43.
「みい」を女将さんに預け、昌志さんの残したメモの通りに駅に向かい、電車に乗って病院の近くまで出た。そこで初めて、僕は今日起きてから今まで何も食べていないことに気付いたので、最近よくお世話になっているコンビニでおにぎりを食べ、病院に入った。健人はまだICUにいるが、愛香は一般病棟に移ったという。昌志さんは弟のところにいるという、先に愛香のところに向かった。
「どうも」
「来てくれたんですね」
「この部屋でいいのか」
「十分です。何日も滞在するのなら話は別ですけど」
四人部屋の窓際だった。お金持ちの娘だ、個室を希望するのかと思ったが、案外そうでもないらしい。色々と彼女に確認しなければいけないことはあるが、これでは話が聞けない、また機会を窺うとする。
「まあ……で、医者は何と言ってる?」
昨日は栄養剤の点滴を打っていたが、今日はその類いは何も付けていない。軽くて済んだのだろう。早く見つかったのも、これ幸いだったのかもしれない。
テーブルの上には、お茶の入ったコップと、文庫本が一冊置いてあった。僕は持ち込んだ覚えがないが、本人が持ってきていたのか、それとも昌志さんが持ってきたのだろうか。
「早かったら明日にでも退院だそうです。鎌谷さんがよくなるまでは、こちらに留まるつもりですが」
「あれ、健人のこと、知ってるの」
「今朝、部屋を移動しようとしたらばったり会いまして。事情は伺っております」
彼女は落ち着いて受け答えしていた。健人が倒れたことを話すと、パニックになるだろうと思っていたが、どうやら聞くところによると、昌志さんが間に入って話をしてくれたらしい。本も彼が暇潰しに、とコンビニで買ったものだった。
「少し、外に出たいです。お茶、買ってもらってもいいですか」
「いいけど」
看護師さんに確認してみると、車椅子なしで歩いても大丈夫だという。彼女の病室は、飲み物の自動販売機もある談話エリアからは一番遠かった、一人で行くのは憚られたのだろう。
廊下に出ると、何やらその方向が騒がしい。彼女のペースに合わせて、ゆっくりと談話エリアへと歩いて行くと、昌志さんの顔が見えた。
「あ、どうも」
「やっほー」
そこには昌志さんだけではなく、車椅子に乗って点滴を繋がれた健人、それに白衣姿の男がもう一人いた。三人の中で一番背が高く、明るい髪色をしてその髪を束ねていたその男は、二人と仲良さげにしていた。知り合いだろうか。
「えと、そなたは?」
「あ、初めまして、ですかね。奥村千里です。僕たち、三兄弟なのですが、僕が一番下で、この病院で麻酔科医をしています。もしかして、馬鹿兄貴二人のお知り合いですか」
「あ、こら」
「ちょっとお!?」
なるほど、三兄弟揃って医者なのか。兄二人に比べて、丁寧な言葉遣いをするなと思ったが、最後の質問で悟った。やはり兄弟である、が、弟はIT企業勤務だと言っていたような気がする。それも実は嘘だった訳か。
だが、またしても疑問が生じる。兄二人の名字は「鎌谷」だが、三男だけは「奥村」。兄二人の旧姓は「奥村」と、昌志さんは壊した傘に書いていたが、ここにも複雑な事情があるのだろうか。
それに、兄二人が追放されたのに、三男だけはどうやらこの病院に留まっているらしい。そこも不自然だ。
だが、それらを聞くのはまた後だ。まだこちらは名乗っていない。
「健人さんの仕事先の同僚の、野島千春です。彼女は妻の愛香です。よろしくお願いします」
「お願いします」
「こちらこそ。兄二人が迷惑をかけていませんか」
弟さん、後ろの兄二人が笑ってませんよ……彼も彼で、兄らに思うところがあるのだろうが。
「いえ、特には。何だかんだで上手くやっております」
「それならいいのですが」
失礼だぞ、千里、と健人から文句が飛ぶが、何事も無かったかのように彼は自動販売機のところに向かった。愛香は兄二人と話し始めたので、僕は自分と彼女の分の飲み物を買おうと、その後を追う。
「あ、野島さんも何か買われますか」
そこに自動販売機は二台あったが、その右側、紙コップにコーヒーやジュースが注がれるタイプのそれの前に、彼は立っていた。彼はホットコーヒーのボタンを押した。
「お茶を買おうかと。彼女が飲みたがっているのと、私も喉が渇いたので」
すると、僕が腰ポケットから財布を出す前に、千里は白衣から小銭を出して、ペットボトルのお茶も売っている、左側の自動販売機にそれを入れてしまった。
「どうぞ。お釣りは要りませんので」
「え、いいんですか」
「構いません」
淡々と受け答えをし、出来上がったコーヒーを持って、彼は三人の元へ向かう。だが、一歩、二歩進んだところで、彼は僕の方に顔だけ向けた。
「あ、そうだ」
「何でしょうか」
「名字が違うの、変に思われたかもしれませんけど、三年ぐらい前、母が離婚したときに、兄二人は母に従って、名字を母の旧姓にしたんです。僕はその時既に結婚していましたので、そのままなんです」
なるほど、やはり家庭の事情だったか。僕は野暮だと思いつつ、結婚の話が出たので、少しその辺に深入りしてみる。
「じゃあ、昌志さんも結婚していないんですか。健人さんがそうでないのは知っているのですが」
すると、彼は会ってから初めて、満面の笑みではないが、呆れたような感じのそれをこぼした。
「あの二人、顔はいいですし、よくモテますけど、性格が結婚に向いていませんので」
その言葉に、納得してしまった自分がいた。彼はようやく歩いて行ったので、僕はペットボトルのお茶を二本買った。彼は五百円玉を入れたらしい、お釣りが二百円出たが、彼は悪い人間ではなさそうだ、好意に甘えて、それはもらっておくことにした。




