第5章 揺れる噂
リアライズのオフィスは、
表向きは、いつもと変わらない日常を保っていた。
電話の音。
コピー機の稼働音。
打ち合わせの声。
だが、その水面下では、
小さなさざ波が、確実に広がり始めていた。
「ねえ……聞いた?」
コピー機の前で、
誰かが小声で囁く。
「今回のプレゼン、他社と“酷似”してたって」
「え、マジ?」
「そんなこと、今までなかったよね?」
「調査、入ってるらしいよ」
その言葉は、
噂として形を持たないまま、
オフィスのあちこちに散っていく。
◇◇◇
涼平は、自分のデスクに座りながら、
周囲の空気の変化を、はっきりと感じていた。
(……来たか)
直接、何かを言われたわけではない。
だが、視線が違う。
通りすがりに、
一瞬だけ向けられる探るような目。
それでも涼平は、
いつも通りの調子で声をかける。
「お疲れ」 「例の案件、進んでる?」
笑顔も、態度も変えない。
それが、涼平なりの“踏ん張り方”だった。
◇◇◇
リアライズ近くのカフェで、
アークシステムズの3人と涼平は、
簡単なランチを取っていた。
「ここ、落ち着きますね」
凪が言いながら、コーヒーを一口飲む。
「うん……」
環は、窓際の席から外を眺めていた。
そのとき。
(……また)
胸の奥が、
ドキッとする。
視線を感じる。
ゆっくりと顔を上げると、
窓際のカウンター席に座る1人の女性と、
一瞬だけ目が合った。
すぐに逸らされる視線。
(……この人)
環は、はっきりとした違和感を覚えた。
怖くはない。
敵意とも違う。
ただ――
不安と焦りが、滲んだ目。
「……環?」
環の様子に、
柊はすぐに気づく。
「どうした?」
「柊、さっきも感じたんですけど……」
環は小さく言った。
「あの窓際のカウンターの女性…… さっき、一瞬、目が合って」
凪も、さりげなく視線を送る。
「……あの人?」
環は頷く。
「睨んでる感じじゃなくて…… 不安そう、というか…… 何かを隠してるような目でした」
柊は、すっと視線を戻した。
「……そうか……わかった」
◇◇◇
オフィスへ戻り、
凪はリアライズの社員データを確認していた。
「……いました」
キーボードを叩く手を止め、
画面を指す。
「江上紗唯 。
今回のプロジェクトメンバーの1人です」
「……さっきの女性だな」
柊が言う。
環は、画面を見つめながら静かに頷いた。
「やっぱり…… さっきの視線、偶然じゃなかったんですね」
凪は、少し考え込む。
「現時点では、何も断定できませんけど……
少なくとも、こちらを意識してるのは確かですね」
そのころ。
別のフロアで、
紗唯は自分のデスクに座りながら、
スマートフォンを見つめていた。
画面には、
恋人の名前。
――崎山圭太。
紗唯は、ぎゅっと唇を噛みしめる。
(……大丈夫)
(私の名前は、出てない)
(全部、“あの人”のログを使ったんだから……)
そう、言い聞かせる。
だが――
さっきカフェで目が合った、
あの女性。
穏やかなのに、
なぜか、すべてを見抜かれそうな気がして。
胸の奥が、ざわついたまま、
静まらなかった。
違和感は、
噂となり、
視線となり、
少しずつ形を持ち始めている。
そしてそれは、
まだ誰の口からも、
名前として呼ばれていないだけだった。




