Chapter 1: 僕とカノジョと昼下がり
私が一人暮らしを進めていくなかで感じていた困難の一つが、食事でした。「こうであってほしい」と思っていること、「こうであっては自分が成長しない」と思っていること…いろいろな考えが私の実体験として交わっていきました。誰かに見られていようと、誰にも見られていまいと、私の生きてきた軌跡を、何らかの形で残したい。それが執筆に至った経緯です。
それは、寒い夏の夜だった。なぜか暗くならない空を見上げて、帰路を辿っていた。 今日もまた、一段ときつかった。何がとは言わぬが、ともかくもしんどかった。独り暮らす僕にとっては、この寂しさこそが朋友なのだ。拗ねてても朝はいずれやってくる。だから… 翌日の昼、事が起こる。 「彼女弁当」を頬張る、うるさい輩ども。こちらのひもじい気持ちも知らずに、能天気なものだ。僕にも、それが羨ましくなかったというわけではない。恵まれぬ者への厭味かと思い、吐き捨てた。 家に着く。薬まみれの水を飲み、そのまま床に臥す。一時凌ぎにはもってこいだ。今、腹の中で暴れているものが「命の水」とまで呼ばれている所以だろう。腹の虫を諌めながら、明日への気力を削らぬように、慎重に眠りについた。 翌朝、閉めていたはずのカーテンから、差し込むような光が出てきた。久々に気持ちの良い目覚めである。てっきり、玄関の照明を消していなかったのであろう。いかんいかん、と自分を鼓舞しながら勝手口へ向かうと、そこには見知らぬ人がいた。 「ぅあぅぁぁぁあなた誰だぁぁ!!!?」 あまりの驚きに、右手に持っていたスマートフォンを相手に投げてしまった。 「あ、ごめんなさい…」 スマートフォンを手に取り、女性は微笑んだ。少々驚きを隠せないながらも、彼女は、両手で弁当箱を僕の方に差し出したのだ。 「これ、食べてください♪」 「あ、え、えっと…その……どうも……」 しかし、これって食べてもいいのだろうか…もしかすると毒とか………いや、屈託のない彼女の笑みを見ると、そんな疑いも馬鹿馬鹿しくなってしまった。 「…ところで、お時間、大丈夫ですか??」 「ぇっ…!?も、もうこんな時間だッッッ!!急がなきゃ!!お弁当ありがとうございます‼︎」 「はい…♪行ってらっしゃいませ…♪」 彼女は最後まで笑顔を絶やさなかった。 12時の腹時計が、授業の終わりを知らせた。あそこの教室に立ててある、おんぼろ時計なんかよりはるかに正確なものだ。とりあえず、水で腹を満たして空腹を凌いだ、ひもじい過去とはおさらばだ。 「アイツら」の眼差しが、忽ち滑稽なものに見えたのだ。自刃を考えてしまうような屋上が、こんなに見晴らしの良い所だったとは思わなかった。頬を振る風が、とても心地良い。たかだか腹を満たすことのできるかどうかで大袈裟な、と思うかもしれないが、私にはそれだけ大事なことなんだ。 弁当箱を恐る恐る開けてみると、たいそう彩り鮮やかな料理が規則正しく並んでいた。しかも、自分の好物をきっちり作っていることもあって、彼女に好感を持った(同時に、疑いも深まったということは否定し得ない)。一体どういう理由で彼女は僕なんかに弁当を作っているのだろうか…??そんな疑問が吹き飛んでしまうほど、料理は美味しかった。恵まれぬ者の挽歌を、声高らかに喧伝するようなことは、もはや出来なくなってしまったのである。 弁当を作ってくれたこと、そしてその真心を疑ってしまったことを詫びたい。その一心で、帰ってからすぐさま中心街へ向かった。聖なる夜が近づいていることもあり、あたりはカップルでいっぱいだった。白い息を走らせながら、家に帰る。3時間もウィンドウショッピングに行くとは思わなかった。こんなに心がときめくことってあったんだ。こんなに生きていることの素晴らしさを感じられる瞬間ってあったんだ。僕の体から興奮がさめることはなかった。
家に帰り着いた。しかし、不思議なことに「おかえりなさい」が聞こえてこない。どこを探してもあの人は出てこなかった。なぜなのだろうか。しょんぼりして冷蔵庫にお礼の商品を入れようとしたとき、「彼女」の姿が見えた気がした。
「…やっぱり、僕の想像だったんだろうか」
あの姿は、僕の美化されたイメージかもしれない。僕の幻想だったのかもしれない……だが、僕の舌は確かにその姿を捉えていたんだ。
……。いや、こんなところでムキになっていても仕方がない。そもそも、誰に対して、何に対してこんなにムキになることがあろうか。否、無いはずだ。
それからは、不貞腐れたようにベッドに行き、夜を過ごした。残念であった。誠に残念であった。なぜかって?この弁当があまりにも美味しかったから。お礼の一言も伝えられなかったから。僕が弁当を作ってもらったという事実が、消えてしまいそうだったから。
悔し涙を流しながら、私はあの姿を思い浮かべて床にふしたのであった________それから、彼女はまた其処に…つまり此処にいたのだ。
信じられない。自分の頬をつねっても、叫んでも、ビンタを受けても、それが現実とは信じられなかったのである。また彼女は、いつものように屈託のない笑顔でこう語りかけるのであった。
「昨日のお弁当はいかがでしたか?」
「そうですね…も、もう本当に、本当に美味しかったです‼︎とても美味しかったです‼︎」
自分の伝えられるありったけで伝えた。
人生、山あり谷ありだ。
人生、ジェットコースターだ。
僕の生き方は、まさに嬉しいことと悲しいことの連続。ジェットコースターとは実に言い得て妙だ。だが、それでいいのだろう。
__今日のお昼は……ふむ。なるほど。随分と和風なテイストになっているんだな。…さすがに味噌汁はなかったものの、それでも懐かしい味が連なって僕の味蕾を刺激した。甘く作られた玉子焼き、やけに塩辛いシャケ、白米にぽつんと乗った日の丸。全てが僕を郷愁の念へ駆り立てた。お母ちゃん、元気かな。亡くなってしまったわけじゃないけどね。
ひもじい思いをしていた、あの過去からすっぽりと逃げ出したような現実だ。こんなにも、生きることというのは心地よいものだったのか。
初めて、生きていることのありがたみを知った。
初めて、涙の味を知った。
初めて、人のぬくもりを知った。




