4.鬼頭課長との正しい距離(4)
「つ、つき、つきあっ……!? なんっ、なんでそうなる、な、なる、ですか!?」
「いろいろあるけど、一番の理由はその動揺っぷりだなー」
急にアルコールが飛んだ顔で、ジト目を向けられ、パニックになる。
「いやこれは、誰だってこうなりますよ!」
力強く宣言したら、鼻で笑われた。
「つい数ヶ月前のあんたなら、冷めた顔で“ナイデス”って言って終わりだったでしょうよ」
的確なツッコミに、押し黙る。それは──自覚するところであったから。どうとも思っていなかったからこそ、なんともない顔で否定できた。今は、それができない。
それが何を意味するのか、分からない程子供ではない。
「でも……」
「でも?」
「鬼頭課長、眉間の皺が標準装備だし、怖いし」
ふは、と笑われる。
「眉間の皺が理由かー、そうかー。鬼頭課長、確かに常に怒って見えるもんね」
ケラケラと可笑しそうにしている雉島さんを前に、一瞬止まり、それから、──まるで指の隙間から溢れるように、言葉が流れ出す。
「それに、だって、……付き合って、たんですよね。鬼頭課長と、……雉島さん」
雉島さんの顔から表情が消えた。
見つめ合う。その時間が、妙に長く感じる。数秒間だったのか、数分間そうしていたのか。
口を真一文字に結んだ私に、雉島さんが柔らかく笑う。
「確かにそんな時期もあったかな。でもみんなが想像しているような甘いもんじゃないんだけどね」
不思議に思って、首を傾げる。雉島さんは、手に持ったグラスを回した。氷が、からり、と音を立てる。いつの間にか飲み干している。
メニューを取って差し出すと、ありがとう、とへらりと笑った雉島さんは、手早く二杯目を頼んだ。
しかし、ペース早くないですか。雉島さんは割とお酒は強い方だけれども、それにしたって。
ご飯やおつまみが、テーブルに届き始める。
美味しそうである。きゅるる、とお腹が正直な声を上げた。……なるほど、空きっ腹にアルコールを注入したのも酔いが早い理由か。
ご飯をつつき始めた私を見て、雉島さんもお腹が空いていることを思い出したのか、「私も食べる」と食べ物に手を伸ばした。
「私と鬼頭課長ってさ、一応、同期なわけよ」
それは知っている。ちら、と雉島さんを見た。料理は雉島さんのお眼鏡に適うものだったようで、次々と吸い込まれていく。
「鬼頭課長が入社当時に散々騒がれてたのは知ってると思うけど、実は私も意外と人気だったのよ、当時は」
……それも知っていますよ。というか今も人気じゃないですかー。
しらー、とした目をした私には気付かない雉島さんは、「だから二人で飲みながら考えたわけだ」とそのまま話を続けた。
「このままじゃ雑音が大き過ぎて、二人とも仕事に集中できない。ここは共同戦線を張ろうではないか、と」
「……はあ」
つまりどういうことだろうか。
首を捻った私にも分かりやすいように、「つまり偽造恋人として、一連の攻撃を乗り切ることにしたの」と纏めてくださった。
「…………は!?」
「偽造のために、いわゆるデートもどきもしてみたけど、幸か不幸か、お互い全くトキメキ感じなくてさ。いやほんとハリボテ感が満載。盛り上がった話って、大体仕事絡みでさー、もうほんと仕事仲間以外の何者でもないね」
「や、ちょ……!?」
「──だから」
頬杖をついて身を乗り出した雉島さんは、酒の効果でほんのり赤くなった頬を上げて、にやりと笑った。
「私に遠慮して気持ち押し込める必要は無いし、鬼頭課長が柚月と私を並べて考えることは無いから。むしろ私は、女として見られてない。逆に私もアレを男として見てないけど」
「……う」
読まれている! かあああああ、と勢い良く染まっていく顔は、アルコールの所為ということで押し通せるだろうか。
「柚月は柚月の良さがあるんだからそんな思い悩むことないのよー」
あああ、私の急所を突いて、人の髪をぐしゃぐしゃにしてくるのは止めてください。
「……私もイイ女のはずなんだけどね。あの野郎、鼻で笑いやがった。あの時の屈辱、いつ晴らしてやろうか……」
あとふにゃふにゃな笑顔を浮かべたまま、小声で悪態つくのも止めてください。ギャップが働いて一層怖いです。
というか鬼頭課長も、同じ部署にそんなに親しい人がいるのなら、私じゃなくて雉島さんに頼めばいいのにー!
……ああでも雉島さん、ここぞとばかりに笑いそうだな。彼女はそういう人だ。鬼頭課長の全力で嫌そうな顔を見て、喜ぶ人だ。
「いよーし、今日は飲むぞー!」
謎のスイッチが入っている。止めなかったのは、自分も飲んで諸々のことをリセットしたかったからだろう。便乗して追加注文する。
──結果。
「……ねむ」
こうなることは、ある種必然だっかもしれない。
しばらくは頬杖をついて耐えていたが、終いには机に突っ伏す事態と相成った。
うつらうつらしている私の耳に、「あらー、潰れちゃったか」と若干の笑いを含んだ声が入ったような、入らなかったような。
音が遠い。
「ハナから潰す気だっただろ。相変わらず性格悪い」
「なによ、塩を送ってあげたんだから、感謝しなさいよ。さもなきゃ素直に退治されてなさいよ、この鬼ぃー」
「……お前も相当飲んでんな、阿呆。というか普通、狙ってる男の前に、大事な後輩を突き出すか?」
「大丈夫、だいじょーぶ。あんた据え膳食わないタイプだから」
「どうだかな」
「ちょっと。私が恨まれるから止めてよ。ただでさえ下手したら下手するんだから。──とにかく、きっかりはっきり、話つけてきてよね」
「……言われなくても」
呆れたと言わんばかりの深いため息。
肩を揺する、温い手の平。
「おい、柚月」
低く響く声が、したから。
ふありと、頰が緩む。
「ほんと、犬みたいな奴だな」
その感想は頂けない。
文句を言おうと思うのだが、瞼が重い。動くことが億劫で仕方なくて────
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
生暖かいナニカが頰に触れた。
「んー」
眉を寄せて逃げていると、次いでふわふわなものにくすぐられ、更に濡れたものが押し付けられる。それは何度も肌の上を這う。妙な感覚に、ビクリと身体が震える。流石に目も覚めるというものだ。
なんだ、とがばりと身体を起こせば、きゅーん、という鳴き声が耳に飛び込んできた。
「え、あれ、ちゃ、ちゃこ……?」
目を輝かせている彼女は、ふさふさな尻尾をわさわさ揺らして、自分はいい仕事をした! と言わんばかりだ。まだベッドに登る力は無いらしく、前足をベッドの端に置き、器用に後ろ足で立っている。
きゅんきゅん鳴きながら、なおも私の顔を舐めようと鼻先を伸ばしているチャコの頭に、ぽふ、と手を置いた。耳の後ろをくすぐれば、ぴこぴこと耳が動く。可愛い。……いや、そうではなくて。
ここはどこだ。
考えれば分かることだ。チャコがいるということは、そういうことだ。
問題は、何故ここにいるのか、なのだけれども。
その答えを、私は知らない気がする。
だって雉島さんと飲んでいたのに。確かに結構酔っていたけれど、でも自分から鬼頭課長を呼び出したり、押し掛けたり、そんな度胸は生まれないと思う!
(あれ、でも夢現で、鬼頭課長の声を聞いたような……?)
んん、と首を傾げる。いやいや、そんなまさか。……え? いや、……え?
固まった私の手から抜け出したチャコが部屋の外へと駆けて行く。飼い主を呼びに行ったんだろうか。
「待っ……」
待ってまだ心の準備が。
私の叫びを無視する形で、この家の主が顔を覗かせた。
念の為ですが、他意はないです。ほんとに。
書いてみたらこうなって……いえ、わからなければ、いいのです。ええ、いいのです。
小さい頃、祖父宅の仔犬にこうやって起こされました。鼻先、湿ってるんですよね。おひげふわふわなので、こそばゆいのですよね。
フンフンにおい嗅ぎからの、べろーん!
びっくりして起きたら、キラッキラ輝いた目と遭遇。
「わ、起きた!見つかった!逃げろー!きゃー!」
とばかりにぴゅーんと走っていきました。愛い奴め。




