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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔神

作者: スカイリィ




 その王国は数世代前から『魔神』によって支配されていた。     


 魔神は万能の存在だった。特定の日にちに雨を降らすこともできたし、雨季の真っただ中で何日も晴天を持続させることも可能だった。農民たちは魔神を恐れながらも崇拝し、常に供物をささげていた。

 魔神を怒らせると命に関わった。どれだけ王国の辺境地域であろうとも、怒った魔神は刃向った者のいる場所に豪雨を降らせ、落雷を招き、冬には村一つを埋めるほどの大雪を降らせた。


 国王に対してもそれは同じだった。今から二代前の王は自らの権力を盤石にするために軍隊を動員して魔神の討伐を試みたが、兵士を引きつれて王宮から出た瞬間に落雷の直撃を受けて即死した。駆けつけた家臣たちは、焼け焦げた国王の遺体の上空にぽつんと浮かぶ黒い雷雲を目撃し、魔神の怒りに触れたことを悟った。


 その雷雲は王だけでなく、その場にいた国軍の三分の一を強力な落雷で薙ぎ払い、丁寧に手入れされた王宮の庭を消し炭に変え、後宮に控えていた二百人の女官たちを落雷による火災で宮殿ごと焼き尽くした。三日後に家臣達が千人の若い男女の奴隷を供物としてささげたことでようやく魔神の怒りは収まったが、それまでに王国では軍民合わせて一万人が雷と豪雨によって命を失っていた。魔神は冷酷だった。


 魔神には住処があった。二十万の民を抱える王都の中央にそびえたつピラミッドがそれだった。表面を覆う大理石によって白く輝くそれは魔神が国王に命じて作らせたもので、荘厳な王宮がオモチャのように見えてしまうほど大きかった。ピラミッドは王宮と王都をまとめて見下ろすように鎮座し、王国全土に逆らう者がいないかどうか目を光らせているようだった。


 ピラミッドの正面下方には十騎の騎兵が並んで通れるほどの幅と、一般的な家の屋根と同じ高さを持った正方形の出入口が開けられていた。一般人は立ち入り禁止とされ、普段は分厚い鋼鉄の扉で閉ざされていた。不法に中へ入って生きて帰ってくることができた者はいないとされている。中に入れるのは成人した王族と魔神に仕える一部の神官だけだった。



 現国王の第一王子は、魔神の御前で元服の儀式を執り行うために今日、生まれて初めてそのピラミッドへ足を踏み入れた。この国が魔神に支配されるようになってから、成人の儀は魔神の前で行うのが習わしだった。

 昨日十五歳になったばかりの王子は、ピラミッド内部に広がる未知の空間に圧倒されていた。


「すごい。なんて明るいんだ」


 ピラミッドの中は昼間のように明るかった。最初は光を取り入れるための天窓がたくさん備え付けられているものだと思っていたのだが、その光は良く知った太陽のものではなかった。異様に白くて、顔を向けても暖かさを感じない。それがピラミッドの内壁全てから放出されているのだ。

 どう考えてもロウソクの明かりではない。油火でもかがり火の光でもない。では、これは何の光だろう。


「殿下。これは我らの神が、その雷の力をもって生み出しておられる光でございます」狐につままれたような顔の王子に神官の一人がささやいた。

「雷の、力?」

「さようでございます。我らの神が、雷によって悪しき者どもを断罪なされていることは、ご存知でしょう」

「ああ、知っている。でも、これが雷の光だっていうのか。僕らの頭には落ちてこないのかい」

「ご心配には及びません。雷とはいっても、ごくごく弱い雷でございます。我らの神に限ってそんなことはありえないでしょうが、もし我々の頭に偶然落ちたとしても少し痛い程度です」


 そう言って神官はクスクスと笑った。白いローブを目深にかぶったその男の表情を王子は良く見ることができなかったが、なんとなくバカにされているような気がして少し嫌な気分になった。

 王子が拗ねていると、神官は少し間をおいてから慌てるように彼の機嫌を取りなした。


「おお、申し訳ございません、殿下。殿下を侮辱する意図などこの私には毛頭──」

「良いんだ。ただ僕が勉強不足なだけだよ」


 すました顔で王子が言う。それを聞いて首を横に振る神官。どうも王子にはその仕草は芝居がかって見えた。


「仕方のないことです。このことを知っているのは我々神官と、成人した王族のみでございます。殿下は昨日成人されたのですから、知っているほうがおかしいのです」

「じゃあ、父上も、これを知っていたんだな」

「左様。現国王陛下もかつて元服の儀でここを訪れた際、今の殿下と同じお顔をしておりました」

「お前、父上の元服を見たっていうのか」


 その通りでございます、と神官は口元に小さな笑みを浮かべてうなずいた。王子は驚いた。父上の元服に立ち会ったって、この神官はいったい何歳になるんだ? 現国王は今年で五十六歳になるが、ローブの下に見え隠れする顔は高く見積もっても二十代そこそこにしか見えなかった。まさか、不老不死じゃあるまいな。背中に冷たいものが走る。魔神の力で、若さを保っているとか。


 王子は現国王、すなわち自らの父親のことがあまり好きではなかった。


 王として、政を行う施政者としての国王は天才的としか言いようがない。隣国との戦争では今までどんな軍師でも思いもつかなかったような戦術を駆使し圧倒的勝利を勝ち取り、外交でも周辺国の畏怖と信頼を受けている。内政面においても税の取り方を変え、貧しい農民からは少なく、富める領主達からは多くの税を納めさせることで税収を大きく上げただけでなく、国力を大きく伸ばすことに成功していた。国民は稀代の名君主と国王をもてはやしていた。


 しかし、私生活の面において国王は冷たく、感情をほとんど出さなかった。王子が父である王を苦手としている原因がそれだ。妻である王妃にも無感情に接し、最初の息子である王子にもあまり関わろうとはしなかった。

 王子が周囲の人間達にそのことを漏らすと、父親とその子供の軋轢は王族であろうと農民であろうとよくあることだ、とほとんどの人間が答えた。王子はその説明に納得していたものの、やはり心のどこかで父親を嫌っていた。笑いもしない、怒りもしない、泣きもしない父親は、王子にとって不気味でしかなかった。


 あんな国王でも、ピラミッドの中に初めて入った時は自分と同じような反応を示したのだ。そう思うと複雑な気持ちになる。あんな父でも、昔は感情豊かだったのかもしれない。


 神官に連れられて広いピラミッドの中を歩いてきた王子は、やがて前方に巨大な祠のようなものがあることに気づく。まばゆい天井にばかり気をとられていて今まで意識していなかった。その一角だけ床からピラミッドの内壁まで伸びる巨大な石柱と、天井から垂れ下がる大きな天幕で仕切られている。きっと、あそこに魔神がいるのだろう。この王国を支配する神が。王子は緊張からごくりとつばを飲み込む。


「さあ、この先は神の御前です。殿下はあの神の御前にて元服の誓いを執り行い、真の王族となるのです。いいですか。身なりを整え、背筋を伸ばし──」

「言われなくても、わかっているさ。家庭教師みたいなこと言わないでくれ」そのまま王子は天幕の前にまで進み、ビシリと背筋を正して直立した。「さあ、用意はできたぞ。開けるなら、早く開けてくれ」

「少々お待ちを。私が良いと言うまで先に進んではなりません」

「わかった」


 そう頷くと、神官はニコリと笑って柱の一つに近づき、その表面に静かに触れた。その触れた部分から柱の表面全体に光の波紋のようなものが広がるのを王子は見て、ぞくりとする。天井の照明と同じく初めて見る光だった。きっとこれも雷の光なのだろう、と彼は思った。この光は、神官が魔神に伺いを立てていることを示しているに違いない。

 柱を根元から速やかに駆け上がった光は、天井にぶつかって消えた。神官は天井を見つめ、しばらくして王子に向き直って言った。


「我らが神へ、殿下の成人の儀をお伝えいたしました。殿下、お進みください」

「もう、済んだのか」肩をすくめる王子。「お前は何も言っていなかったし、僕の耳には何も聞こえなかったぞ」

「我らが神と対話するのに、言葉は必ずしも必要とは限りません。今私は神の御言葉を耳ではなく心で承りました。神は、あなたと会うことを望んでいらっしゃる」

「そ、そうか」


 王子は釈然としない顔で神官の説明を聞いた。案外、この神官が不老不死であるという予想も間違ってはいないのかもしれない、と思った。魔神ならぬ、魔人だ。


「では、行ってくる」


 王子がおっかなびっくりと天蓋に近づくと、巨大なカーテンはひとりでに動き始め、ちょうど人間が一人通れるくらいの隙間を開けた。王子はちょっとだけ屈んで中を覗き込んでいた。奥にはまだ分厚いカーテンが見えた。一度振り向いて神官の様子をうかがうが、またニコニコとした笑みで『そのまま行きなさい』と促していた。言われた通りにそのカーテンを潜り抜けると、また先のカーテンが開いて王子に先に進むよう促し、後ろのカーテンは退路を塞ぐかのようにすぐさま閉じた。カーテンを引く人間の姿は見えなかったが王子はもうパニックを起こさなかった。いちいち驚いていたら魔神に遭う前に心臓がやられてしまう。


 それから五、六枚のカーテンを潜り抜けて、ようやく開けた空間に王子はたどり着いた。太い何本もの柱と分厚いカーテンに包まれたその空間はピラミッドの天井まで続いていた。兵士百人は入れそうな広い空間だった。


「何も、ないじゃないか」


 きょろきょろと辺りを見渡しても魔神と思わしき存在は見受けられなかった。魔神と言うからには天を覆わんばかりの巨体であるとばかり思っていた王子は戸惑った。まさか小石くらいの大きさじゃあるまいな、と思って足元を見ても何もなかった。


「神よ。どこにおられるのですか」


 慣れない言葉使いで呼びかける。カツン、と自らの足音が空間に響き渡る。その音が気になって足元を見やると、空間の床は見たこともない材質でできていることがわかった。木や石でも金属でも、焼き物でもない。大理石に似ているがほんのわずかに弾力が感じられる。いったい何でできているのだろう。未知の材質。


 王子が床の感触を確かめるように一つ足を踏み出す。そして、そのまま凍りついた。


 光があった。王子の頭上に。銀色の光。ゆっくりと、鳥の羽がゆらりゆらりと落ちていくように降りていき、王子の前でひときわ強く輝いた。そしてそこに、ヒトの姿が現れた。しっかりと床を踏みしめている動きではあるが、半透明で背後のカーテンが透けて見える。


『よくぞ来ましたね、王の子よ』


 それが言った。女性だった。口元にわずかな笑み。金髪の美人だ。その声は女の口元から出ているようではなかった。まるで空間全体に同時に声が響き渡っているようだった。


「あなたが、神か」


 王子はとっさにその女の前で跪きながら、訊いた。目を逸らすことができない。物腰は柔らかいのになにやら強い威圧感を感じた。本能的に恐ろしいと感じ、身震いする。そんな王子に光の女性は静かに頷いた。


『人間は私を神と呼んでいる』

「女、だったのか」

『私が女性であることに不満が?』

「いいや、……いいえ、そうではありません。ただ私が思っていた姿とは幾分違っていたので」


 口調を慌てて直す。まさか、魔神というからにはいかつい大男であると思っていたとは口が裂けても言えなかった。


『これは私の真の姿ではありません』神と名乗る女が言う。『私は会う人間によって姿を変えます。あなたの年代の男性には、この姿で会うのがいいと考えたのです。やろうと思えば大男にも、少女にも、老人の姿をとることもできます』

「なるほど。私の趣味嗜好を良くご存知のようで」


 確かに神は王子の好みの姿をとっていた。胸は後宮でも見たことがないくらいの大きさだし、ウエストは細くて、腰つきはなかなか色っぽい。足首もきゅっと引き締まっている。この自分の警戒心を削ぐのに適した姿だ、と王子は冷静に思った。この神は、自分の警戒心をなくして何をするつもりなのだろう。


「それよりも私は、成人の儀を行いに来たのです」脳内に渦巻く雑念を振り払うように王子。「私は、どうすれば良いのでしょう」

『そこに、座りなさい』


 神がそう言って指さした先には、いつの間にか一人用の椅子が現れていた。一枚岩から切り出したような、しかし優雅なデザインの椅子だ。座ると言うよりはむしろ横たわるための椅子に近かった。

 どういうことだ、さっきまであんな椅子はなかったはずなのに。王子は顔をこわばらせる。


『怖がることはありません。あなたはただ、あの椅子に座れば良いのです』

「それが、成人の儀、だと」

『正しく言うのであれば、あの椅子に座って行う、ということです。座るだけではダメなのです。後はあなたが座ってから詳しく教えます』

「わ、わかった」


 王子は大人しく魔神の指示に従うことにした。逆らう理由はないが、どうも自分にはあの魔神の指示が鬼気迫るもののように感じられる。とにかくあの椅子にこの自分を座らせたいという焦りがにじみ出ているのだ。

 どうすることもできない。ここで逃げ出したとしても魔神の怒りに触れて雷で焼き殺されるだろうし、運よく逃げおおせたとしても成人の儀を済ませていない王族には王位継承権が存在しない。下手すれば王宮を追放される。どっちにしろ終わりだ。野たれ死ぬか、あるいは他国の間諜に存在がバレて人質にされるかもしれない。王宮を追われた王子が世間に出て、何ができるというのだろう。


 静かに椅子に歩み寄る。見た通り、材質は石のようだった。しかしここまで滑らかで継ぎ目すらない、それどころか削った跡すらない石の椅子など、見たこともない。まるで石そのものが最初からこの形で存在していたかのような趣だ。どれほどの職人が作り上げたのだろうか。


 ゆっくりと腰を下ろす。石だから冷たいものと思っていたが、まるで予め火で温めておいたかのように暖かかった。服越しに感じる背もたれの暖かさは心地よかった。


「これから、何をすればいいのですか?」

『できるだけ身体の力を抜いてください』神は安らかな笑みで言った。

「こう、ですか?」


 王子は背もたれに上半身の体重を預け、全身の力を抜いた。背面側から全身がほどよく温められて心地よかった。湯船に浸かっている時のような快感が包み込んでくる。

『そうです。それで、なるべく何も考えないように、寝るように目を閉じてください』

「これ、本当に寝てしまいますよ」重くなった瞼をそのまま閉じる王子。身体を芯まで温めるようなぬくもりは彼の眠気を誘いだすのに十分すぎるほど気持ち良かった。

『それでいいのです。できれば寝てしまうのが一番です』

「寝てしまって、儀式ができるのですか?」

『成人の儀は私が施すものです。できればあなたは寝ていた方が楽に終わりますよ』

「そう、なのか」


 畏まった言葉使いも忘れるほどの睡魔に襲われながら、言う通りにする王子。暖かさを受けているとはいえ、あまりにも急激な眠気の進行だった。しかしすでに彼の頭はまともな思考をすることすらできなかった。


 王子は眠りに落ちる寸前に、神の言葉を聞いた。優しく、暖かい声だった。



『おやすみなさい、王子。永遠に』






「先輩。この後の処置はどうするのですか?」

「ああ、後はコンピュータ任せだから、お前はあの王子の手術風景でも眺めていればいい」


 無機質で機械的な部屋に二人の男性が佇んでいた。一人は部屋の正面にびっしりと敷き詰められたディスプレイを注視し、もう一人は手元の操作卓をいじっていた。


「嫌ですよ。電脳手術を面白がって見るなんて、医者か変態くらいなものです」

「そうか?」操作卓から顔を上げて男。「じゃあお前、なんでこの仕事選んだんだよ。こんな人の命弄ぶ仕事をさ」

「確かにそうですけど……。しょうがないじゃないですか。このご時世にまともに飯が食える職業なんて、そうそうないんですから。いっそこの世界の農民の可愛い子と結婚して、帰化したいくらいです」

「それでTAC-72に豪雨降らされて、溺れ死ぬのか」操作卓から離れて男が言う。無感情な声と表情で。


 彼の部下はそれを受けて、黙った。今の自分の言葉は、社の規則に反するものだ。もしこれを本社に報告されれば、自分はクビにされる。この就職氷河期の中せっかく手にした職だというのに。それは、嫌だ。親への仕送りもあるし、年々物価も上がっている。こんな時期に無職になってしまったら、路傍で家族まとめて野たれ死んで終わりだ。それだけは避けなくてはならない。例え他人の命を弄んだとしても。


「ま、今のは大目に見てやるよ。代わりに次のシフト、お前に任せる」

「どちらへ?」

「タバコ。ここじゃ火気厳禁だからな」

「わかりました」


 一人の男が出て行くのを確認してから、もう一人の男性は深いため息をついた。そして再びディスプレイを見つめる。

 ディスプレイにはこの国の王子が映し出されていた。まだ十五歳になったばかりの若い王子だ。コンクリート製の椅子に座らされて、酸素マスクが口にかかっている。麻酔が効いているために目を覚ますことはない。

 彼の頭頂部からはピンクがかった脳髄が露出していて、そこへ床から飛び出した何本もの医療用ロボットアームがのびている。あるものは切り取った頭蓋の一部を保持し、あるものは切断された皮膚の断面を止血し、またあるものは脳の表面に細工を施している。


 なんて胸くそ悪い仕事なんだ。こんな未開の、コンピュータという概念すら知らない人間に、なんの説明もなしに電脳端末を取り付けるなんて。あの少年は神の意を信じてあの手術を受けているというのに。これではどちらが野蛮なのかわかったものではない。男性は悔しさと罪悪感から逃れるように、ギリリと歯を食いしばった。


 あの王子に自我が戻ることは二度とない。手術が終わったら、彼の全身体機能は、このピラミッド内に存在するコンピュータ群によって支配されることになるはずだ。今行っている電脳手術とは、そういう術式なのだ。脳に小さなマイクロチップを埋め込み、そのチップから電気信号を出して脳全体を支配する。もう何も考えることすらできず、ただコンピュータの言いなりになって残りの人生を過ごすことになる。


 今から数十年前までは、こんな残酷な手術をしなくてもすんでいた、と男性は先輩から聞かされていた。


「かわいそうに、な」


 思わずそう呟いていた。たった十五年で人生を強制終了させられるにも等しい、残虐な施しだ。

 なぜ自分達はこんなことをしなければならないのだろう。いつまでこんなことを続けなければならないのだろう。男は自問した。


『クローン及び幹細胞培養の全面的禁止』


 自分が生まれるずっと前、自分達の世界で打ち立てられたある法律、それがこの結果を招いたのだ。

 バイオテクノロジーが発達し、クローン技術や幹細胞の培養によって臓器移植が可能になろうとしていた時に施行された、悪法だ。これのせいで自らの体細胞を用いた臓器移植は不可能になってしまった。この法律を支持したのは一部の宗教関係者と医師、ほぼすべての臓器移植業者だった。ここの会社も関わっていたと聞く。自前の臓器を移植してしまえば拒絶反応は起きない。それゆえ移植後も頻繁に医者にかからなくても済む。それが彼らには面白くなかったのだ。


 自前で臓器を確保できないのであれば、誰かが脳死するのを待って移植を受けるしかない。


 そんなときだった。どういう原理かは不明だったが、異世界への道が発見されたのだ。粒子加速器で得られたデータを解析していたら、偶然にも別世界へ通じる超空間通路を構築する理論が見つかり、それを試しに実践してみたところ、本当に開いてしまったのだ。それが今から百年前の話。自分が生まれるずっと前。


 超空間通路の向こう側にあったのは、地球にそっくりな異世界だった。文明レベルは地球の中世とほぼ同じ。未だに魔術などの迷信が横行している遅れた世界だった。それが、今自分達がいるこの世界だ。

 その頃の政府は慎重だった。いきなり見つかった異世界を、自分達が汚すわけにはいかない。世論も政府のその考えを支持していた。


 きっかけは些細なできごとだった。とある政府要人が心臓移植を必要とする重い病に倒れたのだ。彼は素晴らしい政治家で、国民の支持も厚かった。彼を失うことは政府としても避けたかったが、生体心臓移植のために脳死患者を待つだけの時間はあまりなかった。


 最後の手段として、政府は自らの配下である諜報機関に生きのいい心臓を調達するように頼んだ。機関はほんの数日もしないうちに健康な心臓を要人が入院する病院へ送り届けた。手術の結果、彼は元気になった。


 ところがその機関にどこで心臓を入手してきたのかと訊く段階になって、困ったことが起きた。あろうことか、超空間通路の向こう側から仕入れてきたのだと言う。政府は機関の人間達を叱りつけようと思ったが、同時にとあるアイデアを考えついた。


 この世界で移植用の内臓が見つからないのであれば、向こうの世界から持って来ればいいではないか。


 そしてその狂気じみた考えは実行された。国民のためだ。今もなお臓器移植を待ち望んでいる患者は大勢いるのだ。異世界の、遅れた人間達から臓器を搾取してでも、彼らを助けなくてはならない。


 非公式の内に政府は諜報機関の人間達を異世界に送り込んだ。中世レベルの文明に、遥か未来から来た諜報員達を察知する能力は全くなかった。彼らは単純な天候操作マシンを使って、ほんの数年で異世界のとある王国を掌握した。王族を含めた王国の人間達は、彼らが行う天候操作を神の御業としてあがめた。諜報員達は神官になった。


 そこからはとても簡単だ。いけにえとして、健康な若い肉体を納めさせて、その肉体を解体し超空間通路の向こう側に送るのだ。従わないのであれば神の怒りとして豪雨を降らせるなり、干ばつを招くなりすればよい。この世界の民は我々に健康な臓器を提供し、我々は彼らに安定した天気を約束する。素晴らしいギブ&テイクの関係だ。実際、天候を操作するようになってから王国では餓死者が急激になくなり、経済も軍事も活発になり始めた。そして通路の向こう側では臓器提供を受けて健康になっていく人々が何百何千といる。


 政府はこの事業を秘密裏に持続させることを決定した。いったいどこから臓器が提供されているのかと勘繰る組織や人間もいたが、そういった人間はこっそりと暗殺し、異世界の民と同じように解体して臓器を提供させた。


 そうしてこの事業が安定したのが今から八十年前のことだ。回収された臓器は高値で売れた。政府の財源は安定し、事業もより大規模になった。今や年に五百人という数でドナーが納められている。神官に扮した政府諜報員達は王族にも信頼され、すでにこの国は諜報員達の言いなりだ。隣国に戦争をふっかけて、その人民をさらって来ればさらにドナーを確保できたし、金銀財宝も手に入った。奴隷達に鉱山を開発させてレアメタルをかき集めることも可能だった。


 いつだったか、先代だったか先々代の国王が神官達の言いなりになることを拒み、武力で諜報員達を捕えようとたくらんだことがあった。それさえなければ、もう少しマトモなやり方ができたというのに。ディスプレイを見つめる男はこの仕事に就いたばかりの頃、先輩にその時のデータを見せてもらったことを思い出す。


 その時の国王はとても聡明な人物だった。彼は国王の権力を増すべく兵を率いて神殿を目指したのだが、王宮を出た瞬間に諜報員達が気象操作システムによって生み出した雷雲から出た雷に打たれて殺された。諜報員達は二度と反逆されないよう、見せしめとして王宮と兵と民間人を落雷で薙ぎ払った。三日後に千人のドナーを服従の印として納めさせたことで事態は沈静化したが、諜報員達は防御策としてあることを講じた。


 それが、成人した王族に電脳化手術を施すことで、こちらの言いなりにするという仕組みだ。そうすれば反乱以前に、こちらを疑うことすらしなくなる。身内の中には突然感情を失った人間をいぶかしがる者もいるかもしれないが、電脳化された人間はこちらのメインコンピュータと脳がリンクするため、非常に頭が良くなる。この世界の人間なら、成人の儀式によって神の力を授けられたのだ、と解釈することだろう。バレる心配はない。


 そして脳に埋め込まれたチップへと信号を送るのが、ここの部屋全体を占める大型コンピュータ、TAC-72だ。ピラミッドの地下に存在するこの部屋は全てTACが仕切っている。王子の警戒心を解くために投影したホログラムもそれによって作られた。

 TAC-72は八十年前から神としてこの国を支配している。もともとは気象管理コンピュータとして使われていたものを予算節約のために転用したらしい。元の世界では完全な骨董品だが、この世界ではまだまだ現役だ。ピラミッドの地下に掘られたパイプから地熱発電を行い、その電力をまかなっている。


 聞いた話によれば、この王国ではTAC-72のことは『魔神』と呼ばれているらしい。確かに、怒りにまかせて大洪水や干ばつ、落雷を引き起こす様は魔神そのものだろう。


「無様なもんだよな」


 先輩の声に振り向く男。わずかにタバコの臭い。


「あの王子、あんなホログラムの幻に騙されやがってよ。神だと信じ切っていたんだろうよ。逃げりゃいいものを」

「……逃げても殺されると思ったんじゃないですかね。落雷で殺されると」

「それはそれでいい臓器が手に入りそうだ。知っているか? 今本国じゃあ、肺がんの患者が増えているらしい」

「タバコ吸うあなたが言いますか」

「それでなんだがな、どうやら肺移植が流行っているんだとさ」

「肺を? でも……それって」

「ああ、肺は死んだらすぐにしぼんじまう。生体肺移植をするには生きたまま肺を移す必要がある」


 男性は先輩の言わんとすることを理解し、眉間にしわを寄せた。悪趣味。


「生きたまま肺をとられるんだよ、この世界の野蛮人共は。楽しいよな、麻酔なしでやったらもっと面白いだろうに」


 先輩の男はディスプレイを操作して、別の画像を表示させた。そこには何十人もの若者たちが、殺菌のための液体が入った巨大な円筒形のガラス管に入れられている。男女問わず、あの者たちはこの処置が終われば解剖される。生きたまま。この先輩はそれを楽しんでいるのだ。狂っている。この人も、政府も。

 そう思いながらディスプレイを見ていると、先輩がこちらに視線を向けた。冷たい目つき。


「何、自分は正義です、みたいな顔してんだよ。お前は毎日美味い飯を食べる方が、あいつらの命よりも大事なんだろう? 偽善者ぶってるんじゃねぇよ。こんな仕事してるお前だって同罪だ」


 その言葉に男は何も言えなかった。

 先輩は、そんな彼をあざけるような目つきで見た後、TAC-72の操作画面を見て、ニヤリと口を歪める。


「まったく、こんな面白いことを見せてくれるなんて」


 先輩はどこまでも残酷な笑みで、言った。



「大した奴だよ。この、魔神マシンは」




<あとがき>


 どうも、スカイリィです。第二作目のオリジナル短編はいかがでしたでしょうか。就活の恐怖のあまり荒んでしまった心を文章にぶちまけた結果このような残酷物語となりました。後悔はしていません。


 それとストレスを小説に叩き込んだためか、今まで痛んでいた胃がかなり楽になりました。

 何かこういうの保健体育の教科書にありましたよね。欲求不満を芸術やスポーツにぶつけて発散するやつ。……『昇華』でしたっけ。


 感想等は気軽に書いてください。


 それと私は大学で文芸部に所属しているのですが、そこで発行している部誌にこの小説を載せようかと考えています。前回と同じです。


 もしどこかの大学へ行って貰った冊子の中に私の作品があっても『スカイリィさんはあの大学にいるよ!』みたいに騒がないでください。

 分かったらこっそり私に伝えていただけるとありがたいです。


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[良い点] スカイリィさんがありがちなファンタジー物?とか思ったらそんなことなかった 雷の力ってところでまさか・・・と思って予想したら予想よりもっとトンデモな設定で更に驚きました 短編なのにしっかりま…
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