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第3話


 翌日。

「へくしゅっ!?」

 寒さからか、自分のくしゃみで目が覚めてしまった。

「…ざむい」

 鼻も呼吸しづらく、喉も少し痛む。

「んー…うへへへへ」

 隣では、リムが全ての布を奪い幸せそうに眠っている。

「この野郎…」

 寝冷えして風邪を引いてしまったようだ。

「ん…あ、おはよう兄さん…」

「おはようじゃない、お前の所為で風邪引いたみたいだ」

「ん…?」

 まだ半分眠っているのか、言ってることが分かっていない様子だ。

 …ぬ。

 冷えたお陰で、尿意を感じる。

 ぱたりと寝てしまったリムを横目に、起こさぬよう部屋を後にした。


「うげ、だるい…」

 頭もぼんやりするし、視界も揺らぐ。

「げほっ、ケホッ…」

 トイレを済ませ、洗面台の鏡に映る真っ赤な顔の自分を見る。

「ダメだ、これはダメだ…」

 薬を飲もうと、居間に向かう。

「あ、おはようレー君。あれ、どうかしたの?」

「あぁ、母さんおはよう。何か風邪引いたっぽい」

「あらあら、大丈夫?」

 背伸びをして、ぴた、と俺の額に手を当てる。

 すると、これまでの怠さが徐々に落ち着いてきた。

「はい、これでもう大丈夫~!」

「…何で?」

 治癒魔法は外傷には効くが、風邪のようなウイルス感染には効果が薄い筈では…。

「うーん、母の力?」

 いや、意味分からないから。

「やっぱり、レー君にはあれが必要みたいね…」

「あれ?」

「そう、あれ。そう言えば、今は付けてないのね?」

 す、すっと指で十字を切る仕草をする。

 あぁ、聖十字架のことか。

「寝るときはさすがに外してるよ。ちょっとトイレに行きたくなってそのまま来たから…着替えるときにまた付けるんだけどね」

「そっか。じゃあ、着替えたらまた母さんのところに来て?」

「うん、わかった」

 母さんと別れ、自室に向かう。

 ん?何か用があるのなら今言ってくれればいいのに…。

 部屋に戻ると、リムはまだ寝ていた。

 昔と変わらず、朝は苦手なんだな。

「うぅ~ん…こっちくんな…冷凍ムダ毛…」

 なんちゅう寝言だ…。

 そそくさと着替えを済ませ、再び部屋を後にした。


「母さん、何か用あるの?」

 居間に行き、朝食の準備をしている母さんに声を掛ける。

「あ、来た来た。でも先に食事にしてね」

「あ、うん。リムは?」

「いつも通りでいいわよ~」

 いつも通り、寝かせておけということだ。

「さ、いただきましょう」

「いただきます」

 いつも通りの食事の時間が進む。

 父さんは早くから仕事をしているし、リムはなかなか起きてこない。朝食は、母さんと二人でというのが日常だ。

「あとで、それ貸してね」

 それ、と聖十字架を指差す。

「?いいけど、どうするの?」

「ちゃんと元に戻さないといけないでしょ?」

「母さん出来るの?」

 意外だ。意外すぎる。そういうのは父さんの方が得意だと思ってた。

「うん、出来るよ~。母さんすごいんだから」

 えっへん、と威張る。この辺りはリムとよく似てるんだよな。

「はは、じゃあお願いするよ」

「はい、お願いされました」

 忘れないウチに、外して渡しておく。

「ん、じゃあ食事が終わったらやるね。集中力ないと出来ないから、教会の地下でやってくるね。ちょっとでも気が乱れると難しくなるから、来ちゃダメよ?」

「ん、わかった。じゃあ後片付けは俺がやっておくよ。ついでにリムの分もやっとく」

「助かるわ~、じゃあお願いしちゃおうかしら」

「うん、お願いされました」


 食事を終え、母さんは教会へと向かっていった。

 俺は片付けを終え、リムを起こしに行く。

「リム、入るぞー」

 がちゃ、と扉を開けて入ると、そこには誰もいなかった。

「あれ?リム?」

「あ、おはよー兄さん」

「うぉっ!?」

 背後から声を掛けられ、驚く。

「な、何?」

「お前、起きてたのか…驚かせやがって」

「ん、着替えに行ってた。ついでにベッドも直しといた」

 見ると、俺のベッドは綺麗にメイキングされていた。

「お、ありがとな。起こす手間も省けたし、リムはいい子になったなぁ」

 親父臭い演技をしてみる。

「私だってもう年頃の女ですから、それくらい出来て当たり前ですの。おほほほほ」

 リムはリムでお嬢様気取りだ。

「朝食の準備が出来ています。こちらへどうぞ、お嬢様」

「うむ、苦しゅうないぞ」

 なぜそこは王様風…?


 居間に行き、リムの分の朝食の準備をする。と言っても、あとは飲み物を用意するだけなのだが。

「あれ、母さんは?」

「教会に行ってるよ。あの聖十字架、元に戻してくれるって」

「え、そんな事出来るんだ…」

 驚いた様子で返す。

「な、そう思うよな…俺もビックリした」

 まさかあの母さんが…だもんな。

「ほれ、コーヒーでいいのか?」

「ミルクたっぷり入れてね」

「ああ、そうだっけ」

 カップを差し出そうとしたが、そう言われたので戻す。ミルクを追加しようとするがカップの中身はいっぱいなので、半分を移し替えそこにミルクを継ぎ足す。

「ありがとー」

「ん」

 残りのコーヒーは、俺もミルクを入れて飲むことにした。

「いただきまーす」

「ん」

 食事を始めたリムだが、すぐに話し始める。

「ね、食べ終わったら母さんのところ行ってみない?」

「あ?集中力が乱れるからダメって言われてる。ダメだよ」

「えー?ちょっと見るくらいいいじゃん。もしやり方分かれば、私にも出来るようになるかもしれないし!」

 えっへん、と威張るリム。

「いや、そこ威張るところじゃないから」

「えー」

「えーでなく」

「うー」

「うーでなく」

「あばばでりゃでぶばら」

「あばばでら…何だ?」

 …もはや何語かすら分からない。

「ふっ、私の勝ちね。兄さんもまだまだね…!」

 勝ち誇った顔でこちらを見る。

「勝負だったのか」

「じゃあ、母さんのところに行ってみよ」

「ダメだっていっただろ」

「勝ったのは私!決定権は私にある!」

 こうなると言うこと聞かないんだよな…。

「…分かったよ。ただ、こっそり覗きに行くくらいにしておこうな?バレたら怒られるのは俺なんだから」

「分かってるって。じゃ、行きましょ」

 いつの間にか食事を終えたリムが立ち上がり、行こうとするのを俺が止める。

「待て」

「何?」

「これ、片付けてからな」

 食後の皿やカップを指差す。

「ちっ、見逃してはくれぬか…?」

 だからなぜ王様口調。

「ダメだ。やることやってからだぞ」

「は~い…」

 かちゃかちゃと片付け始めた。

 それを手伝い、終わらせたので教会へと向かった。


 うちの教会の地下への扉を開けるには、特殊な鍵が必要となる。

 所持している者はいない。

 扉に許された者のみが開けられるという不思議な扉。

 鍵は、扉に触れた者自身なのだ。

「で、リムはこれ開けたことあるのか?」

「ん、ないよ?今まで来たこと無かったし」

 それでこっそり見に来ようなんて、なんと無計画な…。

「ま、今の私にはコレがあるから」

 かちゃ、と聖杖を構え、扉に近づける。

 扉は軋む音をたてて開いた。

「ほらね」

「都合良すぎだ、その杖…」

 神器とは、それほどまでに万能なのだろうか。

「ほら、行こう?」

「あ、ああ」

 扉の先には、明かりのない長い廊下があった。

 いや、長いか短いかすらも分からない…暗い空間だ。

 光の差すような窓もなく、光源となるものもない。

「うわ、真っ暗…。精霊呼ぶかな」

 詠唱を始めようと杖を構えた瞬間、ぱっと光の精霊が現れた。

「え?私まだ詠唱してない…」

「いや、やっぱりソレのお陰だと思うぞ」

 神器の力を得た聖杖は、リムが構えた瞬間にぱっと一瞬光ったのだ。

 リムの思考に応え、詠唱するまでもなく現れたのだろう。

「あぁ、そういう事…すごいね」

 裏を返せば、余計なことを考えたら何が起きるか分からないと言うことだ。

「扱い方、間違うなよ?リム。お前なら大丈夫だと思うが」

「平気。取り乱すことはないと思うから」

 意のままに操るというよりも、少々過剰な反応を示す聖杖に俺はちょっと不安を抱いていた。

 途中、分かれ道に差し掛かる。

「ん、どっちだろ…?」

 歩みを止めた俺たちを導くかのように、光の精霊は左へと進んでいった。

「え、ちょっと、勝手に行かないでよ!」

「お前が悩んだから、案内してくれたんじゃないか?神器の力すごいな」

「そうなのかな…あ、また分かれ道」

 十字に分かれた道を、精霊に従い今度は右折し進んでいく。

「もういいや、君に任せたわ…」

 精霊に語りかけると、ふわふわと浮かび俺たちの周りをクルクルと回る。

「…なんか、喜んでるみたいだな」

「任せてもらえたことが嬉しかったのかな…」

「でも、一応マッピングはしておいてくれ。最初は突き当たりを左に行って、さっきは右に行った。もし迷っても、逆から辿れば帰れるから」

「ん、わかった」

 その後も幾度と無く分かれ道にぶつかるが、その度に精霊は道を選んで進む。

 しばらく進むと、そこには階段があった。

「…音が立ちやすいだろうから、ゆっくり行こう」

「そうね、兄さん先に行って」

「…仕方ないな」

 ゆっくり、一段ずつ慎重に下っていく。

 階段の一段ごとの奥行きが短く、踏み外さないように気を付ける。

 なんとか下り終えると、そこには再び扉が現れた。

 精霊はそこで止まり、パッと消えた。

「行き止まりだな」

「精霊も消えたし…ということは、ここに母さんが…?」

「そうだろうな。しかし、なんでまたこんなところに」

 いくら集中したいとは言え、ここまで来る必要があったのだろうか?

 軽く押してみると、扉が少し開いた。

「ん、開いた…?」

「待て、リム。入ったらまずいだろう」

「あ、そうね…ここから覗くしかないね」

「ああ」

 目を凝らし、部屋の中を覗き込む。

 薄暗くてよく見えないのだが、大きな部屋の中央には巨大な方陣が描かれている。

「あれ、何の方陣だろ…」

「…聞いたことがあるな。天界戦争の後、教会の地下には神の加護が残されたって。だから、あれはきっとその類なんだと思う」

「ああ、なるほどね」

 この方陣を守るために、地下への扉は固く閉ざされていたんだな。また仮に開いてしまったとしても、さっきまでのように精霊の導きが無ければ来られないし、または構造を知らなければここへは辿り着けないんだろう。

「あ、母さん…」

「ん?」

 方陣の中央立つ母さんの姿が見える。

 その目の前には、二つに分かれた聖十字架が浮かんでいる。

「あ、元に戻ってる」

「一足遅かったな、どうやったのか見てみたかったんだろ?」

「うん…でも何か様子が変じゃない?」

 なにやら話し声も聞こえてくるので、耳を傾けてみる。

「…考えが甘かったな。この程度の残りカスの神の力で我を押さえ込もうなど…恐るるに足りぬ」

「そんな、まさか…」

「意外か?お前は自分自身でこの力を抱えていたのだぞ?…まあいい。理由はどうであれ、我はこうして出ることが出来たのだからな。お前はもう不要だ…死ね」

「!?」

 何かとんでもない台詞が聞こえたので、思わず飛び出してしまった。

「誰だ!?」

「いや、それはこっちの台詞だ!お前は何者だ?」

「フン、貴様のようなガキに名乗る名などないわ!」

「うっわ、態度最悪。こういうタイプが私一番嫌い」

 後ろからリムが聖杖を構えながら部屋に入ってくる。

 聖杖は何かに共鳴するかのように強く光り、大きく震動していた。

「!?それは…」

「レー君、リーちゃん!?」

「母さん、大丈夫!?」

「来ちゃダメって、言ったのに…」

 焦燥しきった母さんの声が、震えている。

「娘、ソレはまさか神器だとでも言うのか?」

「そ、そうよ!私今最強なんだからね」

 というリムの表情は、不安に満ちていた。

 目の前の悪魔が余りにも巨大な気を放っているため、少々怯えているようだ。

「ハハハ、威勢のいい娘だ!いいだろう、まずは貴様で腕慣らしだ!」

 ごう、と辺りの空気が舞い上がる。

「ちょっ…なんで悪魔ってそんなに短気なのかなぁっ!?」

「器から離れている以上、思念体としてだけでは形が残せないからだろうな。人から人へ、物から物へ乗り移っていくのが普通だからな」

「兄さん何で冷静に解説してるのよ!」

「え、だって今俺の出番じゃないし…リム、頑張れ!」

「そんな無責任な…うわぁ!?」

 悪魔の攻撃がリムを襲うものの、神器が姿を変えそれを防ぐ。だが衝撃は伝わり、リムはその場に倒れ込む。

「おしゃべりしてる場合か?」

「うっさい、クソ悪魔!ぬ~、怒っちゃったわよ…」

 リムの感情に刺激され、神器は鋭利な槍の形に姿を変える。

「謝っても許さないんだからね…いっけぇー!!」

 投げられた槍は一直線に飛び、悪魔ごと壁に突き刺さる。

「グオォッ!?…フン、驚かせる。このような攻撃我には虫ほどにも感じぬわ!」

 ぐい、と神器を掴み抜こうとするが、抜けない。

「な、何!?」

 神器はそのまま腕を覆い、そこを伝い全身を覆う珠状となる。

 完全に悪魔を覆ったあと、神器は自ら壁と悪魔から抜け、大きな剣と化す。

「死んで後悔しなさいっ!」

「だ、だめ!リーちゃん!」

「えっ!?」

 母さんの言葉は間に合わず、剣は悪魔を真っ二つにする。

「クッ・・・グワアアアァアアァアアァァァア!!!!!」

「あぁっ!?」

 母さんも驚くように声を上げる。

「仕方ないわね…」

 そう呟くと、母さんは詠唱を始める。

「我委ねしは其の証明、未だ見ぬ姿に導け!」

 二つに割れた悪魔の魂の一つを、母さんは自身の身体に吸収した。

「え、ちょっと何やってるの!?」

「いいの、大丈夫!それより、もう一つを聖十字架に…」

 と言い、母さんはその場に倒れてしまった。

「母さん!?兄さん、母さんをお願い!」

「お、おう!」

「こんなチャンスもう二度と来ないかもしれない…今しかないっ!」

 滞空していた俺の聖十字架を手に取り、掲げる。

「我委ねしは其の証明…未だ見ぬ姿に導け!」

 詠唱を受け、辺りの魔力が聖十字架に向けて一気に高まる。

 もう一つの悪魔の魂は、そこに吸い込まれていった。

「ふぅ、これでいいのかな…」

 剣となった神器は再び杖の形に戻り、聖十字架と共にリムの手元へ戻る。

 もう一つの聖十字架をリムが取ろうとするのを、俺が止める。

「ま、待てリム!また近づけたりしたら…!」

「あっ!そうだ、危ない危ない…はい、兄さん」

 差し出された聖十字架を受け取る。

 リムは自分の聖十字架を回収し、首に掛ける。

「ん、これつけるの久しぶり…」

「レー君、暖かい…」

 目を覚ました母さんが、俺の聖十字架に触れる。

「よかった、元に戻ったんだね…」

「うん。でも母さん、何やってたの?こんな危ないこと…」

「ん…大丈夫よ、母さん強いんだもん。ちょっと予想外だったけど」

 てへへ、と舌を出して笑う。

「とにかく、ここ出ようよ。埃っぽくて嫌」

「そうだな。母さん、大丈夫?」

「うん、大丈夫。帰り道、分かる?」

「ああ、それはリムがマッピングして…って、リム?」

 焦った顔を浮かべるリムだが、すぐに取り繕うように言う。

「だ、大丈夫、マッピングね…した紙、さっきのでどっか行っちゃった」

「はぁ!?」

「いやあー、あまりにも衝撃が強かったからねぇ。ほら、あのクソ悪魔の気のお陰で随分風が舞ったでしょ?」

 …こいつ、マッピング忘れてたな?買い物頼んだのに必要な物忘れて他の物買ってきてしまったときの言い訳に似てる、コレは。

「ふふ、大丈夫よ~。リーちゃんも、こっちにおいで」

「?」

 母さんに呼ばれ、リムがこちらに来る。

「じゃ、行くよ~」

「「え?」」

「我乞うは、嶺道の鍵~」

 初めて聞く詠唱の後、俺たちは地下への扉の前にいた。

「はい、到着」

「「えええええっ!?」」

「そんなに驚くことないでしょ?母さんすごいって言ったじゃない」

 うふふ、と笑う。

「いや、これすごいとかそう言う次元の話じゃない」

「空間転移…なの?」

「ぴんぽ~ん!母さん頑張っちゃった~」

 えへへ、と笑う母さん。

「母さんすごーい!ね、私にも教えて!」

 教えを乞うリム。

「ん~、リーちゃんにはまだ無理かな~。それより、お腹空いちゃった。買い物して、昼食にしましょう!」

「元気だな母さん…」

 そのまま、三人で商店街へと出かけることになった。


「なんかもう面倒だから、どこかで食べない?」

「そうね~、母さんアーレンベルクさんのところがいいな」

「えー、カイルのとこー?」

「普段だったらいいけど、今はちょっと止めておいた方が…」

 大宴会がまだ続いてそうだしな…。

「そう?じゃあ、リーちゃんに任せる~」

「じゃあ、あそこがいいかな」

 視線を向けたのは、リム行きつけの喫茶店だ。

 俺は入ったことがないのだが、リムがずっとお気に入りと言っていた店だ。

「ここ、普通に食事も出来るんだよね。個室もあるし、さっきので話したいことがあるからここでいいかなって」

「うん、いいよ~」

「まぁ、何でも」

 店の扉を開けて入る。

「…いらっしゃい。ああ、リム。いつもありがとうね」

「いらっしゃいませー!あ、リムお姉ちゃんだ!」

 二つの声に歓迎され、店内に入っていく。

「今日は家族も一緒だよ」

「いらっしゃいませ。いつもリムには来てもらってて感謝してるんですよ」

「やだもうおじさんったら!そんな感謝なんて別にいいんだって、私が好きで来てるんだからさ」

「まぁまぁ、それはどうもいつも娘がお世話になっております、母でございます」

「で、こっちが兄」

「シンプルな紹介だな!?」

「おや、本当にそっくりですね…」

「お姉ちゃんが二人いるみたいー!」

 店主だろうか、初老の男性と女の子が迎えてくれた。

「今日はちょっと、奥の個室でもいい?」

「はーい!ご案内いたしまーす!」

 女の子に導かれ、奥の方へと進む。

 個室に入り、席に着くとリムが開口一番

「私先にいつもので!」

 と叫ぶ。

「なんだそのおっさんみたいな感じは…」

「じゃ、私も同じの~」

 何を頼んでるか知らないはずなのに、母さんはリムに乗った。

 俺はどうしようかな…。

 置かれているメニューを取り、一覧を眺める。

「…ん?」

 喫茶店では見慣れないメニューが並んでいる。

 エスプレッソ~そよ風のエチュード~

 野菜畑のリグレット~ムール貝の雄叫び・ガーリックソースを添えて~

 ホットケーキ~空回りの午後~

 名酒・銃創のアレグロ~硝煙の香り~

 …ものすごい不安だ。

「リ、リムは何頼んだんだ?」

「ん?私はフルーツケーキとハーブティー」

「わ、母さんも同じのだよね?当たり引いたかも~」

 昼食代わりに甘い物ですか…。

 メニュー表を見てみる。

「店主自慢のフルーツケーキ~戦場に散った初恋~、アニスのハーブティー~思い出は砲弾と共に~…?大丈夫なのかこれ…」

「うん。名前は変だけど美味しいよ。兄さんも早く何か頼んだらいいのに」

 とはいえ、コレはかなりの賭けだぞ…?ムール貝の雄叫びって一体何なんだ。安全そうなのはないか…?

「ん、じゃあ俺はコレにしよう。あとパンと…飲み物は水でいい」

 白身魚のソテー~夢幻の咆吼~、と書かれたモノだ。後半が気になるのだが、普通の料理のような気がする…。

「ミルフィナちゃーん、お願ーい」

 リムがそう呼ぶと、先程の少女が現れた。

「はい、ご注文お決まりですか?」

「あ、この白身魚のソテーとパンで。飲み物は水でいいよ」

「かしこまりました、パンは三種類ありますが、どれになさいますか?」

 メニュー表を見ると、確かに種類が書かれている。

 ロールパン~巻かれるより巻かれろ~

 クロワッサン~世間の荒波~

 ライ麦パン~脅威の粘り~

 …どれも辛い響きだ。

「ど、どれが料理に合うかな?」

 頭が混乱しているので聞いてみる。

「魚料理ですと、やはりライ麦パンでしょうか。酸味もありますので、ちょうどいいと思いますよ」

「じゃ、じゃあそれで」

「はい、かしこまりました!少々お待ち下さいませー!」

 ぱたぱたと戻っていった。

「あぁ、癒されるな~」

「お人形さんみたいね~、二人の可愛さとはちょっと違うタイプ」

 女性陣二人は、あのミルフィナという子に悩殺されている。

「あー、あんな妹欲しいな~」

「うん、あんな娘がいたら楽しそうね~」

「まぁ、賢そうだしよくお手伝いもしてくれそうだし、少なくともリムよりは家庭の役に立ちそうだな」

「…否定できない自分が悔しい」

 そんなにお気に入りなのか。

 …ん、もしや?

「お前、もしかしてあの子目当てでここに通って…?」

「そうだけど?まあ、普通に料理もお茶も美味しいからってのもあるけどね」

 …妹よ、お前の苦手なクルカさんと変わらないぞ…?

「お待たせしました、フルーツケーキとアニスティーのセットお二つです!」

「おっ、舞ってました!」

「待ってたんじゃないのか」

「気持ちの問題よ、ありがと、ミルフィナちゃん」

 なでなでと、頭を撫でてやるリム。

「えへへ~」

 それを嬉しそうに受け入れるミルフィナ。うーん、なんて素直な子なんだ…。

「あ、お兄ちゃんのもすぐ出来るから持ってきますね!」

「あ、いいよそんな走らなくても…あ」

 足を絡ませてしまい、倒れそうになる。

「か、風の抱擁!」

 気付いたリムがとっさに詠唱し、倒れそうになったミルフィナを支えるようにして風が起きた。

「危なかった…」

「あ、ありがとうお姉ちゃん!」

「いいのいいの!さ、行きなさ~い」

「はーい!」

 元気いっぱい、また走り出す。が、すぐに止めて早歩きに変えた。

「健気でいい子ね~、本当に」

「でしょ?守ってあげたくなるのよね」

 というか、見てないとちょっと不安になるような子だ。

「じゃ、母さんに質問」

 リムが話を変える。

「うん、答えられる範囲で答えるね」

 答えられない領域もある、と言うことか。

「じゃ、一つ目。あの悪魔は何者?どこから、何のために現れたの?」

「一つ目って言うか、一気に三つ聞いたぞ」

「兄さん細かい。で、どうなの母さん」

 少し考えた後、母さんが口を開く。

「見られちゃったんだもんね、それはもう隠せないかな」

 一呼吸置いて、母さんが続ける。

「あれは、私の中に眠る力を具現化させた者よ。どこからというのは、そのまま私の中からね」

「!?」

 衝撃的だ。

 確かに母さんの力は強い。でも、あれほどまでの者を抱え込んでいるとは…。

「理由は、レー君の聖十字架にあの悪魔の一部分を封じて、元々の意味と同じ状態にするため。あ、おいし~いこのケーキ」

 むぐむぐ、と食べながらも話を続ける。

「質問はそれで終わり?」

「あ、あとどうやってあそこに行ったのかと、なんであんなところで?」

「どうやって、はお前も経験したろ?空間転移だよね」

 うんうん、と頷きながらハーブティーを口に運び、こぼす。

「あ~、あららら」

「もう、母さんったら…はい、大丈夫」

「リーちゃんありがと~」

 すぐさまリムがハンカチで拭き取り、事なきを得る。

 ほんと、どっちが子供だよ…。

「じゃ、続きね。あの場所を選んだのは…あの力を少しでも抑えるためと、もし失敗してもあそこに閉じこめておくことが出来るから、余計な被害が出ないようにって思って。私は空間転移で逃げられるしね」

 ん?

「いや、多分それは無理だと思う」

「え?」

「だって、母さんはその悪魔の力を使役することで、いろんな術が扱えるんだよね」

「…あ」

「分離したら、力がなくなってる状態だと脱出なんて出来なかったんじゃないかな」

「…そこまで考えてなかったわ、てへ」

 舌を出して笑う。

「母さん、実はとんでもなく危険な状況だったんじゃ…」

「ご、ごめんなさい」

「お待たせしました、白身魚のソテー夢幻の咆吼とライ麦パンです」

「お、来た来た…なんだコレは」

 確かに白身魚だ。色は白すぎるほどに。

 そして、遥か遠洋を数千キロと移動する大きな魚の頭の部分が鎮座している。

「ほぇ~、すっごいの来たね…」

「はい、マスターが『いつもお世話になってます』っていう気持ちを込めて、また元気になって欲しいという願いも込めて、と仰っていましたので…特別版です!」

 余計な気遣われた…。

「あ、ありがとうと伝えておいて…」

「はい、かしこまりました!」

 嬉しそうに、ミルフィナは駆けていった。

「さて、どう食えばいいんだ…」

「ガブリといくのが男ってもんでしょ!」

「レー君、がんば!」

 応援されなければいけないほどの物体だということがお分かりだろうか…。


「ありがとうございました、またお越し下さい!」

 食べてみると意外と普通で、あっさりと平らげることが出来た。パンも程良い粘り気と酸味があり、魚料理とよく合った。

「ね、いいお店でしょ?」

「ああ、結構よかったな」

「また来ようね~、レー君が帰ってきたら、あそこでお祝いしようか?」

「ん~…カイルんとこが黙ってないような気がする…」

 我先にと押し掛けてくるだろうな。

「別の日でいいんじゃない?ゆっくり出来るし、旅の疲れを取るにはいいと思うよ」

 だが、また変な気を遣われて特別版!とされるのは少々気が引ける。

「まあ、その時になったら考えよう」

「うん、そうだね~」

 話している間に、家に到着する。

「ん?人の気配がする…」

 窓から中を覗いてみると、父さんが一人で食事をしていた。

「「「忘れてた…」」」


 自室に戻り、ベッドに寝転がる。

 とん、とん。

 控えめに、扉がノックされる。

 …母さんか。

「どうぞー」

「レー君、ちょっといいかな」

 神妙な面持ちで、母さんがこちらに近づいてくる。

「ん、何?」

「うん、さっき説明し忘れたことがあって」

 律儀にも、伝えに来てくれたらしい。

「あぁ、リムも呼ぶ?」

「ううん、レー君だけでいい」

 すとん、と部屋の椅子に座る。

「レー君、ありがとう。それと…ごめんなさい」

 深々と頭を下げる。

「え…何が?」

 何に対して礼を言われ謝られているのか、さっぱり分からない。

「私の力、貰ってくれて」

「え?」

 涙を浮かべる母さんの言葉の続きを待つ。

「父さんと結婚したときは、もう悪魔の力がほとんど無くなってて…いろいろあったんだけど、そのお陰で結婚できたんだけどね。でもその後、あなた達二人が産まれてから…少しずつ、その力がよみがえって来ちゃったの」

「…何で?」

「わからない。お腹の中のあなた達が私の力を受け継ぐことで、私自身の力と呼び合ってしまったんじゃないかと思うのだけど…本当のところは分からないわ」

「…」

「それから二人が成長するに連れて、私の中の力もどんどん膨らんでいった。そんな時、レー君…あなたが、怪我をしたときのことを覚えてる?」

 さんざカイルとはしゃいで遊んでいた頃があったから、どれのことを言っているのか分からない。

「レー君が、遊んでる途中で足を踏み外して頭から木にぶつかっちゃったことがあるの。覚えてない?」

「覚えてない…」

 っていうか、なんだその恥ずかしい怪我の仕方は…。

「私もビックリしちゃって、お父さんから教わったばっかりであんまりうまく使えなかった治癒術を使ったの」

「…」

「見事に成功だったわ。…その時に気付いた感覚があるの」

 少し躊躇った後、母さんはさらに続けた。

「力を使うことで、レー君は治る。そして、私の中の力も消費されていったの」

 …ふむ。

「私がレー君に力を使えば使うほど、私自身の力は私の負担にならなくなった」

「…負担?」

「…うん。あれだけの力、抑えておく方が大変だったんだよ?」

 そうだったのか…。

「罪悪感があったの。レー君に押しつけて、私が楽になってるなんて…とてもじゃないけど、誰にも言えなかった」

 日に日に大きくなっていく悪魔の力。

 それを消耗させるために、自分の息子を使う。

 …確かに、人に言えるような事じゃない。ただでさえ、それが理由で結婚を反対されていた経緯があるのだから。

「もちろん、自分自身での解決の方法も探したわ。でも、それにはやっぱりレー君が関わることになってしまう…」

「どういうこと?」

「…悪魔を退けることが出来るのは、神か神器のみ。でも、私は神じゃなければ神器なんて持ってない。だとすると、方法は一つ」

「…封印すること」

「そう。でも、そのためにはきちんとした物じゃないとその役割を果たせない。適当な物だとすぐに力が溢れだして、抑えることが出来なくなる。自分は良くても、他人に被害が出るかもしれない…。そう考えると、怖くてできなかった」

「だから、仕方なく俺にその力を分け続けた…?」

「…うん。ゴメンね、勝手なことしてて…でも、それももうしなくて済むようになった」

 …さっきの教会地下でのことだろうか。

「レー君の聖十字架に封印できたお陰で、私自身の力は半分…いいえ、完全体では無い分それ以下になってる。身体の負担も心の負担も軽くなったわ…ふふ、駄目な母親よね」

 泣きながら笑う。

 …母さんは、ずっと一人で悩み苦しんでたんだ。

 責められるわけがない。

「俺に、母さんを責める理由はないよ。理由はどうあれ、母さんは何度も俺を助けてくれた。生きさせてくれた」

「レー君…」

「ありがとう、母さん。こっちが感謝しなきゃいけないくらいだよ」

 俺の言葉を聞いた直後、母さんは大粒の涙を流し俺に抱きついてくる。

「ごめんね、ごめんねレー君…許してくれて、ありがとう…」

「母さん…許すも何も、怒っても恨んでもいないんだから。泣かなくていいんだよ」

「ううん、これは、嬉しいから…」

 ぐいぐい、と顔を埋めてくる。

 よっぽど辛かったんだな…今は好きにさせてあげよう。涙で濡れた服を冷たく感じたが、心は温かい気持ちになった。

「ぐすっ、ちょっと安心したらお腹空いてきた」

 へへ、母さんはいつものような笑顔を見せた。

「んー、でも気になることが一つだけあるんだ」

「何?レー君」

 一瞬怯えるような顔をする。

「いや、母さんも一度、自分の力が完全に抜けちゃったんだよね?」

「うん」

「俺の場合は物理的にも一度死んでるから、またちょっと違うんだけど…身体は何ともないの?」

 魂のバランスが崩れ、それが再び戻ったんだ。身体が受ける違和感や衝撃は相当なものだと思うのだが…。

「うん、何も変わらないよ?さっきも言ったけど、力が弱くなったお陰で身体はむしろ前より元気だしね~」

 ほら、と腕にコブを作る仕草をする。

「そっか…やっぱ母さんはすごいな」

「母は強し、よ?子供のためなら何だって出来ちゃうんだから!」

 精神論で来ましたか。でも、それも悪くない。

「はは、頼もしいな。それじゃ、何か作って食べようか?」

「うん!レー君作ってくれるの?」

「ん、リムに作ってもらう方がいい?」

「…お断りします」

 何か思いだしたのか、母さんは何かに怯えるように細かく震え始めた。

 リム、何作ったんだ…?


 夕食の時間が近づき、街は買い物客で賑やかになり始める。

「昼間買い物しようと思ってたけど喫茶店に寄っちゃったし、そのまま帰っちゃったでしょ?夕食の材料が無いからレー君買ってきてほしいな~」

 と母さんに買い出しを頼まれたため商店街へとやってきたのだが…。

「何を買えばいいのか忘れた…」

 確かに、あの時にメモを渡されたのだが…ポケットをまさぐっても、見つからない。

 帰ってまた聞きに行ってもいいのだが、リムに馬鹿にされそうでちょっと嫌だ。

 う~む、どうしたものか…せめて何を作るかさえ聞いておけばよかったな。

「ぬ、レクリムではないか」

 背後から名前を呼ばれ、振り向く。

「あ、クルカさん。買い物ですか?」

「ああ、まあな。君もか?」

「はい、でも買い物のメモが無くなっちゃって、何買えばいいのか分からなくて」

「子供かね君は」

「うぐっ」

 ちょっと思ってたことなので、耳が痛い。

「戻って聞いてくればそれで済む話だろう」

 やれやれ、と首を振る。

 このままだと説教モードになりかねないな…。

「大体君は…」

「あ!そういえばクルカさん、今日はこの間みたいな格好じゃないんですね!」

 話を遮り、こっちのペースに引き込もうと試みる。

「ん?まあな、あんな格好で出歩くのはちょっとな…」

「え、でもうちまで来てくれたときはあの格好のままだったじゃないですか」

 つん、とクルカはそっぽを向く。

「…ああ、思い出したくもないことだな。あの後大変だったんだ…」

「へぇ、何があったんですか?」

「思い出したくもないと言っただろう」

「いや、そこまで言われると気になりますよ」

「…君の家からの帰りのことだ」

 お、話してくれるようだ。もう余計な口は挟まないで聞くことにしよう。

「何やら頭の悪そう男共が急に話しかけてきてな。やれ遊ぼうだのやれ食事に行こうだのうるさくてな…」

「うわー、大変でしたね」

 ナンパに遭ってたのか。可哀相だな、クルカさん。面倒ごとも人混みも苦手だというのに…。

「あまりにもしつこかったのでな、追い払おうと思って護身用のナイフを取り出そうと思ったのだが忘れてきてしまっていて…」

「あらー」

「仕方無く、持っていた金槌で殴りかかってみたのだが…。これがどうにも扱いづらくてな…ほら、頭が重くて振り回されがちだろう?金槌を振ると」

「…はぁ」

 同意を求められても…金槌を人に向けて振るったことはないのでわかりません。

「それで悩んでいる間にそいつらは逃げ出していて、私は金槌を握ったまま一人になってしまった」

「ほうほう」

「おかげで治安部隊に殺人者と間違えられて、解放されるまでかなりの時間が掛かってしまってな。そんなことがあったんだよ」

「…大変でしたね」

「だから、外ではよっぽどでない限り着ないことにした」

「まぁ、そういうことなら仕方無いですよね」

「全くだ」

 だが、そう答えるクルカの顔はどこか悲しげだ。

「というか、なんで金槌なんて持ってたんですか?」

「ああ、鍛冶師のところへ行ってたんだ。建物の老化が気になってな、補修しようと思ったのだが道具が古くて使いづらくてな…」

「新しいの買ったんですね、そういうのも全部自分でやるんですか?」

「もちろんだ」

 金槌を取り出し、ぶんぶんと振り回す

「あ、危ないですよ!」

「そうか?一度振り回したらコレが意外と心地よくてな。気に入った」

 全く…銃、ナイフときて金槌…なんでこの人は危険物をそう簡単に振り回すのか。

「おっと、呼び止めてしまって悪かったな。買い物の途中なんだろ?」

「あ、そうだった…」

 でも、何を買うのか未だに思い出せないんだよな。

「ふむ…助言するとすれば、家族のうち誰かの好きな料理の材料でいいと思うぞ。買ってきた物が違うと言われても、そう文句を言われることはなかろう」

「あ、それいいですね」

 確かに、それなら言い訳も立つ。材料が安売りしてたから、例えばリムが好きだったよな~とか、母さんコレ好きだったよね~と言っておけば丸く収まるだろう。

「ではな。夜道は気を付けろよ」

「はい、ありがとうございます」

 クルカに別れを告げ、商店街を歩く。

「とはいえ、誰が何好きだったかなんてそう憶えてないぞ…」

 二人とも甘いものが好きなことは知っているが、まさかそれを夕食にしてしまうわけにはいかない。

 くそう、このままではせっかくのアドバイスも無駄になってしまう。

「ん?あれは…」

 商店街の人混みの中をちょこちょこと動き回る、頭にリボンを乗せた小さな生き物を見つけた。どうやらすぐ近くの店に用があるらしいが、人の壁が出来ていてうまく入れないようだ。

「ミルフィナ…?なにやってるんだ?」

「あ、お姉ちゃんのお兄ちゃん!こんばんは」

 ややこしい覚え方をされてしまったようだ。

「こんばんは、買い物?」

「はい!お店のお野菜で足りなくなったものがあって、お使いに来たんですけど…」

 野菜を売っている露店の前には、次々と人が押し寄せてくる。

 あそこに呑まれては、ひとたまりもないだろうな…。

「よし、俺が代わりに行ってきてあげるよ。何が必要なんだ?」

 ぐい、と腕まくりをして臨戦態勢に入る。

「そ、そんな悪いです!」

「いや、人が減るの待ってたら欲しいものが買えなくなるかもしれないぞ?」

「うぅ、それは困ります…」

「いいから、任せろって。それで、何が必要なんだ?」

「あ、ありがとうございます。それでは、赤パプリカと青芥子を一袋ずつ、ズッキーニを20本とトマトを2kgお願いします!」

 はい、とお金を渡される。

 しかし地味に注文数多いな…忘れないウチに突入するか。

「お母ちゃん、キャベツ一玉とジャガイモ2kgな!」

「とっつぁん、こっちはニンジン5本とエシャロットを三袋頼むわ!」

 次々と注文する客を、二人がかりで捌いていく露天商の夫婦。

 隙を見て、声に紛れて注文する。

「絶世の美人と男前の旦那!赤パプリカと青芥子を一袋ずつ、あとズッキーニ20本とトマト2kg!よろしく!」

 狡い手ではあるが、こちらの注文の優先度を上げさせるためにおだてておく。

「全く、お兄さんも口がうまいね!ほれ、もっていきな!ちょっとだけサービスしといたかんね!」

 注文品が袋詰めされた物をうけとり、お金を渡す。

「ん、金ちょっと多いな。ほれ、釣り銭!」

 がさ、と買い物袋の中に詰め込まれた。

「あ、ど、どうもです」

 勢いの良さに圧倒されてしまった。

「また来てくんな、兄さん。今度はもっと誉めてくれよな!」

 主人は俺の肩をぽんぽんと叩き、次の注文を受けに行った。

 ふぅ、任務完了。

「ほら、これでいいか?」

「はい、ありがとうございます!お姉ちゃんのお兄ちゃん、すごいです!」

 きらきらと目を輝かせ、羨望の眼差しを受ける。

「はは…でも、あんまり多用したらいけない手段だから、真似しないようにね」

「そうなんですか?わかりました!」

 うむ、素直でよろしい。

 荷物を手渡そうとするが、思いとどまる。

「この量と重さだと持って帰るの大変だろ?近くだったと思うし、持っていくよ」

「そ、そんないいですよ!何から何まで」

「子供が遠慮するなって。さ、行こうか」

 ミルフィナを置いて、先に歩き出す。

「あ、待ってくださ~い!」

 その後を追ってくる姿が、なんとも健気だ。


 店に入り、カウンターの上に荷物を置く。

「よっと、ここでいいか?」

「はい、本当にありがとうございました!」

 そう何度も感謝されると照れるな…。

「お帰り、ミル。おや、君は…」

「あ、昼間はどうも。気を遣わせちゃったみたいで」

 にこ、と微笑む店主。

「いえ、私が勝手にやったことですから。ところで、もしかしてミルを助けてくれたのですか?」

「ええ、まぁ…あそこは戦場ですからね」

「これはとんだご迷惑を…私が買い忘れていたのにミルに頼んだあげく、君にまで迷惑を掛けてしまうとは…」

「そんな、迷惑だなんて全然。俺が勝手にやったことですから」

「何か変だね、二人して謝りあってる」

 ミルフィナが???という表情で話しかけてくる。

「大人というのはそういうものさ」

 がさごそと、買い物袋から物を出していく。

「おや、頼んだ量より多いな…」

「え?」

 カウンターに並べていくと、赤パプリカと青芥子が一袋ずつ、ズッキーニが…30!?トマトは見た目じゃ分からないが、2kgを軽く越えていそうだ。

「しかし釣り銭は合っているな…」

「あ、店主がちょっとだけサービスしたからっていってくれたのは覚えてます」

「…サービスにしては随分気前がいい量だな。どれ、これは君が持っていくといい」

 余分になった分を差し出される。

「え、いいですよそんな…お客さんに出す物ですよね、また足りなくなったりしたら面倒でしょう?」

「大丈夫、元々多めに頼んでおいたんだ。ほら」

 ぐい、と半ば強引に手渡されたズッキーニとトマトの入った袋。うーん、帰ったらサラダにでもしてもらうか…。

「あ、じゃあ私も!」

 たたた、と奥に行き、すぐに戻ってくる。

「これ、どうぞ!」

 そう言って出してきたのは、なにやら可愛く包装された袋。

「ああ、それはいいな。持っていくといい」

「これ、何ですか?」

「お客さんにお持ち帰り用で売っているクッキーだよ。形が悪くなってしまったり、割れてしまって売り物にならなくてな…捨てるのももったいないから、そういうのが出来てしまった時にはいつもミルにあげているんだ」

 第一印象で、店主のことを無口そうだなと思っていたのだが、意外と話しやすい。大人の男は、こうあるべきだという見本になり得そうだ。

「え、でもミルフィナの分じゃ…」

「私は大丈夫です!いつも頂いてますから。それに、これはお礼の気持ちです!」

 そうまで言われて受け取らないわけにはいかないだろう。

「わかった、ありがたく頂戴するよ」

 それを受け取り、先程の袋の中に入れる。

「あ、そうだ…」

「「?」」

「リムって、いつもあれしか頼まないんですか?」

 昼のことを思い出す。

「お姉ちゃんは、いつもあれですね。たまに違うのを頼んでくれることもありますけど」

「あ、それ教えてくれないかな。実は…」

 俺が買い物に来ていた理由を話す。

「なるほど…そうだな、これは注文してもらったことがあるな」

 メニュー表を持ち出し、指差したのは

 サーモンの逆襲~海の恵みに恋焦がれ~

 だった。

 やはり意味が分からない。

「ははは、サーモンを蒸し焼きにしてホタテやムール貝を混ぜて、バターとバジルベースの焦がしソースをかけただけの簡単な料理だよ。サーモンの持つ可能性の表現、そして貝を使っただけでは芸がないから、ソースをちょっと焦がしてみたことで美味しくなったことから、命名したんだ」

 なるほど、センスが高すぎて説明を受けても良くわからない。

「あ、これお姉ちゃんがすごく気に入ったって言ってたよ!」

「そうなのか?」

 ならば、これで決定だ。

「ありがとうございます、助かりました」

「いやいや、こっちこそ助かったしね。また機会があったらいつでも来るといい」

「はい、それでは」

「またね、お兄ちゃん!」

 どうやら、リムの兄としてではなく一人の人として認識してもらえたらしい。


 必要な材料を買い揃え、帰宅する。

「ただいまー」

「おかえり、レー君。遅かったのね」

 ぱたぱたと駆け寄ってくる母さんに、理由を告げる。

「ごめん、まあちょっといろいろあって…はい、これ」

 買い物袋を渡す。

「あれ、何か多いね。どうしたの?それに、頼んだ物と違うね」

「うん、実は買い物のメモ無くしちゃって、それからいろいろあってこんな事に」

 がさごそと、袋の中身を選別していく。

「うん、でもこれだけあれば色々作れるかな。結果的には大丈夫だよ、レー君!」

 その言葉にホッとした。

「でも、何で私の得意料理の材料知ってるの?」

「あ、そうなんだ。実は、あの喫茶店のマスターに教わってさ」

 喫茶店での出来事を説明する。

「あの料理、私がマスターに教えてあげたんだ~。そっか、そんな素敵な名前のメニューになってたんだ、全然気付かなかったわ」

 ふふふ、と笑う。

「え、母さんあのマスターと知り合いだったんだ」

「うん。お店やる前に、神様にお祈りに来てたの。その時に、主婦の観点からかにか家庭的な料理があれば教えて欲しいって頼まれちゃって…」

 それで、その料理を教えたのか。

「でも、久々だな~これ作るの。父さんが苦手だって言うからあんまり作らないようにしてたんだけど、今日はもう作っちゃおう!」

「そうなんだ…」

 ごめん、父さん。知らなかったことだから許してくれ…。


 台所を離れ、ミルフィナに貰ったクッキーを持ってリムの部屋へ向かう。

 とんとんとん。

 リムの部屋の扉を叩く。

「兄さん?何か用ー?」

 扉の向こうから声が聞こえる。

「お土産ををお持ちしましたが」

「何っ!」

 がちゃ、と扉が開く。その勢いはまるで獲物を狙う獣のように素早く、急所を狙うかのように的確に、扉は俺の額に甚大なる衝撃を与えた。

 ごっ!

「あ、ごめん兄さん…大丈夫?」

「お、お前なぁ…」

 扉の近くにいた俺も悪いのだが、間髪入れずに開ける方もどうかしてる。

「我が喚び声に集え生命の流動、其の歌声は神の息吹っ!」

 治癒術の詠唱をするが、俺の額にその効果は現れなかった。

「うーん…やっぱり変だ…」

「…どうかしたのか?」

 なにやら悩んでいるようだ。

「術の発動が、なぜか安定しないのよ」

「え?」

「今だって、兄さんには当たらなかったでしょ?でもほら」

 振り返り後ろの方を見ると、壁の木版の一部から木の枝が生えてきている。

 …治癒の果て、生えてくるとは…。

「どうすんだよこれ」

「洗濯物でも干す?」

 けたけたと笑い出すリム。

「全く…あとでちゃんと切って、ヤスリを掛けて平らにしないとな…」

「ふへへ、洗濯物干して人みたいにしようかな…あ、おみやげ!」

「あぁ、忘れてたな。ほら、これ」

 持っていた袋をリムに手渡す。

「こっ、これは・・・・・!?」

「お、分かるのか?」

「分かるも何も、これは数少ない限定品…ミルフィナちゃん特製・手作りクッキーじゃないの!?どうしたのこれ!」

「あ?」

 何か聞いた話と違うぞ?

「なんで!」

 ああ、うるっさい…仕方無く、喫茶店での出来事を話す。

「なるほど、ミルフィナちゃんを助ければ、入手できるのね…!」

「いや、別に入手目的でやったわけじゃ」

「その結果、ここにあるのよ…兄さん、これがどれだけ貴重なものかわかってるんでしょうね!?」

 盛り上がっているところ大変申し訳ないが、

「知らん」

「…仕方無い、説明してあげましょう」

 咳払いをして、説明を始める。いや、別にいいんだけど…。

「いつもはマスターが全てのお菓子を昼過ぎから作るのだけれど、あ、これ何でかって言うとお土産用の物が昼頃には売り切れちゃって、新しく作るからなの。なるべく出来たての味を届けたいというマスターの心意気なのよ。それで、ごくまれにミルフィナちゃんが作ってもいいという許可が降りる」

「誰から?」

「マスターからに決まってるでしょ!?」

 怒られた。なぜだ。

「で、その条件はその時その時の仕事内容の善し悪し、またはマスターの気分なんだって」

「へぇ?」

「おそらく、今日のマスターは機嫌が良かったんじゃないかしら?理由は分からないけど、そういう日もあるんだって」

「うん」

 って言うか本題までが長い。

「でも、まだ上手くできないらしくて成功例は少ないって言ってたわ。私は失敗作でもいいからちょうだいって言ってたんだけど、拒否され続けててね…」

「そうかい…」

「…作らせてもらえること自体が少なく、また成功例も少ない。そんな貴重な一品なのよ、これは!」

 すばーん!という効果音が聞こえてきそうな決めポーズを取る。

「なるほど、わかった」

 私が作った、と言うのが恥ずかしかったのだろう。だから、マスターが失敗した物と言って渡してきたのだろうな。なんともいじらしいではないか。

「で、ここここれは頂戴してもよよ宜しいのかしら?」

「何を動揺している…」

 あからさまに興奮している。

「だだだだってみみミルフィナちゃんのってて手作りなんて…もう私、召されてもいいくらい幸せ…!」

「…それは良かったな」

 完全に自分の世界に入っているリムを無視して、自室へと戻った。


 母さんの料理は、俺が予想していた以上に美味しかった。やはり、あのメニュー名が食欲を失わせているんだよな…。

 リムも、自分の好きな料理と言うことで喜んでいた。

「あぁ、私今日は幸せだ…」

 恍惚の表情を浮かべるリム。

「父さんは…父さんは、切ない一日だった…」

 昼も一人、夜も苦手なメニュー…父さん、頑張れ。


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