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客観は万能か

 「客観的に物事を見ろ」誰もが聞いたことがあるような言葉だろう。社会において、客観というのは非常に重要視される。客観性(りせい)を持つことで人は主観(かんせい)による暴走を防ぎ、もっとも最善の行動をすることができる。だからか、事あるごとに人々は「客観性(りせい)」を重要視する。


 だが、考えてほしい。客観はそこまで万能なのだろうか。


 「客観的」とは「蓄積された総合的情報」から判断することである。例えばここに直木賞でもとれるくらい面白い小説がある。これを何人かに読んでもらい、客観的な感想を求める。そこで、もし全員、全く違う小説分野が好きな人たちだったとする。だとすればきっと全く違う「客観的」な感想が返ってくることだろう。


 何故か。


 彼らの「蓄積された総合的情報」が全く違うからである。この情報とはイコール主観である。結局は人とは主観を積み重ねて出来上がるものであり、最初からすべてを客観的に判断するなど不可能である。従って人間が完全な客観性を持てることは殆どない、特に感想など数値化できないものは不可能と言って間違いないだろう。


 もしもである。完全な客観性を持った人物がいたとする。そうなったらどうなるのか。特に何もないのである。客観はあくまで「総合的情報」で、主観が暴走しないための物差しに過ぎない。結局一番重要なのは最終判断を任される主観なのだ。


 確かに正しい判断をするために「客観性(りせい)」という物差しは頼りになる。だが、最終判断するための「主観(かんせい)」を養うことも重要なのではないかと、私は考える。

どうだい、阿呆であろう

私は格好よさを重視して単語を並べているだけに過ぎない。

どうにかこの阿呆さをどうにかしたいものだとつくづく考えている。

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