼い主の呆れたような物言いに、ムッとする。貴方はこの愛らしさが分からないというのか!……いや、分かっているか。分かっているから、真っ先にやられてんだ。違いない。
「名前、なんていうんですか?」
「チャコ」
「……ああ。茶色い女の子だからですか」
まさかのネーミングセンスに、脱帽です。おかしいな、仕事の上では、もっと良いアイデア出しているのに。
半眼になった私を見た鬼頭課長の皺が「なんか文句あっか」と三本になりかけたので、私は慌てて「わあ、良い名前ですね!」と取り繕った。なにしろ私、長い物には巻かれるタイプなのです。誇れない!
「チャコ、ほら飯」
鬼頭課長が声を掛けると、チャコはパチリと目を開けて、私の時よりもはっきりと尻尾を振り始めた。ご飯が嬉しいというよりも、ご主人様が大好きなのだろう。
出されたのは、ふやかしたドックフードのようだった。記憶にある硬いドックフードとは違ってドロドロなので、驚いてしまう。
私の腕から降りて、まだ下手くそな感じで、けれど幸せそうにはぐはぐとご飯を食べている様子を、二人並んで、じー、と眺めた。飽きないわ、これ。
最後までしっかりと食べたことを確認して、鬼頭課長が皿を取り上げる。まだ欲しい、と物欲しげな顔を彼に向けたチャコ。もう無いよ、と答えるように、鬼頭課長が小さな頭をぽんぽんと撫でた。
「柚月」
唐突に名を呼ばれる。
キッチン近くに置いてある机を指差される。夕飯が準備できた、ということらしい。
チャコはどうするのだろう。鬼頭課長は彼女の頭を撫でると、そのまま離れて行く。しばらく外で遊ばせるようだ。
席に着くと、目の前にコトリと皿が置かれた。美味しそうなオムライス。ふんわり丸い卵に、ケチャップが飾られている。美味しそう!
机の中央にはサラダ。小皿が手渡される。自分で適量を取れ、ということらしい。
いいんですか? 遠慮なく食べますよ?
(美味しい。あったかい。幸せ)
むにゅむにゅと口を動かしながら食べていると、前の席に座った鬼頭課長が顔を背けながら震えている。なに?
奴は決して私と視線を合わせないまま、小声で「お前、チャコみたいだな」と宣う。
「なっ……」
わんこに例えられた!?
(っていうか、そう思うなら私にも優しさをプリーズ!)
がるがると威嚇したが、効果は無かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「せめて片付けくらいは」
手伝います、と手を挙げるが、素っ気なく断られる。しばらく粘ったが、最終的に「これは契約料だ」と言われた。
……契約?
はて、契約なんて、した記憶が無いのですが。何の契約?
一気に雲行きが怪しくなってきた。
実は悪徳商法だったのか?
心臓が危機を感知して、バクバクいっている。ちょっと遅い気もするけど。今更だ。
警戒心を強めた私を見て、鬼頭課長はハァとため息を吐いた。
「ちょっとそっちで待ってろ。話がある」
「話、ですか……」
「……恐喝とかじゃないからな?」
「そうですか!」
顔が輝いたのが自分でも分かった。
「お前の中の俺がどういう人間なのか、一度よーく確かめたいもんだ」
真顔で言い捨てて去って行った鬼頭課長に、輝きはすぐに儚くなったけれど。
よーく確かめようが、テキトーに確かめようが、多分本人に知られたら怒られる材料は取り揃っていると思います。
ひー、と隅で震えていたら、戻ってきた鬼頭課長に「なんでそんなところにいるんだ」と呆れられた。貴方の所為ですよ!
「で」
「で?」
「……」
「……」
居住まいを正して続きを待つ。
が、鬼頭課長は一向に口を開かない。
無言のまま向き合う私たちの間を、チャコがとてとてと歩いている。
やめて、不思議そうに見上げないで。可愛すぎて構いたくなるから。
それより遊ぼうよー、と誘惑してくるチャコに視線が釘付けになっていると、「柚月」と重々しく名前を呼ばれた。
「なんでしょう」
視線をチャコから外さないまま返す。
「俺は、……明日、出張なんだ、が」
「え? あー、そういえば」
言われてみれば、そんな予定だった気もする。金曜日、直帰。そんな文字を見たような、見なかったような。
しかしそれなら、明日の朝も家を出る時間が早いだろう。負担にならないように早めに帰らなければ、と鞄を引き寄せると、「待て!」と止められた。普段の癖で、ビクッと震えて固まる。
「話というのは……その、こいつの世話、を、頼みたいってことでな……」
「は、」
はああああ?
もふもふ妄想、もとい想像してたらヨダレが(危険)