1.鬼頭課長の眉間の皺を消す方法(2)
そもそも! 元はといえば、鬼頭課長の所為だ。
いつもなら普通に耐えられるものさえも、あのギャップを見た後だときつい。
あんな優しい顔ができるのに、自分に向けられるのはコレ。いやまあ、仔犬の愛らしさに張れる自信はありませんが!
ギャップ萌えならぬ、ギャップ斬り。
油断しているところをざっくりやられるのだ。憐れなり。
特に意味も無い脳内会話を繰り広げながら、自販機の前へ──
「げっ」
「……ご挨拶だな、柚月」
うわー、二本が三本になったー。
私の視線が眉間に向くと、鬼頭課長はハァとため息をひとつ零し、そこを解すように指を当てた。
あははーお疲れ様でーす、と今更ながらの挨拶をして、ガコン、ガコンと紙パックのいちごミルクを購入。
「そんな甘ったるいの、二本も飲むのか? そのうち糖尿病になるぞ」
「女の子に対してひどいです! ていうか違いますー、一本は雉島さんのですからー」
つーんと顔を背けながら、ブスッとストローを突き刺す。一口飲んで、あっま、と呟けば、何を当たり前な、と呆れられた。
「提案書、定時ギリギリに持ってくるのは止めろよ? 今日は俺、用事あるからすぐ帰るぞ」
ちゅるるー、といちごミルクを吸いながら、時計を見る。まあ大丈夫だろう。
「承知しました。用事って、彼女さんとデートですか?」
「違う」
間髪入れぬ返答。課長、この類いの話題を振られるのは嫌いだったな、と遅れて思い出す。眉間の皺はまた二本に戻っていたものの、いつ三本になることか! 何か早急に別の話題を!
「あ、じゃ、じゃあペットショップとかですか!」
焦りを隠すために愛想笑いを浮かべた私は、しかし自分の発言に、あれ、と首を傾げた。この話題、私にとってダウトでは。
「──は?」
「え? ……あ」
居た堪れない沈黙。
先に回復した私は、ぎこちなく身体を動かし、撤退を試みた。
「あー、えー、……あ、いっけなぁい。これ雉島さんに届けなくちゃー」
「……待て」
ワンテンポ遅れて静止の声が聞こえた気がしたが、おそらく気のせいだ。そうに違いない。
一瞬身体が固まったものの、またすぐに動き始めた私に、鬼頭課長は最終手段を出してきた。
「──柚月!」
「はひっ!」
名前呼び怒号。……悲しきかな、飼い慣らされた身としては、つい従ってしまうというか。もはや条件反射というか。
反射的に返事をした私は、無視して走り去ることもできず、しかし振り向くことも恐ろしく、しばし固まる。
「柚月、お前、何を見た?」
「なっ、何も! 何も見ておりませんとも!」
私は無罪です! 主張してみたものの、信用されていない気がする。
あわあわしていると、鬼頭課長が私の逃げ道を塞ぐように壁に手をついた。強制的に対面する羽目になる。
「どこから見てた?」
目がマジである。
私は早々に観念した。偽証罪は心象を悪くするのだ。
「え……と。課長がわんこに話し掛けた辺り、から、だった……かなー?」
どうだった、かなー? と憶えていない風を装って視線をうようよ。しかし鬼頭課長は……反応が無い。
これはいよいよ締められるのではないか?
いやいや、しかしそんなプライベートを偶然目撃したくらいで、大袈裟である。鬼頭課長も──普段の様子からは想像がつかないことをしていたとはいえ──悪いことをしていなければ、私も悪いことはしていない!
しかしあまりに反応が無さすぎやしないか。
あと、この体勢は、第三者に見られるとよりマズイ気がする。不意に冷静になる。ほら、人の噂って、何がどう脚色されるか分かりませんから。
恐る恐る視線を合わせる。
「かちょ、……おお?」
目の前にいたのは、眼力の強い鬼頭課長ではなく、何故か片手で顔を押さえた彼だった。よく見ると耳が赤い。指の隙間から見える顔も赤い。
「あ、あのぅ……だいじょ、」
「言うなよ?」
「は?」
鋭い眼光はいつも通り。しかし顔が赤いと威力は半減だ。半減した睨みなど、私にとってはさしたる脅威ではない。
「お前が見たもの、今すぐ忘れろ。他の輩にはバラすな。いいな?」
「え、や、なん……?」
意味がわからない。
え、善行なのに。イメージにはないとはいえ。
何故、顔を赤らめる?
せめてそれだけ聞き出そうとして──
「柚月!」
「はいぃ!」
卑怯である。職権濫用だ。しかし身に染み付いた条件反射的な以下略。
返事を勝ち取った鬼頭課長は、あからさまにホッと安堵した顔をすると、少々覚束ない足取りで去って行った。……うん、向こうも動揺しているようだ。ざまあみろ、と迷いなく思った私の根性は捻じ曲がっているのだろうか。いるのだろうな。
いや、だって、さあ。
日曜日よりも更に火照った顔に、紙パックを押し付ける。温くなっているはずのソレは、何故だかやけに冷たくて。
優しい顔に、照れた顔に。
見慣れないその色に動揺してしまうのは、仕方ないことだと思うのですよ。眉間に皺、無かったし。
ほらだって、あの人、顔はいいですもの。よく言うじゃないですか、ただしイケメンに限る、って。いちいちドキドキさせるような顔をするから。私は悪くない。向こうが悪い。
(お、落ち着け自分。とりあえず)
そう、とりあえず、だ。
やらなければならないことを列挙する。
(雉島さんにいちごミルク届けて、提案書つくる。定時までに。……うん)
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
……大丈夫か?
駄目な気がした。
なんか、こう、いろいろと。
いちごミルクって、たまにすごく飲みたくなる不思議。