序章 終焉の刻
真の絶望の中、男は立ち竦んでいた。
見上げた空は厚く黒い雲が覆い、一條の光すらも射さなくなった地上は、白い砂嵐が吹き荒れ、どんよりと澱んでいる。
地表には優しく覆う草も力強く根付く木々もなく、鮮やかだった色彩はもはやどこにもなかった。あるのは汚れた黒、灰色、茶。それらすら光の射さない地上ではほとんど違いをなさない。
遠く山のように見える影は溶けた高層ビルが折り重なってできた文明の骸。
それ以外は何も残らなかった。否、残れなかった、と言うべきか。超高度の熱に焼かれ、蒸発し、消え去ってしまったのだ。
海すらもほとんど蒸発し、残るのはヘドロのように腐臭を放つ汚水の集まりだけ。
世界は――死んだのだ。
男は振り返る。背後にあるはずの白い建物は、砂嵐に掻き消されもう影すら見出すことは出来ない。
げふ、とおかしな咳をして、男は身体を折った。大切に抱きかかえていた物を取り落とし、思わず口に手を当てる。その指の隙間から、どす黒い液体が溢れ、滴り落ちた。
吹く風に舞う白い砂は、ただの砂ではない。世界が死んだその瞬間、ばらまかれた汚染物質の粉。マスクもなくそれらの吹き荒れる中歩いた男の肺は当然の如く侵され病んでいた。
けれどそれは己の望んだこと。だからいい。心残りなのは――
もう、振り返る力すらなく膝をついて、男は固い地面に横たわった。震える手を伸ばし、厚く覆う砂を払うと、硬い地面に触れた。
かつて、この大地に柔らかい草が根付き、優しい風が吹いていた時もあった。
春には花が咲き、夏は緑に覆われ、秋には紅葉、そして冬には雪が降った、そんな時が。ほんの数年前。けれどとても遠いことのように思える。
再び大きく咳き込み、男は血を吐いた。血液が砂を染め、赤い川となって先ほど取り落とした物の方まで流れていく。
その先へ手を伸ばそうとした腕は、虚しく宙をかいて落ちた。視界が、意識が次第に薄れ、男は死を意識してゆっくりと目を閉じた。
神がもし本当にいるのなら叶えてくれるだろうか。この末期の叫びを。
残された夢見る者達に魂の救済を。こんな昏い世界ではなく。今はもう見えないけれど、かつて空にあった紫のあの、宝石のような星のように美しい世界での終焉を。この世界に殉ずるのは自分一人で充分だから。
神よ、本当にいるのなら。
ああ――――