Chapter2: 級友と同僚とお礼
〈僕には、友だちがいない。仲良く遊べる人なんてなおさらいない。僕はずっと一人。ただ或る母の子どもであるということが、僕の存在意義。〉
「これ、ありがとうございました。」
「あ、洗ってくれたのですね…♪」
__なぜかこんなタイミングで転校生の案内が。教室の戸が開くと、見慣れた紫の髪の女がそこに立っていた。
「叢嵜 茜です。」
よろしく、と伝えんばかりに彼女はゆっくりとお辞儀した。転校生といえば質問の嵐や口笛のひとつが鳴るものだと思っていたのだが、あまりざわざわとしなかったことから、周りへの人気はそれほどでも無かったのであろう。だが、俺は彼女に礼を言わなければならないと感じた。
昼休みを迎えると、彼女はゆっくりと私を向き、いつものようにお弁当箱を差し出した。そう、この見慣れた感じ…やはり彼女は_____いや、やめておこう。他人の空似である可能性もあるからだ。ここで知り合いのように振る舞ってしまうとかえって墓穴を掘ることにもなりかねん…。私がこうやってあれこれと考えているうちに、彼女は昼ご飯を食べ始めた。
「……食欲、無いのですか?」
「あ、いえ、そんなことは…」
割り箸を手に持ち、ゆっくりと弁当箱を開ける。この可愛らしくていかにも"女の子らしい"お弁当箱にも、とにかく見覚えがあるのだ。正夢というものなのだろうか。不思議なものだ……。!?、......これは___まさか___
「あの…どうして僕にドライカレーの弁当箱を渡してくれたのですか??」
「何故って…あなたが食べたいとおっしゃっていましたから」
彼女は、不思議なものを見るように、また僕の顔に何かついているかのように僕を見つめていた。早く食べないと冷めてしまいますよ、という声に急かされて、手料理をかっ喰らった。
ん"ッッッ!!……めちゃくちゃ美味い。あまりにも美味しすぎる。手作り料理の補正効果は、存外高かった。とてもぽかぽかする、そんな料理だった。
「ごちそうさまでした。」彼女はそそくさと弁当箱を片付けて、勉強し始めたのである。__何やら5時限目の授業において予習が終わっていないらしい…いや、この女、転校初日だぞ‼︎そんな人に「予習・授業・復習」の"黄金"もとい"金メッキ"サイクルを教え込むだなんて、センコーたちもなかなか鬼畜すぎやしないか!?
「昼食のお礼です。このノート、写してもらって構いません。」
ノートを受け取るやいなや、彼女はにっこりと微笑んだ。その笑顔に、僕の心は撃ち抜かれた。いやはや、彼女には参ったものだ。
授業が終わると、彼女はそそくさと帰る準備を始めた。クラスの一員として溶け込めているような雰囲気があるところから、もはや彼女に「転校生」のタグはない。
僕はというと、部活に行って友だちとおしゃべりしてるだけ。__彼女が何をしているかも知らずに。
ひとしきり話し教えて夕日が沈んだのを見ると、「あ、もうそろそろ終わりか」と友だちが話し出した。これこそ、帰るのに最も良いタイミングなのだ。なぜなら、僕の方から帰るように切り込んでも、まだ帰りたくない、だの言われるからだ。
家に帰ろうとしたその矢先、僕はとんでもない焦りに襲われた。_____なんと、鍵を無くしてしまったのである。無くした記憶なんて無いのに。慌てふためいている僕を見て、家の中から、かちゃり、と軽い音が立ったのを耳にした。
「あ……なんであなたがここに??」
「…何言ってるんですか??ほら、寒いでしょう。早く入ってください。」
なんと、彼女が先に家に入っていたのだ。そのことに衝撃を受けすぎて、つい本題を忘れてしまった。そう、ここは本来、僕の住んでいた家であったのだ。
__運命の出会いというものが本当にあるのなら、それは今この瞬間なのかもしれない。世界には、よく似た人が少なくとも3人はいる…と聞くのも事実。ここで、変なことを聞いてしまう方がかなりの野暮というものとも言える。
ん?今日は肉じゃがかな?相変わらず彼女は料理が得意なようだ。でも、自宅に肉なんて準備してなかった気がするぞ…あるのは卵だけで………。そういや僕、何考えてたんだっけ。
悶々として頭を抱え込んでいた私に目もくれず、どうやら彼女は晩御飯を作っていたようだ。
「あのー…僕、肉じゃがを食べたいとか言ってましたっけ??なぜ僕の考えが読めるのですか??」
「いや、考えを読むも何も……お昼に教えてくれてたじゃないですか」
今日の昼??……そういえば、友だちとそんなこと話してたな。とは言えどそれを覚えているものか!?彼女の記憶力というか、底知れぬ力というか、やはり僕の目の前にいる人は……もはや、他人の空似ではない。まさにずばり「その人」に他ならなかった。運命の其の人は、私の全てを知り尽くしていた。休日にはたまに釣りに行っていること。ここ最近シャドウボクシングにハマっていること。そろそろ髪を切ろうか考えていること。__なぜだ。なぜわかる。赤の他人…いや、文字通り血を分けた友にすらもわかりえないことが、なぜ彼女は手に取るかのごとく容易に分かってしまうのだ…‼︎
何も考えずに彼女の手さばきを遠くから眺める。相変わらずの腕前。料理の点では、まさに彼女の右に出るものはいないだろう。私の色眼鏡が入っているかもしれないが、そう言い切れるほどのものであると自負している。
また、彼女の細やかな気配りも嬉しいものだ。肉じゃがには白い米がよく合う。台所に投げ入れていた炊飯器がピカピカになっていたのだから、それはもうびっくりだ。戸を開けた瞬間に香る米の匂い…驚くほど食欲をそそらせる、あの白い宝石たちに私の体は反応してしまった。
彼女は、またいつもの口やかましい蘊蓄が始まった、とでも言いたげな顔で、僕を見てきた。このような、少しだけ嫌がられる表情も、彼女ならではのものだ。きっと彼女は、僕の思う彼女以上の存在なのだと考えられる。
とても美味しかった。目の前にいる彼女が「おふくろの味」を作ってくれて、今、とっても幸せになった。
友達以上恋人未満、という言葉がある。今の僕たちにぴったりの言葉かもしれない。とはいえ、彼女はなぜか僕の家にいるが、それ以上の干渉もしないつもりだ。なぜなら、過干渉ゆえに苦しんで学校に行かねばならなくなってしまっては本末転倒だからだ。
ともかく、僕にとってはこれくらいの距離感の方が心地よい。こう考えると、お互いに倒れてしまわない距離感を窺っていたのかもしれない。
風呂に上がると、布団が2つ敷かれていた。ただ、複雑な気持ちすら起きることなく、すっきりと眠りにつくことができた。一毫の不満さえもなく、快く眠ることができた。
__翌日のことである。気持ちよく目が覚めると、また彼女がそこにいたのである。
「…何をしているのですか。早く起きて朝ごはんを食べてください。」
アラームは5度は設定していたはずだ。彼女は一切赤い目をせず、ご苦労そうな様子もない。それどころか、昨日の寝巻きをものの見事に忘れさせるほどの綺麗なエプロン姿であった。
なぜか、彼女のエプロン姿を懐かしく思えてしまった。そうだ。多分僕はこの姿をよく見ているはずだ。…でも、思い出せない。とにかく今は、学校に行かなきゃだな。
チャイムが鳴った。これで八回目のチャイム__そう、昼飯を知らせる福音なのだ。この点では、チャイムというものは不思議である。授業前であれば眠りを引き起こすレクイエム足りうるし、授業後であれば憩いをもたらすララバイにもなる。__いや、眠りを引き起こすという点では「レクイエム」というより「ララバイ」と言うべきなのかもしれないが_まあそんなことにあれこれと考えを巡らしている場合ではない。なぜなら…
「…今日の昼食はこちらです。召し上がってください。」
「あ、あぁ…ありがとうございます。…僕の分は結構なんですが…あの、茜さんの分はどこにあるんですか??」
いつの間にか名前で呼ぶことになってしまった。(錯覚しているだけかもしれないが)ずっといると感じると、勝手に距離感も縮まっていくものである。こんなことになると、やっぱり聞こえてくるのが周りの色恋めいた声である。
「やっぱりあの二人できてんじゃないの??」
ただご飯を食べさせてもらっているだけだ。何もやましいことはない、と彼女に言い聞かせようとしたが、そんなことも素知らぬ顔であった。
「…今日は、オムライスを作ってきてくださったんですか。とても豪華ですね。」
「はい…では、ケチャップを付けますので、ちょっと離れていてください。」
彼女はそそくさと別のバッグからケチャップを取り出し、華麗に文字と記号を拵えていく。その様は、あまりにも美しく、とても言葉にならないほどであった。だが、僕の目の前にあるのは、とても言葉にできないようなものであった。
「…あ、あの……これはさすがに恥ずかしいかと…」
「……私は大丈夫です。」
鉄の仮面が恥ずかしさでひしゃげることはなかった。
オムライスの字面が、僕をじっと見つめている。そのために僕は昼ごはんを食べられない。
「どうしたのですか??…お腹の具合が悪いのでしょうか??」
「いえ、そんなことはございません‼︎むしろ、食欲がわいています」
その返事を聞くと、彼女はスプーンでオムライスを綺麗にすくい取り、僕の口へ差し出した。…蓋し絶品なのであろう。
「はい、食べてください。あ~ん」
「ッッッ…い、いや、高校生にもなって恥ずかしいですよ。」
「いいから。あ~ん」
「……あ、あーん…」
渋々口を開けてオムライスを咀嚼する。やはり、とんでもない美味しさだ。とてもこんな料理、作ることも想像がつかないほど美味しいのである。
〈汚れなきものと麗しい見た目だ。わざわざ手紙に手書きで電話番号を書き加えてあるのがわかる。…すまない。どうしても君の声が聞きたくてつい電話してしまった。〉
食事は、とてもシンプルで良かったのかもしれない。デリカシーのかけらもない。この時間がゆっくりと過ぎてくれればよいのに__そしてこの恥ずかしい時間が、もっと速く過ぎ去って仕舞えば良いのに__相反する気持ちが、己の心に混じっていく。
今日も今日とて、バタバタと時間が過ぎていった。疲れが残らないまま、帰り着いてしまったのである。特に疲れてしまったが、僕はこの不満を今日のうちに放り投げてしまっているだろう。なぜなら__
かちゃりと戸を開けたら、またもいい匂いが鼻をくすぐってきた。今日はなんともエスニックな香りがしている。
「ただいま。」
「ん…おかえりなさい。食事でもいいですし、お風呂も入ってますよ。」
用意周到。かなり準備が進んでいるので、驚きを隠せないでいる。かつてないほど充実した私生活が、ここにあった。
「では、お風呂に行ってきます。」
僕がそう言うと、彼女は、どうぞ、と着替えの服を持ってきた。ここまで準備が良いと不思議と彼女のことを家族の一員か誰か特別な存在にでも成り上がっているような気がする。
数十分後、僕が戻ってきた頃には食事の準備が整っていた。なんというスーパーウーマンなんだ……実に驚きだ。




