雪の降るクリスマス(飛狼版)
冬の夕刻は陽が落ちるのが早い。五時をまわると、すでに辺りは真っ暗となる。ここ、山間の小さな村の外れにある社の境内も、すでに辺りは真っ暗となっていた。
それに、最前からシンシンと降りしきる雪が、境内を静謐な場所へと変えていた。
そんな境内で、小さな女の子が拝殿に向かい頭を下げている。吐き出す息は白く変わり、赤く染まった手のひらを擦り合わせ、一心にお祈りを捧げていた。もとより、小さな女の子に拝殿のマナーなどは分かっていない。だが、近くの街灯から差し込む微かな明かりの下、少女の祈る姿には真摯な姿勢がありありと見られ、心をうつものがあった。
《また、あの子が来てるわよ。ほら、あんた達も、早く起きてよ。いつまで寝てるのよ》
どこからか、華やいだ女性の声が聞こえる。しかし、拝殿前の少女には、その声が届いていないようだった。
《なんじゃ、もうそんな時間かのぅ》
《……んっ、まだ早いではないか。まだ寝かしてくれても……》
今度は女性の声だけでなく数人の年老いた男性の声も混じるが、やはり少女には声が届いていないようだった。
《いいからほらほら、さっさと起きるの!》
《なんじゃなんじゃ……おぉっ、蹴らんでもよかろうに》
《時間はまだあるというのに、まったく……それにしてもこの子は何の願いをしておるのじゃ》
――今日はクリスマスイブです。サンタさん、お願いします。どうかお父ちゃんが帰って来ますように――
《何とのう……この場所でサンタはちとまずくないかのう》
《いいじゃない。私達も元は外つ国から来たんだし。この国は昔から良いものは何でも取り込む、節操のない国だしね。それにここも、神も仏もいっしょくたに祀ってるじゃない》
《しかしのう……》
《この子はね、ここんとこ毎日、お祈りに来てるのよ。今時珍しい信心深い子なんだから。お母さんが倒れて病院に運ばれたようだけど、出稼ぎに出てるお父さんと連絡が取れなくなってるのよ》
《……よく知っとるのう》
《気になったからちょっと調べたのよ》
《ほう、それでこの願いか》
今度は渋めの声の男性が話に加わる。
《そうなのよ。だから、たまには私達も仕事をしないとね》
《…………》
《ほらっ、ぼけっとしないで。もう夜になるわよ。最近は暗くなるとこの辺りも物騒になるから、あの子にもう帰るように言ってきなさいよ》
《……おぉっ、分かった、分かったからそう蹴るんじゃない。ったく、荒っぽい女じゃのう》
辺りは暗くなり街灯の薄明かりの中で、降りしきる雪が肩に積るのも気付かず、女の子は一心に祈りを捧げていた。
ふと何かの気配に気付いたのか、女の子は後ろを振り返る。
するとそこには真冬の寒い最中なのに、ゆったりとした僧服を纏った初老の男性が立っていた。その肩に大きな袋を担いで、にこにこと微笑みを浮かべている。
「善きかな、善きかな。お詣りとは今時珍しき感心な子じゃな」
「お爺さんは誰なの……あっ、もしかしてサンタさん?」
その初老の男性が大きな袋を担いでるのに気付いた女の子は、大きく目を見開き尋ねた。
「んっ、サンタとな……まあ似たようなものじゃな。ほっほほほ」
「あっ、サンタさんお願い。お父さんに……」
少女は瞳を潤ませ顔を歪ませた。
「大丈夫じゃよ。お父さんは必ず帰ってくるじゃろうて。だから、今日はもうお帰り。もう暗くなって危ないからのう」
少女はその時に初めて辺りが暗くなったのに気付いたのか、少し驚いた顔をした後、にっこりと微笑みを浮かべて頷いた。
そして少女が境内から走り去っていくと、不思議な事に初老の男性の姿は境内から消えていた。
《……帰ったわね。そうとなったら行くわよ》
《何処にじゃ》
《決まってるじゃない。あの子の願いを叶えによ》
《……》
《あなたも約束したでしょ。ほらっ、行くわよ》
《あっ、分かったから、蹴るでない。ほんとに荒っぽいおなごじゃのう》
そして、何処からか聞こえていた女性と数人の男性がわいわいと騒いでいた声も、いつしか聞こえなくなり静まり返った境内にしんしんと雪が降り積もっていた。
◆
煌びやかイルミネーションの光が溢れ、ジングルベルが奏でられると、街は何処か浮き足だった雰囲気が漂う。
そして夜空からふわふわと舞い降りる冬の妖精達を見上げて、道行く人々は楽しげな笑顔を浮かべる。
そんな街中を肩を落とした中年男性が、ため息混じりにぶつぶつと呟き歩いていた。
「はあ、どうしてこんな事に……今日はイブだというのに、このままでは帰れない」
出稼ぎに街に出てきていた男には、帰りを待つ妻とまだ幼い娘がいた。
だが、勤め先の建設現場の親方が、給料日前に夜逃げ同然に逃げ出し行方を眩ました。そのため、給料も貰えず、男は途方に暮れていたのだ。本来今頃は、娘にクリスマスプレゼントを買って飛ぶように家へと帰っていたはずなのに……。
今の男には、家に帰るための新幹線代も怪しい状態だったのだ。
「はあ、なぜ……」
男はまたぼそっと呟き、あてのない足取りでとぼとぼと歩き出す。
そんな男が俯いていた顔をふと上げる。それは何処からか、何か懐かしい音が男に届いたからだ。
男の見詰める先には、道路際でひとりの女性がギターを片手に曲を奏でている。
その女性は、全ての人が振り返らずにはいられないと思えるほどの、神々しい美しさを備えていた。しかし何故か、道行く人達はその女性に気付かないようだった。その奏でる曲も不思議な事に、街に溢れるジングルベルを切り裂くように男に届く。そして、男の心の奥底を揺さぶり、郷愁の念を呼び起こす。
いつしか、男の瞳から涙が溢れ落ちていた。
「この曲はね、故郷を想う情念を曲に乗せてるのよ。あなたには帰りを待つ家族がいるのでしょう。早く帰ってあげた方がいいわよ」
その女性がいつの間にか男に歩み寄る。そして、艶然とした笑みを浮かべ男に話し掛けていた。
男はそれには答えず、歪めた顔を背けて歩き出そうとした。
しかし、ポロンと女性がギターを掻き鳴らすと、何かに魅入られたように足を止め女性を見入る。
「娘さんはあなたの帰りを、首を長くして待ってると思いますよ」
「俺は……」
その女性は捕らえるような視線を、男に向ける。男はそれに抗うかのように瞳を泳がせる。
「何か問題でもあるのかしら」
「俺は……持って帰るはずだった金が……」
何故か男は、雇われていた親方に逃げられた事、それどころか、今は帰るための電車代すら無い事を喋っていた。
それはまるで、暗示にでも掛けられているようだった。
「ふーん、そういうこと……それならこの人に相談すればいいわ」
女性がそう言って、すぐ横を指差す。
そこには、いつの間にかふくよかな男性が椅子に座り、何故か釣竿を手に持ちニコニコとしていた。 その男性の前にある小さな机には、占いと書かれた行灯が乗っている。
「……占い」
男は呆気にとられ呟いた。
「ふむふむ、お主には開運の相が現れておるぞ」
「……開運……今の俺には」
「稀に見るほどの開運の相じゃ。嘘じゃと思うならほれっ、あそこでくじを買いなされ」
占いの男が目の前にある宝くじ売り場を指差すと、売り場にいた男が手招きする。すると、男はそれに操られているかのように、スクラッチくじを十枚買ってしまう。
そして、十円玉でくじを擦ると魚の絵柄が三つ揃う。
「ほっほー、大漁じゃ!」
ふくよかな男性が笑い声を上げ、女性もにっこりと微笑み、男の肩を叩く。
「ね、これで帰れるでしょう」
男の買ったくじは、高額では無いが、一万から五万円まで。売り場でそのまま貰える金額で、全てが当たっていた。
総額で、三十万近くを手にした男が呆然とする。
「なにをぼぉとしてるのよ。今からなら、まだ新幹線の最終に間に合うでしょ」
「いいのかこれ……あんたらは……」
「いいからいいから、ほらっ、さっさと行く!」
男は尚も何か言い掛けたが、頭をぺこりと下げると走り出した。
「ふぅ、これでミッションコンプリートかしら」
暫く走り去る男を眺めていた女性が呟く。その女性の周りにはいつの間にか、四人の男性が立っている。少女の前に現れた袋を担いだ男。占い師の男性。宝くじ売り場にいた男性。そして黒いスーツに、サングラス掛けた男がいた。
そのサングラスの男が口を開く。
「そうでもなさそうだな。どうやら次は、俺の出番のようだ」
五人が見詰める先では、走り去った男が、若い男達に路地裏へと連れ込まれるのが見えた。
「ははは、おっさんさっき、えらく景気よく宝くじを当ててたようだけどさあ。俺達ちょっと今、金に困ってんだよ。ちょっと回してくれないなかなあ」
路地裏では、男が若い男達に囲まれ、猫なで声で話し掛けられていた。
「これは家に持って帰る大事な金だから」
「いいじゃねえか、どうせスクラッチで当てたあぶく銭だろ」
必死で抗う男から、若い男達が無理矢理奪い取ろうとする。
しかしその時、若い男の腕を後ろから伸びてきた手が掴まえた。
「止めとけ。それは大事な金だと言ってるだろ」
「なんだ、てめえは!」
振り返えった男達の目の前には、サングラスの男が立っていた。
「俺か……俺は正義の守護者といったところかな」
「ふざけんな!」
いきなり、若い男達のひとりが殴り掛かる。
その拳がサングラスの男の顔面にあっさりと当たる。だが、サングラスの男は微動だにしない。それどころか、殴ったはずの男が拳を痛めたのか、顔をしかめている。
「それだけか? 今時の若者は軟弱になったものだな」
サングラスの男がにやりと笑いを浮かべると、一歩前に踏み出す。
その軽く踏み出した右足が、震脚となり地を揺らす。
「もう一度、鍛え直して来い!」
そして突き出した掌底が、若い男の胸元に吸い込まれるように当たる。すると、周りの男達を巻き込み数メートル転がり、うめき声をあげていた。
「あらあら大変。あなた達、この人が本気になったらもっと酷い事になるわよ」
ギターを手に持つ女性が男の背後から現れ、若い男達に声をかけた。すると、男達は青い顔をして、たちまち逃げ出していく。
それをくじを当てた男が呆然と眺めていた。
「あんたらは一体……誰なんだ」
「私達……まあ、それはいいじゃない。それより娘さんが待ってるわよ」
男がどうしようか迷う素振りをみせる。
「ほらっ、早くしないと、新幹線に間に合わないわよ。今度は変なのに引っ掛からないようにね」
男はぺこりと頭を下げるとまた走り出した。
「ふぅ、世話のやける男だわね。それにしても、うちのおじいちゃん二人は何処に行ったのかしら」
女性の周りにいた四人の男性が肩をすくめる。
「またどこかで、さぼってるのかしら」
「酷い言われようじゃのう」
「まったくじゃ。わしらはわしらで、ちゃんと仕事をしておったわい」
女性の前に、何処からともなく二人の老人が現れた。
「何処に行ってたのよ」
「病院に行っておったのじゃ」
「病院って……まさか、あの子のお母さん所に」
「ほっほほ、一時は危なかったようじゃが、今は元気になっておる」
「急に元気になったから医者も目を丸くしておったわい」
二人の老人がにこにこ笑っている。
「そう……あの子には何よりのクリスマスプレゼントになったわね」
女性がほっとした表情を浮かべた。
その時、釣竿を持った男が夜空を指差す。
「おいっ、あれを見ろよ」
男が指差す夜空には、真っ赤な衣装に身を包む男性が、トナカイに橇を引かせて飛んでいた。
「まったくいい気なもんだな。俺達が変わりにあの子の願いを叶えたのにな」
「まぁ、良いじゃないの。そうねえ、今度はあの人に私達の舟にでも乗ってもらおうかしらね。ふふふ」
「そうだな、ははは」
皆の笑い声が、雪が舞う夜空に吸い込まれて消えていく。
◆
澄みきった冷たい空気が、山間の村を包み込む次の日の朝。雲ひとつない空から陽の光に煌めき、小さな雪が風に舞っている。
村外れの社の境内も、昨晩から続く雪に真っ白と衣替えしていた。その真っ白な境内には小さな足跡が残され、拝殿前へと続いている。
少女が拝殿前で手を合わせていたのだ。
《あらっ、また来てるわね》
《今度は、何の用かのう》
――サンタさんありがとうございます。お父ちゃんも帰ってきました。それに、お母ちゃんも元気になりました。本当にありがとうございます――
《どうやらお礼にきたようね》
《善きかな善きかな。感心な子じゃのう》
《さてと、私達も準備しましょうかね》
《なんと、新年まで、まだ六日もあるじゃろう。もう少しのんびりとしても》
《駄目よ。もう六日しかないの! 去年も間際でばたばたとしたでしょう。舟の点検もしないと駄目でしょ。ほらっ、行くわよ》
《おぉっ、だから蹴るでない。相変わらず、荒っぽい女じゃのう弁天は》
がやがやと騒ぐ声が遠ざかっていくが、やはりその声は少女に届いていないようだった。
ここは山間にある村の外れにある小さな社。奉られているのは七福神。所の人からは七福神神社と呼ばれ、親しまれている。
社は真っ白に変わり、静謐な境内の拝殿前では、少女がいつまでも祈りを捧げていた。




