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第2話

 2


 明るい光を感じ、眠りから覚めた。

「!?いたたた…」

 少し寝返りをうってみると、身体の奥が痛い。

 奥と言っても、どこがどうというのではなく芯から砕けているような感覚だ。

「う、ん…」

 俺が動いたことで、傍で寝こけてしまっていた母親が起きる。

「もうだめ、これ以上は…」

 涎を垂らしながら、だらしない笑顔で寝言を放つ。

 だが、何でいる?それにここは俺の部屋じゃないか。

「もう、だめ…食べきれないよぉえへへへへ」

 寝てるのか?寝言にしては馬鹿馬鹿しい。

「母さん、起きて…そんな風に寝てたら身体痛んじゃうよ」

「ん、ケーキおかわり…」

 ほい、と手を出してくる。

「いや、どうしろと」

 仕方なく、手を置いてやる。

「いただきます…」

 そのまま口に運ぼうとしたので、全力で手を引いたが離すことが出来ない。このままでは喰われてしまう。

「ちょ、母さん、母さんってば!」

 耳元で大きく問いかける。

「ん…ふぇ?あ、レー君だぁ…」

 ぱたん。

 俺の手を食す前に、再び寝こけてしまう母であった。

「全くもう…母さんってこんなんだったっけ…?」

 記憶の限り、母さんのこんな姿は見たことがない。

 …恐らく、ずっと付きっきりで傍に居てくれて疲れているのだろう。心配させてしまってごめん、母さん。

 少しずつ昨日のことを思い出してみる。

 確か、突然意識を奪われたと思ったら意識が戻って、でも逆に身体が勝手に動いていて…洞窟の深くまで辿り着いた後、神器を見つけて。リムの聖杖と神器が融合して、そんでリムも何かに操られるように俺と戦い、そして…。

 はっと気付き、刺されたであろう部分を捲る。

「これは…」

 まるで火傷して黒く変色してしまったかのような拳大の痕が残っている。

 恐る恐る触れてみるが、痛みを感じることはない。

 ただ、なんだかウズウズしていて気味が悪い。人間としての治癒機能の働きだろうか、とても不思議な感覚だ。

「あ、レー君起きた!」

 母がばっと目覚める。

 それはこちらのセリフです。

「母さんこそ、何度呼んでも起きなかったじゃない」

 やれやれだ。

「何言ってるの、もう三日も眠り続けてたのよ?」

「はぁっ!?」

 三日もだと!?感覚的にはせいぜい夜寝て朝起きずに昼間に起きて、といったくらいなのだが…。

「母さん、そろそろ代わるねー」

 扉をノックし、リムが入室してくる。

「あ、リーちゃん!レー君起きたのー!」

「ぬああっ!?本当だ!」

 そんなに驚かなくても…でも、三日起きなかったのだから当然と言えば当然の反応でしょうけど。

「ふぁ~、レー君が目覚めてくれて安心したら眠くなって来ちゃった…リーちゃん、あとはよろしくね~」

 ふらふら~と母さんは出ていった。

「さっきまで寝てたのにまだ寝ますか」

「疲れてるんだよ。兄さんが寝てる間、ずっと術式維持頑張ってたもん」

「え?」

「私の力じゃ母さんには敵わないけど、たまに交代してあげてたくらいでずっと付きっきりだったんだよ?治癒の召喚術って疲れるんだから」

「そうだったのか…」

 …今度、ケーキでも買っていってあげよう。

「ところで、身体はもう平気?」

 俺のベッドの横にしゃがみ込んで、顔をのぞき込むようにして言ってくれるリム。

「どうだろうな…まだ立ったりしてないから分からないけど…」

「う~ん、そっか…」

「でも三日前の記憶はちゃんと持ってるんだ。そこに関しては安心だな」

「そう、よかった…でも、さすがの母さんだね。すごい力もってるもん」

「どういうことだ?」

 へへ、と苦笑しリムは続ける。

「母さんと交代するとね、私すぐ疲れちゃうんだ。まぁ、私もこないだのでだいぶ消耗してるから、万全とは言えないんだけど…それに…」

 急に黙り込むリム。

「それに?」

 わずかな沈黙の後、意を決したようにリムは言う。

「悪魔受けた傷は、悪魔の力じゃないと治せないって言ってたからね…」

「そうか…って、悪魔じゃないと治せないのか?」

「…うん」

 まさか。

「じゃあ、母さんって…?」

「あ、別に母さん自身が悪魔って訳じゃないの。その血を受け継いでいるって言ってた」

 …まじすか。

「悪魔にとって、聖職者は毒。それは聞いてたから覚えてるでしょ?」

「ああ、まぁ…」

 あのときの会話だろうな。まあ聖職者の子としては元々知っているのだが。

「父さんが聖職者、母さんが悪魔の末裔…それはもう街のみんなやお祖父ちゃん達も大反対したらしいの、二人の結婚を」

 そりゃそうでしょう。

「でも、お父さんは必死にみんなを説得した。彼女は悪魔の末裔だが、その力はすでにほとんど失われているんだ。その象徴の角も無く、彼女は限りなく人間なんだってね」

 ほうほう。

「そこで母さんは言ったの。何か悪いことがあったら全て私の責任にしても構わない。でも、神はきっと私のことを見ていながらこの人と出会わせてくれた。それはつまり、許されているということではないか、と」

 ふむふむ。

「そして説得に成功した二人はめでたく結婚、数年後には私達が産まれて…普通に育っていく私達と母さんを見て、街の人々はようやく母さんのことを認めてくれたってわけ」

 なるほど。

「で、それとこれと何の関係が?」

「だから、私達には神の加護と悪魔の力の二つが備わってるのよね」

 相反する二つが、融合してしまっているということか。

「そして、兄さんは母さんの血を、私は父さんの血を…それぞれ強く受け継いでるみたい」

「そうか…だから、母さんがずっと傍で…俺の中のその、悪魔的な?力と共鳴させて俺の身体を維持させようとしていた訳か…」

「そういうこと。それと、その聖十字架…」

 指さした先にあるのは、俺たち二人の聖十字架だ。

「兄さんの方には封じ込められた悪魔、私の方にはそれをコントロールするためのいわば第二の結界のような役割を持っていたんだって」

「は?ただのシンボルじゃなかったのかこれ…っていうか、随分詳しいな」

「兄さんが寝てる間に、全部教えてもらった」

「あぁ、そう…」

「続けるね。それで、兄さんの方の聖十字架に封じられた悪魔の力は、実は兄さんには心地良いはずなんだって。元が同じ世界の属性だからだと思うんだけど」

 なんという危ない代物だったんだこれは…。

「私の方の聖十字架はそれが溢れ出してしまわないようにと、悪魔達がその力に引き寄せられないようにするためのシールドであり、祓うための剣の代わりでもあるの。だから、私達は幼い頃に持たされたのよ。中身としては恐ろしいモノだったけど、結果的にはずっと私達を守ってくれてたんだよね」

 と言うことはつまり…。

「俺が二つを重ねちまった所為で、封印を解いてしまったってことか…?」

 まぁ、そういうことだろうな。

「…多分。ごめんね、私が変な気遣って兄さんに渡しちゃったから…」

 しゅん、としぼむリム。

「もう済んだことだし、知らなかったんだからリムの所為じゃない。それに、あのメルコールって悪魔はもう退治できたんだろう?」

「うん、そう言ってた…」

「誰が?」

「んー…わかんない。私にはあの時の記憶が兄さんほど残ってないけど、最後にそう聞こえた気がする。二度と会うことはない、みたいな」

「そうか…ん?思い出した…確か、メルコールがラグエルって呼んでた気が…」

「ラグエル?誰それ」

「さあ…神の使いか、神自身かは分からないけど…」

 お陰でこうして無事でいれてる事だし、これ以上あの時のことを思い出す必要はないだろう。

 そそくさと、近寄ってくるリム。

「どうした?」

「うん、ちょっと…念のため、傷口見せてほしいなって」

「?別にいいけど」

 服を脱ぎ、上半身を露わにしてみる。

「ぬあ、見事な痕だな」

「うん…でも、私が治したときより良くなってるね。母さんのお陰かな」

 そっと、背中の痕に触れるリム。

「!?」

「え!?どうしたの?」

 一瞬、電流が流れるような感覚が全身を駆ける。

「い、いや。急だったからビックリしただけ」

「そう、よかった…あの時みたいにまた気を失ったりしたらどうしようかと」

 そう言えば、一度リムの力で目覚めた後にまた気を失ったんだっけ…。思い出してみると、その時の感覚によく似ていたな今の…。

「リム、ちょっともう一回触ってみてくれ」

「え?」

「何か、ちょっと妙な感じがするんだ…」

「嫌」

「頼む」

「い・や!」

 頑なに拒否するリム。どうやら尾を引いているようだ。

「大丈夫だよ。なんか、こう…ショック症状みたいになるのは、多分薬と同じような感じだと思うんだよな、うん」

「何でよ」

「ほら、良い薬は痛かったり苦かったりするって言うじゃないか」

「それはそれ、これはこれ!」

 おっしゃるとおり。しかし、仮説の実証には多少の強攻策も必要である。

「…そうか、まぁそうだな。お前が心配するのも分かるし」

「…分かればよろしい」

「ごめんな、リム。迷惑掛けて…」

 試しに、ちょっとしょんぼりしてみる。

「ううん、いい。私の所為だし…」

「それは違う。確かに辛い現実だったけど、俺たちは助かった。それだけで充分だ。ありがとうな、リム。お前のお陰だ」

 手を伸ばし、リムの頭を撫でる。

「…うん、ありがと」

 顔を赤らめ、恥ずかしそうにするリム。

 よし、腑抜けた今がチャンスだ!

 リムの手を掴み、直ぐさま俺の右胸の痕に当てる。

「え、ちょっと!何してんの!?」

 その瞬間。

 ばちぃ!

「痛ぇ!」

 空いていたもう片方の腕から平手打ちが飛んできた。

「油断も隙もありゃしないんだから…」

 作戦は成功したが、その後のことを考えていなかった俺の負けらしい。

「さっさと着替えて、食事摂ってね。過信しないで、しばらくは安静にすること!」

 びしっと言い放ちリムは部屋を出ていった。

「痕より顔の方が痛い…」

 しかし仮説は証明出来た。

 俺の痕には、やはりあのメルコールの詛いが残されている。身体が、それを理解している。それを押さえ込むかのように聖杖…いや、神器の加護があるのだろう。リムが触れて感じたあの感覚は、詛いを押さえ込む力を増幅させたのだ。しかし、その力は俺の中に眠る悪魔の血も刺激し、反発する。だからあの時は、ショック症状で気を失ってしまったのだろう。リムや他の聖職者に触れられることさえなければ、詛いは徐々に解けていくはずだ。

 大丈夫、普通に戻れるだろう。前向きに考えないと、自分自身を追いつめてしまうからな。大丈夫、大丈夫。

 着替えるために立ち上がると、少々足下に力が入りづらいものの歩ける。着替えを済ませ、自室を後にした。


 用意してもらっていた食事を済ませ、ちょっとカイルのことが気になっているので会いに行こうと外へ出る。

「ちょ、兄さん!安静にしててって言ったでしょ!」

 庭の手入れをしているリムに出くわしてしまった。

「あぁ、ちょっとカイルに会いに行くだけだよ。お互い、まだ無事を確認し合った訳じゃないからな」

「あぁ、バカイルね…」

 ふ、と冷酷に笑うリム。

「どうした?…まさか、カイルに何かあったのか!?」

 幾度と無く肉体的にも精神的にもダメージを負っていたんだ、どこか変になったところがあったのかもしれない。

「まぁ、行ってみればすぐ分かるわよ。驚くから」

 何だって…!?


 少々急ぎ足でカイル宅、改め親父さんの店に向かう。

「ん?あれは…」

 いつもと違う雰囲気に、とてつもない違和感を感じる。

【アーレンベルクの酒場】

 というお洒落な店看板の下に、

【悪魔を退けた英雄の親父の店】

 という新しい手書きの看板が追加されていた。

 何だ…?英雄って、カイルの親父さんいつの間に英雄化したんだ?

 それに、昼間だというのに普通に開店してるじゃないか。

 ランチタイムでも思いついてやってるのかな、うるさいのは苦手なんだけど…。

 ガランガラン…。

 入店してみると、やはり活気に溢れていた。

「いらっしゃいませーい!…お、レム君じゃないか!おーい母ちゃん!」

 親父さんに呼ばれたカイルの母さんが、パタパタと奥から現れる。

「はいはいはい、何?」

「ほれ見て見ろ!もう一人の英雄のお出ましだ!」

「は?」

 親父さんは俺を指さし、意味の解らないことを言ってのけた。

「あらあらまあまあ、身体はもう大丈夫なの?」

「あ、はいまあ…って言うか、何ですかこの状況」

 親父さんの叫び声に反応し、店にいる全員が俺の方を向きなぜか賛美を浴びせる。

「よっ!この英雄!」

「まさかお前らに先越されるとは思わなかったな!」

 ばしばしと、そこら中から肩やら背中やらを叩かれる。

「ちょ、待って!痛い痛い!」

「お?まだどこか痛むのか?」

「そりゃもう言葉じゃ語り尽くせないほどの戦いだったって話だからな」

「ほらほら、突っ立ってないで向こう行こうぜ!」

 見覚えのある男達に導かれ、奥の方の席に案内される。

「よう、レム!こっちこっち!」

 そこで待ちかまえていたのは、誰よりも屈強に見える男・グレシュタールさんだった。その横には、疲れ果てたカイルの姿が。

「お、レム!助けに来てくれたのか!」

「いや、助けるも何も入ってきた途端これだからな。何がどうしてこうなってんだ?」

 まるで状況が掴めない。

「いやぁ…何やら話の伝わり方が悪かったようでさ」

「俺は事実を話しただけだ!」

 ガハハハ、と大笑いするグレシュタール。

「…どういう事?」

「実は…」

 カイルが俺の耳元に寄り、そっと話す。

(いや、リムがカイルを刺したなんて言ったりしたらリムが可哀相かと思ってな…あの日、お前を連れて帰った後に説明求められてな)

(ふんふん)

(そんで、とりあえず俺が罪かぶっておけばいいかなって思って。俺、結局何も出来なかったし…それくらいは出来るかなと)

(ほうほう)

(そんで、俺がたまたまそこにあった神器を手にして、悪魔に乗っ取られたレムを刺してしまったものの悪魔は退治できたって話したんだ)

(ふむふむ)

(そしたら、それを聞いてたグレ爺が尾ひれ背びれつけて触れ回るもんだから…)

(ああ…)

(悪魔を倒した英雄だー!ってなっちゃって)

(…)

(それを聞きつけた親父が喜んじゃって…)

(で、このお祭り状態か…)

(ああ…)

 カイルとリムの間でそういうことにしておいたのなら俺は口出しする事じゃないのだが、カイル自身は複雑そうな顔をしている。

(やっぱさ、こういうのって自分の力で手にしたいものじゃん?)

(まあな。でも、これで少しプレッシャーは取れるんじゃないか?)

(親父の跡を継ぐことか?)

(ああ)

(親父もさ…お前は立派な戦士になった、もう無理に跡を継げなんて言わない。好きなように生きるんだ…って言ってきたんだよ)

(うん)

(でも俺、ただリムを庇っただけでこんな状況になるとは思わなかったから、すげー複雑な気分…)

 まあ、そうだろうな。

(もう逃げたいわ、まじで)

 ぼそぼそと話している俺たちに気付いたグレシュタールさんが、威勢良く叫ぶ。

「よぉーっし!英雄が二人も揃ったことだし、もう一人呼んでこい!」

 リムの事を言ってるのだろうか。

 家を出て来たときのあの様子からすると、全力で回避している感じだ。

「グレ爺!リムはまだ回復してないんだからダメだってずっと言ってるだろ!」

「レムが大丈夫ならリムも大丈夫だろ!何てったって双子だもんな!わはは!」

 いや、大丈夫な理由じゃないですよそれ…。

「はいはい、ちょっと失礼するよ」

 カイルの母さんが料理を持って来た。

「ほれ、二人ともいっぱい食べて元気出しな!」

 さっき家出てくる前に食べてきたばっかりなんだけど…断るのも悪いか。

「じゃあ、いただきます。みなさんも一緒にどうぞ、俺とカイルだけじゃ多いんで」

 一口運び、皆に告げる。

「おう、すまねえな!じゃ遠慮無く頂戴しようぜ!」

 すると、一斉にみんながやってきて皿の上の料理を取っていった。

 その後も次々運ばれてくる料理に皆喜び、歌い、踊り、騒ぐ。

 しばらくすると、横にいたはずのグレシュタールさんが横になっていた。

「グレ爺、飲み過ぎだな」

「そりゃそうだ。あの日、グレ爺酒一滴も飲まずにお前らのこと待ってたんだからな」

 カイルの親父さんが意外なことを言った。

「「え?」」

「よっぽど心配してたんだな。俺の所為だーって嘆いてたし」

 そうだったのか…。

「大変だったんだぞ?探しに行くってきかなくて、止めるのにお前の母親まで出てきてようやく説得出来て落ち着いてな」

 母さんが…?

「行って何かが変わる可能性よりも、待って迎えてあげる方が三人には喜ばしいことだって言われてな。もし夜が明けても帰ってこなかったら、その時は頼みますって言ってたけど。グレ爺もそれは分かってたんだろうが、気持ちが落ち着かなかったんだろう。俺だって、お前らに何かあったらって考えてたら眠れなかった」

「…」

 心配を掛けてしまったことは反省している。

 だが、あの状況では…。

「ああ、別にお前らが悪いってのじゃなくて…誰が悪いって事じゃないんだよな。あの日のグレ爺を見ててそう思ったよ」

「?」

 そんな俺の表情に気付いてか、カイルの親父さんは続ける。

「運命…抗えないことには、従うしかない。例えあの日、お前達が死んでいたとしても俺はグレ爺を恨んだりはしない。だが、本人はずっと後悔していた…その思いから解放されたんだ、こうして酔いつぶれるまで呑んでもらって良かったと思ってるよ」

 言いたいことは分かる。

 でも、真実はそうじゃなくて。

 カイルの悩みは、それじゃなくて。

 ちらっとカイルの方を見ると、やはり何か考え込んでいる様子だった。

「まぁ、ちょっと外の風にでも当たってくるといい。酒の臭いも本当はお前らにはまだ早いんだからな」

「あ、はい。カイル、行こう」

「ん、おう…」


 外に出て、裏手の庭に二人して座り込む。

「…どうしたもんかな」

「何が?」

「いや、本当のこと話すべきかどうか」

「…このままでもいいんじゃないか?」

「いや、良くないのはわかってるんだ。でも…」

 リムのことが気になる。そう言いたいのだろう。

「今、水を差す必要はないと思うぞ。落ち着いてから、ちゃんと話せば大丈夫だよ」

「そうかな…」

 カイルらしくない。

「それに、本当に英雄って言われたいのなら、その分努力すればいいだろ?幸い、時間ならたっぷり出来たんだしな」

「うーん…」

「…例え嘘の勲章だとしても、それに勝る何かを遂げればいいんじゃないか?」

「何かって?」

「わからん。剣術大会で優勝するとか、魔物倒すとか…どうだ?」

「うーん…それも考えてたんだけどさ」

 立ち上がり、空を見上げて言う。

「今、あの鳥を捕まえろって言われたら無理だよな?」

「無理だな」

「無理だと分かっていても、手を伸ばしてみたいんだけど」

「うん」

「そのための方法が分からなかったら…ずっと悩み続けて、死ぬまで悩み続けちゃうんだろうな」

「そうかもな」

「だったら、もっと別のことに気を向けてもいいのかなって思う。自分に出来ること」

 こちらに振り返り、真っ直ぐに俺を見つめる。

「何だよ気持ち悪い」

「うっせ!…話したら、少し楽になったわ」

「そうか」

「んで、レムはどうするんだ?」

 唐突に話を振ってくる。

「何をだよ?」

「いや、旅出るのかなって」

 あぁ、そういうことか。

「一応準備はしているし、誕生日前日に決めると思う。とはいえ、体調次第だな」

 無理をしては元も子もない。

「そっか…ま、行くことになったらお土産よろしくな!」

「気が早いし、遊びじゃないぞ!」

 いつものカイルらしさに、思わず笑みがこぼれる。

「はぁ…とらえず、俺家戻るわ。ちょっとだけって言って出てきたから、リムがうるさいかもしれないし」

「ん、じゃあまたな!」

 カイルと別れ、自宅へと向かった。


「あ、おかえりー。どうだった?」

 リムはまだ庭にいた。木陰で休憩しているようだ。

「すごかった…」

「でしょー?あれ見たら入る気も失せるよね」

 足をぱたぱたとさせ、ぐいーっと背を伸ばしている。

「理由を知っていれば俺も入らなかったけどな」

「言ってたら行かなかったでしょ?説明するのちょっと面倒だったからさ」

 てへへ、と笑うリム。

 そうだ、英雄の件…。

「…カイル、すごく悩んでたぞ」

「バカイルのくせに?」

「そう、あいつのくせに。…そういう話になってるんなら、俺も何か聞かれたら適当に話合わせておくから」

「ん…ありがと」

 リムの頭を撫でてやる。

「ん…くすぐったいよ兄さん」

「お、悪い悪い。じゃあこうか?」

 わしゃわしゃわしゃーと髪をぐしゃぐしゃにしてみる。

「ちょ、何やってるの!」

 そこから飛び退け、距離を取るリム。

 てへへ、と笑って見せてやった。

 そんな、いつも通りの日常。

 大切にしてきた時間。

 失いかけて、もう一度得ることの出来た時間。

 これほどまでに尊いものだったのかと実感する。

 いずれはこの街とこの場所を守る立場の一人になるのだろう。

「そだ、町長代行様にも挨拶行ってきなよ。兄さんが目覚めるまで、毎日来てくれてたんだから」

「ああ、わかった」

 とはいえ、町長代行のことはちょっと苦手だったりするのであまり行きたくないのだけれど…そういうことなら行かざるを得まい。

「じゃ、ちょっと行って来るかな」

「何なら一緒に行こうか?兄さんあの人苦手でしょ」

 そう言うリムもあまり好いてる感じではないらしいので、ここは遠慮しておく。

「一人で大丈夫だよ。無事だったって言いに行くだけで、すぐ戻るつもりだから」

 まあ一服していきなさい、という人じゃないしな。

「そっか。気を付けてね」

「おう」


 活気のある商店街を通り抜けて行き、とある路地の突き当たりにその場所はある。すでに出来上がっていた街並みにこれ以上のスペースが無いことと、町長代行は騒がしいところはあまり好きではないということが理由で建てられた、いわゆる役所だ。

 この街は傭兵ギルドを中心に栄え、発展していった土地だ。昔は治安が悪かったと言うが、天界戦争後に教会に強力な加護がもたらされたこと、また代々傭兵ギルドの長が取り仕切っていたことで治安は守られてきた。街が発展するに連れ悪事を働く者が増え、そいつらの排除に手を尽くしたのも傭兵ギルドだった。悪人には懸賞金をつけ、捕まえた者には賞金が与えられる。その後の裁きは教会に任され、神の審判が下される。ある者は更生し、ある者は出入り禁止になり、またある者には労働を課し…屈強な男達により道は造られ、建物は増え、人が住み着いた。そう言う場所だ。

 だが、商業の拠点になりつつあるとき、国からの提案がなされる。「町として存在してしまっている以上、認めないわけには行かない。だが、こちらからも管理者を遣わせ、監視する必要がある」と。これに対し、傭兵ギルドと教会は賛成した。余りにも規模が大きくなり、住民の管理や土地の所有権、商店の営業許可等の様々な事務的作業が追いつかなくなっていたためだ。

 そんな歴史のある商店街に入り、いつもの景色を眺めながら歩いていく。途中、知り合いに身体を気遣われたりして果物や花束を頂戴してしまった。みんなの優しさが嬉しいよ、俺は。

 荷物ができてしまったため一度家に帰ろうと思ったが、役所のすぐ近くまで来てしまったのでそのまま行ってしまうことにする。

「こんにちはー…」

 重い扉を開け、中に入る。

「あれ、留守かな…」

 奥の方を覗き込むが、人の気配はない。

「うーん、やっぱり居ないか…仕方ない、帰るか」

 戻ろうと後ろを向こうとした瞬間。

「…動くな、動くと撃つぞ」

「!?」

 背後に、急に人の気配が。

 背中には、硬い何かを当てられている。

「留守中を狙うとはいい度胸だ…」

 かちゃかちゃ、とシリンダーを回す音がする。

 げ、銃か…?

「ん?お前は…」

 背中の感触が無くなり、気配は俺の前に姿を現した。

「レクリムじゃないか。何をしていた」

「クルカさん、ビックリさせないでくださいよ…」

「いや、強盗だと思っててっきり」

 くるくる、と銃を回す。

「あ、危ないですって!」

「大丈夫だ、慣れているし弾は入れてない。ほら」

 銃口を上に向け、トリガーを引く。

 ぱぁん!ぱらぱら…

「ん?」

 弾は天井にめり込み、辺りには石の塵が舞っている。

「おや、入っていたのか…よかったな、撃たれなくて」

 詫びることもなく言ってのける。

「ところで、身体はもう大丈夫なのか?」

「今ので寿命が縮みましたよ…」

 下手したらまた死んでいたところだ。

「ははは、まぁ元気そうで何よりだ」

 目の前の人は、クルカ・エルドリッヒと言う。この役所の管理者…つまり、町長代行だ。女性ではあるが、この任務には誇りを持っていると言っていた。俺たちより少し歳が上なだけだが、しっかりした強い女性だ。

「ええ、何か何度もうちに来てくださっていたそうで…ご迷惑をお掛けしました」

 ぺこ、と頭を下げる。

「いや、いいんだ無事なら。ただ、一つだけ気になることがあってな、それを聞きに行ったんだ」

「何ですか?」

「まぁ、一度座って話そうじゃないか。しかし君、その荷物は何だ?」

 足下に置いた果物やら花束やらが目に留まったようだ。

「ああ、ここに来るまでに商店街のみんなから戴いたんですよ。快気祝いだーって」

「そうか、よかったな。そうだ、それ寄越せ。切って持っていってやるから先に向こうの部屋に行っててくれ」

 ひょい、と果物をいくつか拾い上げ、奥へと消えていく。

「あ、いいですよそんな」

「気にするな、若いもんが遠慮してどうする」

 いや、そう言う事じゃなくて用事済ませたら帰りたいだけなんですが…とは言えず、俺は隣の部屋へと向かった。


 殺風景な部屋に似つかない立派な椅子と机がある。窓辺の花瓶には何も挿さっておらず、寂しささえ感じる。

 貰った花を数本抜き取り、花瓶に水を入れ花を挿す。

 …うん、いい。

「待たせたな。うん?それは…」

 クルカが花に気付く。

「ああ、何か寂しい感じがしたんで勝手にやっちゃいました」

「そうか、ありがとう。私はすぐ花を枯らしてしまうからな…だから、何もしていなかったんだ」

 まあ、仕事が忙しくて仕方ないときもあるだろう。逆に手間を掛けてしまうことだってある。

「あ…すみません、面倒なことしてしまって」

 それに気付き、謝る。

「いや、たまには良いだろう。ほら、座りなさい」

 かたん、と皿を机に置く。

 もはや芸術としか言えない果物の塊がそこにはあった。

「これ…」

「どうだ?私の自信作だ」

 果物を鳥の形に切り、また別の物は竜の姿をしており、また別の物は可愛くウサギの姿をしている。

「どうした?遠慮無く喰え」

「…俺には…俺にはできません!」

 っていうか、こんなの食べにくい。

「そうか、良くできたのだがな…」

 ひょい、とウサギを口に入れる。

「あぁ…」

「何だ?」

「いえ、何でもないです…しかし意外な特技をお持ちですね」

 趣味の領域を越えている。

「あぁ、まあナイフの扱いには慣れているからな」

 なんだか危なっかしい台詞だ。

「またまた、慣れてるなんて…花を枯らしちゃうのに料理とかできるんですか?」

「そんなものは出来ん」

 むしゃむしゃ、と鳥にかぶりつく。

「え、じゃあなんでナイフに慣れてるんですか?まさか、人を刺したりなんてしないですよねー、あははは!」

「…」

 答えることもなく、最後の竜までも食らいつく。

「…」

「…」

「あの、否定してください」

「事実だが?」

「えぇ!?」

「まぁもっとも、護身のためだがな。ふう、おいしかったぞ。なんで食わなかったんだ?」

「あ、家で食べます」

「そうか…」

 物欲しそうに、俺の横の果物の入った袋を見つめる。

「じー」

「じーって言わないでください」

 …仕方ないな。

「いいですよ、全部置いていきますから好きに食べてください」

「いいのか?」

「言わせたようなもんでしょ?」

「まあな」

 ふふん、とふんぞり返る。

「ははは…ところで、話したい事って何ですか?」

 みんながどこまで話してるかは知らないが、おそらく神器や悪魔のことは知っているのだろう。

「ああ、そうだな。食べ物に気が行っていてすっかり忘れていた」

 おいおい…。

「いや、お前らが行ったあの場所なんだが…危なかったか?」

「そりゃもう危ないどころか俺一回死んでますから」

「いや、そういう異常な事態は関係なくてだな。物理的にどうか、ということだ」

「?そんなの俺待たなくてもリムかカイルに聞けたんじゃ…?」

 その方が早かっただろうし。

「もちろん、そのつもりだった。だが…」

「?」

「リムリスはなぜか私と話しもしないで逃げていくし、カイル君はずっと酒場で引っ張りだこだったのでな。タイミングがなかったのだよ」

「あぁ…なるほど…」

「それで、どうなんだ?」

 うーん…。

 思い返してみれば、二人が後ろから付いてこれるのだから足場は大丈夫だったのだろうし、少々暗かったものの中の道は広かった。ただ、あの大穴に関しては危険だろう。

 そう伝えると、少々厳しい顔つきになる。

「そうか…神器の祀られていた場所として観光名所にして、経済効果で街が潤えばと期待ていたのだが…そんな場所では、むしろ危ないな。立入禁止で対応するとしよう。有り難う、レクリム」

「いえ、別に。残念でしたね、観光名所に出来なくて」

 街の発展を考えてくれるのだから、リムが言うほど変な人じゃないように思う。

「そして『遺跡女子』という可愛い女の子を集めたグループを作り、事業として展開。もちろんその管理者も私…仕事という立場を利用し、私の願望を叶える…ヒッヒヒ」

「…クルカさん?」

 いつもは冷徹な表情のクルカが、妄想でだらしない顔になっている。

「だがその計画も叶わぬか…そうだ、『立入禁止女子』と言うのはどうだ!?」

「どうだ!?といわれましても」

 何かさっきから女子女子ばっかり言ってる。

 …まさか、まさかな。

「リムリスなんかぴったりじゃないか?教会の娘に『こら!立入禁止だぞ☆守らない奴は神の裁きで反省して貰うわよ☆』なんて言われたりしたら…私…私なぞ理性が保てなくなって昇天してしまうぞ」

「…はあ」

 リムが嫌うのはこの性質なのか。

「ダメか?…ふむ、ならば何がいいと思う?」

「俺に意見を求めないでください!」

「ふっ、これだから男という生き物は…」

 確信した。この人、変だ。

 変態さんだ。

 俺が苦手だったのは、いつも仕事仕事ばかりでどことなく取っつきにくいところがあって何話していいか分からないところだったのだが、リムはこの姿を知っていたんだろう。

「性差ってことじゃ無いと思うんですけど…」

「ぬ?」

「それただの性癖ですから」

「なっ!?わ、私はただ可愛いモノが好きなだけだ!別に性癖などという腐りきったものではない!」

 …まあそういうことにしておこう。

 俺には俺で別の用件があるから、ここで機嫌を悪くさせてしまっては後々面倒…でも、もう少しいじってみようかな…。

「じゃあ、俺が女装したら萌えますか?」

「お前がか?ふっ、笑わせてくれるな」

「じゃぁ、ちょっと待っててください」

「ん?」

 部屋を出て手洗い場に行き、水で髪の毛を整える。部屋を出る前に持ってきた花をコサージュのように頭に載せ、準備は完了。

「お待たせしました」

「何だ、一体…うおっ!?」

 リムと似た髪型にし、さらに花をアクセントに加えたことで一層乙女に見えることうけあいの逸品だ。

「いや、まあ双子だから似るだろうとは思っていたが…」

「どうですか?」

「…残念ながら、後一歩だったな」

「あれ?」

「確かに、顔や雰囲気…そして頭のコサージュ風の花はポイントが高い。だが、大きく欠けているモノが二つある」

「…」

 拳を握りしめ、熱弁を始めた。

「まずは服装!乙女の可憐かつ純真な世界を体現するには、その格好ではとてもじゃないが未熟すぎる!」

 そりゃそうですよ、そこまで考えていなかったし。むしろそこまで考えていたら俺が変な奴です。

「そして、体格!胸は主張しすぎず控えすぎず、程良い大きさで女性の女性らしさを象徴するには不可欠だ!そしてくびれからお尻への曲線美…これらが備わっていなくては、私を驚嘆させることはできない!」

 すばーん!

 と聞こえるような構えを決めて、俺を指さした。

「…すみませんでした」

 もう、ついていけない。

「私を甘く見ていたようだな、はっはっは!」

 なんだか上機嫌だ。持論を展開して満足したらしい。

「…でも、なんでそこまでのこだわりが」

「ん?ああ…まあ、無い物ねだりと言うやつだな」

「無い物ねだり?」

「私には足りない部分だな。女性らしさというか、可愛らしさというか…憧れてはいるものの、私にはその全てが似合わないのだよ」

「そうですか?」

「ああ」

 そう言うクルカの表情はどこかさっぱりしている。

「…もしかして、試したことがあるとか」

「っ!?」

 あからさまに動揺している。

「ああああ、あ、あるわけないだろう!似合わないと分かっているものに手を出すほどわたっ、私は愚かではないぞ!ななな何を馬鹿なことを…」

 …何この過剰な反応は。ちょっとおもしろいぞ。

「あ、そうなんですか?いやー、意外と似合うと思うんですけどねー」

 クルカの動きが止まり、額に青筋が見えたのを確認できた。やばい、何か変なスイッチ押しちまったか…?

「意外ととは心外だな…よろしい、少しそこで待っていろ」

「え、ちょっと!?」

 すたすたと、部屋から出ていってしまった。

 …これ、絶対着替えてくるよな。

 めちゃくちゃメルヘンな格好で戻ってきたりしたらどうしよう…絶対爆笑してしまう。そして殺される。記憶喪失で収まればいい方だろうか。

 …逃げた方がいいな。そう早くは戻ってこないだろう。

 荷物をまとめ、扉に手を掛ける。

 が、開かない。

「え、まじか…外から鍵掛けたな…」

 そうまでして目に物見せてやろうという決意なのか…。

 だが甘い。

 大窓があるじゃないか。

 窓の鍵に手を掛け、引いてみるもやはり開かない。

 くっ、防犯用の偽物の鍵か!?

「…何をしている、逃げようとしても無駄だぞ」

「はっ!?」

 扉を開けて入ってきたことに気付かなかった。

「どうだ、コレが私の真の姿だ!」

「…へぇ~」

「なんだその反応は!」

「いや、普通にいいと思いますよ」

 女性らしい、フリルのついた桃色のワンピースに白のハイソックス。いかにも清純、といった趣だ。

「んなっ!?」

 顔を赤らめるクルカ。馬鹿にされると思っていたのか、あわてふためいている。

「ふ、普通にいいのか?変じゃないか?」

「あ、でも変と言えば変ですね」

「何!どこがだ?全部か!?」

 いやそこまで卑屈に思わなくても。

「これですよ、これ」

 ひょい、と掛けている眼鏡を奪い取る。

「あ、何をする!」

「うん、この方がずっといいですよ」

 かああーと、さらに顔が赤くなる。

「そ、そうか…?変じゃ、ないのか…?」

「ええ。っていうか、本当に卑屈になりすぎですよ。そうだ、今日はもうその格好のまま仕事したらいいじゃないですか」

「ばっ、馬鹿言うな!こんな、こんな恥ずかしい格好で…しかも仕事だぞ!動きにくいではないか!」

 頭を振り乱しながら、全力で拒否する。

「あ、そうだ。俺一つお願いがあるんです」

「な、何だ藪から棒に」

 もう一つの用件を今の状態で依頼したら、きっと仕事せざるを得まい。

「俺、三日後に予定通り旅に出ることにしましたので、外出許可証が欲しいんです。あ、あと近隣の街を通ったりするための通行証も用意して頂きたいのですが」

「そ、そうか。じゃあちょっと待っていろ。お前の書類を持ってくるから」

 ぱたぱたと、資料室へ向かっていった。

 やれやれ、仕事の話したらいつも通りじゃないか。

 …やっぱり、誰かに見て欲しかったんだろうな。でも、自分からじゃ恥ずかしくて言えないし、出来ない。だから、きっかけが欲しかったのかもしれない。

「待たせたな、では書類の作成を始めよう」

「あ、はい」

「…ぬ、その前に眼鏡を返してくれ。文字が見えにくくて、仕事がしづらい」

 眼鏡を返し、書類の作成に取りかかる。

 面倒ではあるが、住民をしっかり管理したり、もし行方不明になったとしても手がかりとして残せるため、このような手段になっている。

「では、いくつか必要事項に答えて貰おう…まずは、外出期間だ。大まかで構わないが、どれくらいになる?」

「二、三ヶ月です。そう長くはならないと思います」

「ふむ…では、目的と、目的地は?」

「目的は、外聞を広めるためと、修行のため。目的地は…今のところ東のバルホッセスに行こうかと思ってます」

「バルホッセスか…まぁ、あそこは治安もいいし大丈夫だろう。では次…いないとは思うが、同行者はいるか?」

「いません、俺一人です」

「一人、と…よし、大丈夫だ。外出許可証を出そう」

「ありがとうございます!」

 これで、心おきなく出発することが出来る。

「だが、通行証は明日になる。持っていってやるから、心配しなくていい」

「え、いいですよ。取りに来ますから」

「いや、これはちょっと何時になるか分からないからな。お前以外にも、通行証の発行を待っている人がいるんだぞ」

 そうか、ここは普通に役場なんだ。他にも仕事があるに決まってる。

「何時になるか分からないから、持って行くと言っている」

「すみません…じゃ、お願いします」

「うむ、承った。用件はこれで全部か?」

「はい。っていうか、普通にその格好で仕事できるじゃないですか」

 言わないでおこうかとも思ったが、一応反応見たさに聞いてみる。

「ん?まあ…どうだ!かわいいだろう!」

 えっへんと自慢する。

「…帰ります、ありがとうございました」

「お、おい!無視か!」

 後ろでなにやら声が聞こえるが、聞かずに帰ることにした。


「ただいまー…あれ、誰もいないか?」

「あ、おかえり~レー君」

「あ、母さん。身体大丈夫?」

 俺のためにずっと力を使っていたんだ。疲労は激しいはずだ。

「う~ん、レー君が元気になったの見たら疲れも飛んじゃった」

 えへへ~、と笑う母さん。

 なんとも現金である。

「そっか。ありがとう、母さん」

「いいのいいの。母は強し、よ?」

 ぎゅ、と傍に来て抱きしめてくる。

「ん、心臓の音がちゃんと聞こえてくる…安心するね」

「そう?」

 母は背が低いので、ちょうど俺の胸元に顔が来ている。

「それに、レー君の傍にいると暖かくなるの。やっぱり、私の血の方が強く受け継いでるからかな?」

「さあ、どうだろうね」

「ただいまー…あ、ずるーい!レムばっかり!」

 うるさいのが帰ってきた。買い物袋をぶら下げて、何やら怒っている。

「あ、おかえりリーちゃん。買い物ありがとね~」

「むぅ~…」

 なぜに膨れっ面…?

 それを見た母さんが、俺から離れリムの方へ駆け寄る。

「はいはい、リーちゃんも。妬きもちさんなんだから~」

 ぎゅ、とリムに飛びついた。

「え、ちょっ…もう、母さんったら…」

 そう言うリムの表情は優しげだ。

 …どっちが親だかわからん身長差だな。

「えへへ~、リーちゃんもあったかーい。特にお胸が」

「ちょ、何いってんのよ!?」

 ばっと離れるリム。

「あ~…残念。もっと暖かくなってたかったのに~」

 ふてくされる母。

「何なんだ…」

 それをただ見ていた俺。

「えーい、こうなったら二人まとめてっ!」

「なっ!?」

「ぅわっ!?」

 母さんに腕を引かれ、三人して抱き合うようになった。

「うーん、母さん幸せ~!」

「「…」」

 リムと顔が近すぎて恥ずかしいのだが、母さんの姿を見るととてもじゃないが離れるのが可哀相に思える。それはリムも同じようで、されるがままになっていた。

「何なんだ…お前ら…」

 帰ってきた父さんが、ぽかーんと口を開けて立ちつくす。

「あ、父さんお帰り」

「あなた、お帰りなさい~。私今とっても幸せ。うふ」

 うふ、ときましたか。力使いすぎて幼児退行したのか…?

「父さんだけ仲間はずれにして、ずるいぞー!うらやましすぎるぞー!」

「きゃーあなたー」

「「ちょ、父さんまで!?」」

 どーんと飛び込んでくる父さんだが、すぐに三本の足に蹴飛ばされた。

「酒臭い」

「お酒臭い~」

「ちょっと、まじありえないんだけど!」

 カイルの親父さんに捕まって呑まされていたんだろう。酒臭いし葉巻臭い。

「え、そうか?父さんは呑んでないんだけどな」

「いや、あそこに行くから臭いが移るんだよ」

「そうか…というかレクリム、もう身体は大丈夫なんだな」

 寂しげに、少し離れたところから父さんは語りかける。

「うん、心配掛けてごめんなさい。もう大丈夫だし、誕生日には予定通り旅に出るから」

「え!?兄さん行くの?」

 驚かれてしまったが、まあ当然の反応だろう。

「レー君、あんまり無理しない方が…」

 ぎゅっと、抱きしめる力が双方から強くなる。

「そうだぞ、せめてもうしばらくは…」

 父さんも心配してるようだが、俺の決意は変わらない。

「決めたことはやり遂げたいんだ。例え、今回のことがあっても無くても同じだと思う。運命は、変えたいときと変えなきゃいけない時がある。でも…逆に、変えてはいけないこともあると思うんだ。それが、俺にとってはこの旅なんだよ」

 なぜか説得しなければいけない状況になったため、思いを素直に告げる。

「いや、でもさすがにまだ…」

 リムは止めたがっているようだ。

「すいません、レクリムはいらっしゃいますか?」

 とんとん、と玄関の扉を叩く音と声がする。

「はーい、どなたですか?」

「お、いるのか。失礼するぞ」

 がちゃ、と勝手に扉を開けて入ってきたのはクルカだった。

「悪い悪い、明日は出かけなきゃいけない用事があって先に通行証を持ってきたんだ…って、何なんだこの状況は」

 三人で抱き合う塊と、一人離れてぽつんと立つ男。

「…うらやましすぎるぞ、レクリム」

 …さっきも似たような台詞を聞いた気がする。

「私も仲間に入れてくれ、特にリムリスー!」

 リム目がけて一直線に飛び込むクルカ。

「うわ、ちょ、なになになに!?」

 さすがに身の危険を感じたか、リムはその場から離れた。

 しかしクルカの勢いは止まらない。

「きゃあっ!?」

 クルカが飛び込んだのは、母さんのところだった。

 リムが飛び避けた反動で、俺も離れてしまったため母さんとクルカは思いっきり抱き合う形になる。

「あらら、クーちゃんもあまえんぼさんね~」

 いや、どう見ても母さんが甘えている図です。

「危ない危ない…」

 なんとか避けきったリムは、安堵の表情を浮かべている。

「あぁっ、ご、ごめんなさい!私…」

 と言って離れようとするクルカだが、母がそれを許さなかった。

「ん、クーちゃんも暖かいね~…それに、いつもと違ってすごーく可愛らしい格好してるから、母さんビックリしちゃった」

 言いながらも顔を埋める母さん。

「か、可愛くなんて…」

「言ったとおりでしょ?変じゃないって。なあ?リム」

「う、うん。一瞬誰だか分からなかったけど、その弛みきった顔見たらすぐ分かった」

 母さんに抱きしめられているクルカは、恍惚の表情を浮かべている。

「なっ、弛んでなんかいない!」

 きりっといつもの表情を作るが、それも母さんの一言ですぐに崩れた。

「クーちゃん、好き~」

「!?」

「ひどいや母さん」

 完全に忘れられた父さんは、絶望の表情を浮かべている。

 相手は女です、父さん。浮気ではありませんから。


 満足したのか、しばらくすると母さんの方からクルカから離れた。

「うーん、母さんみんなからいっぱい元気貰ったから、もう大丈夫」

 父さんを除いては、なんだかみんな暖かい気分になった。

「そ、そうだコレ…」

 クルカが俺に差し出してきたのは、先程申請してきた通行証だ。

「あ、ありがとうございます。でも明日って言ってませんでしたっけ」

「私は明日、用事があるから今日のうちに仕事を済ませてきたんだ。さっきも言ったが、聞こえてなかったのか?」

 たぶん、恥ずかしくて聞こえてなかったんだと思う。

「有効期間はお前の誕生日から数えて百日にしておいた。それ以上の滞在は不法滞在になるから、強制退去や通行お断りとなるから気を付けてくれ」

 つまりは、どうあっても百日以内には帰ってこいということだな。

「わかりました」

 それを受け取る。

「それでは、私はこれで失礼します。まだ少し、仕事が残っていますので」

「もう来んな!」

 リムは全力で拒否している。

「そんなこと言わないのリーちゃん!また来てね~クーちゃん」

 母さんは再訪に期待している。よっぽど居心地がよかったのだろう。

「ふふ、機会があったらと言うことで…それでは、失礼します」

 丁寧に礼をして、クルカは戻っていった。

「さてと、じゃあ食事の準備に取りかかりますか!」

 気合充分、といった様子でリムが動き出す。

「ちゃんとお買い物全部できた~?」

「もうそこまで子供じゃないもん、大丈夫だよ」

「おし、じゃあ俺も手伝おうかな。何かあるか?」

「じゃあ兄さんは野菜の泥取って、皮剥いて一口大に切り分けておいて」

「ん、了解」

「そう言えば、クーちゃんすごい可愛い格好してたね~」

「何か、いつもと全然違ったよね…」

「あぁ、あれはちょっといろいろあって」

「あれ、レー君が仕向けたの?」

「仕向けたとまでは行かないよ、ただちょっと挑発してみたら…」

「どうしてそうなった、兄さん」

「いやあ、クルカさんのナイフ使いから趣味までいろいろ話をしていたら、あれこれあってあんなことに」

「いやいや、わからないから」

「はいはい、二人とも手も動かす~!」

「「はーい」」

 楽しく話す三人を横目に、

「私は一体…おお、神よ…」

 父さんは、一人寂しく神のお告げを待っていた。


 食後、風呂に入った後に自室で休んでいるとトントントンッと扉を叩く音が聞こえた。

「どうぞー」

 俺の部屋を訪れる限られた数名は、それぞれ扉を叩くクセが違っている。母さんの場合は「トン、トン」というゆっくりの二回、父さんの場合は「トトトットトトッ」とリズミカルに六回、カイルの場合は「ダン、ダン!」という強めに二回。そしてリムの場合は今のように三回。

 というわけで部屋に入ってきたのはリムだった。

「ゴメンね兄さん、ゆっくりしてるところに」

「いいよ、別に。どうした?」

「ん?いや、特に用はないんだけど」

「なんじゃそりゃ」

 すとんと、俺の横に来て座る。

 こういう時のリムは、一人で寂しかったり悩みを抱えている事が多い。

「兄さん、行っちゃうんだね」

「ん、まあな。最初から決めてたことだ」

「そっか…」

 この間と違い、リムは静かに話し出す。

「何か、昔を思い出しちゃうな」

「?」

「ほら、兄さんがカイルの家に泊まりに行くーってことになって」

「ああ、あの時の…」

 なぜかそういう遊びが流行った頃があった。そしてなぜかカイルの家ばかり人気で、友達はみんなカイルの家に泊まったことがあって。俺は幼なじみだが泊まったことはなくて、なんだか悔しい気持ちになっていたんだ。それで親に頼んでみたところ意外とあっさり許可が出たので、俺が「明日は泊まりだー!」って嬉しがってた、あの時。

――――――

「お兄ちゃんが行くなら、あたしも行く!」

「リーちゃんは女の子なんだから、だめなのよ?」

「いや、いや!お兄ちゃんのそばにいるのー!バカイルにお兄ちゃん取られちゃうよー!ぇえ~ん…」

「ほらほら泣かないの!取られたりしないから大丈夫よ~」

――――――

 後で知ったことだが、カイルの家が人気だったのは実は親父さんの所為らしい。自分の店の開店に向けて、酒だけではなく料理にもこだわる、ということで毎日のように試作品を作っては家族に試食してもらっていたそうだ。それらがなかなかの美味で、カイルが自慢していたことから「じゃあ食べさせてよ」という友達がいて「じゃあ泊まりにこいよ」となったらしい。子供達の間で噂が噂を呼び、カイルの親父さんの料理に始まり各家庭の味を楽しむべく始まった遊びだったのだ。

「後で母さんに聞いたんだけど、ずいぶん駄々こねたらしいなあ」

「うぐっ…」

「今もそんな気分か?」

 そんなわけないだろうと思いつつ、念のため聞いてみる。

「ちょっと違うかな。あんな事があった後だから、身体の方が心配」

「何度も言うようだけど、今のところ平気だから。そこまで心配する必要ないって」

「…そうなんだけどね。気になることがある」

 す、と手を伸ばし、俺の首から提げられている聖十字架に触れる。

「これってさ、結局は兄さんの力の発動を防ぐためにあったようなモノなんだよね」

「まぁ、そうなるな」

「ということは、これからは何でそれを防がなきゃいけないの?」

「あ…」

 そうだ。

 ただ単に悪魔から身を守るリムの聖十字架は効果を発揮できるだろう。ただ、俺が持っていた聖十字架に詰まっていたメルコールの力は、すでに消え去っている。ただの十字架の飾りだ。

「悪魔から身を守ることは出来る、私の聖十字架があるから。でも、兄さんに眠る力を抑えるには、何か手段が必要でしょ?今は、母さんがいるから大丈夫だろうけど…一人だったら、何かあったら大変だよ」

 それは確かに一理ある。

「じゃあ、どうする?」

「考えてる方法は二つね」

 びし、と指を二本立てる。

「一つは、適当に悪魔を呼び寄せて、私の聖杖…もとい、神器を使って再び兄さんの聖十字架に閉じこめ、メルコールの代わりにさせること」

「ふむ」

「もう一つは…兄さんから、悪魔の属性を完璧に消し去ること。でもこれは理想論だし、非現実的なんだよね」

 神器の力さえあれば、それも可能だろう。だが、そうなったときに俺の身体がショック症状を起こしかねない。バランスを失い、死んでしまうリスクだってある。確かにそれは非現実的だ。

「ちなみに、母さんが同行するという手段もあるけど…親同伴の遠足ほど、情けなくて恥ずかしいことはないでしょ?」

 …わかりやすい喩えをしてくれる。なるほど、嫌だ。

「で、結論を出すと…悪魔を捕まえることだね」

「…難しいな。相手は悪魔だぞ?どれだけ面倒な相手か分かってるだろう?」

 父さんは悪魔払いも請け負っていて、依頼があれば遠くの村まで足を運ぶこともある。その苦労話をよく聞いていたので、一筋縄ではいかないのは承知の筈だ。

「まあ、神器さえあれば何とかなるでしょ」

「裏付けのない自信ほど危ういものはないって言うじゃないか。それに、これがないと絶対にダメってわけでもない」

 そう、これがないからと言って身体がおかしくなるとかは無いんじゃないかと思う。実際、今日目覚めてからはちょっと疲れがあるような感じがするだけで、他は何ともないのだから。

「ま、どっちにしても確証のある話じゃないからね。だから、しばらく様子を見て、何かあったら母さんがいるから大丈夫かなって思ってるの」

「だから行くな、と?」

 話が振り出しに戻ってしまった。

「はぁ…じゃあこうしよう」

「?」

「当日までに、少しでも俺の身体に異変が起きたなら行くのを止めよう」

「ほんと!?」

「ただ、いつも通り何も泣ければ予定通り行く。それでいいな?」

「うーん、今日はもう終わるし後二日か…判断するには短すぎると思うんだけど」

「この条件が呑めないなら俺は勝手に行くぞ」

 これくらい言わないと話が終わらない。

「…わかった」

 渋々納得した様子だ。

「じゃあ、もういいな?俺は寝るから…」

「ん、わかった。おやすみ」

 と言い、俺のベッドに潜り込む。

「何やってんだ?」

「兄さんと一緒に寝る」

「はぁ?」

「いいでしょ、別に。昔はずっとそうだったじゃない」

 まあ、そうでしたけど。

「狭いぞ、いいのか?」

「うん」

「全く…」

 やはり寂しいのだろう。物心ついてから部屋が別々になった後も、はじめの頃はよくこうして一緒に寝ていたっけな。

「…狭い」

 仕方なく俺もベッドに入るが、身体が成長している分だけあの頃よりも狭い。

「変なとこ触んないでよね」

「興味ない」

 寝返りをうち、お互いに背を向ける。

「ちょ、おま掛け布持ってくなよ」

「あー、ごめんごめん」

 悪びれもせずこちらに分け与えもせず。

 仕方なく少し身体を寄せて、布のある辺りまで行く。

「ん…暖かい、兄さん」

「俺は心なしか寒いぞ」

 布のほとんどを奪われたため、結局身体の半分しか掛かってない。が、触れあった背中はお互いの体温で暖かかった。

「…すー」

 程なく、リムは寝息を立て始める。

 釣られるように眠気に襲われ、俺も目を閉じた。

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