第1章 違和感のログ
プレゼン当日。
株式会社リアライズの会議室には、昼前の光が静かに差し込んでいた。
プロジェクターに映し出されたスライドの端が、白く眩しく見える。
空調の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「――以上です。ご清聴ありがとうございました」
最後の一文を言い終えた瞬間、
中里涼平は背中に張りついていた緊張が、すっとほどけていくのを感じた。
隣で資料を片づけているのは、同じプロジェクトメンバーの江上紗唯。
そして後方では、数名のメンバーが小さく頷き合っている。
――手応えは、あった。
涼平は、胸の奥でそう確信していた。
言葉の運びも、間の取り方も、相手の反応も。
いつも通りの“仕事の勘”が、成功の手触りを教えてくれていた。
会議室の扉が開き、クライアント側の担当者が立ち上がる。
「ありがとうございました。内容、非常に興味深かったです」
丁寧な声に、涼平は軽く頭を下げた。
そのまま数人が言葉を交わし、
予定されていた質疑応答が始まる――そう思った、そのとき。
クライアント担当者が、少しだけ視線を泳がせてから言った。
「一点だけ……確認させてください」
会議室の空気が、わずかに変わる。
「今回のご提案なんですが……」
担当者は言葉を選ぶように、慎重に続けた。
「すでに別の会社から伺った内容と、酷似している部分が見受けられまして」
――酷似。
その単語が、耳の奥に残った。
“似ている”ではない。
“酷似している”。
涼平の胸の奥が、ほんの少しだけ冷たくなる。
「もちろん、アイデアが重なることはあると思います。ですが――」
担当者は穏やかな口調のまま、スライドの一部を指し示した。
「この構成、この表現、この切り口。偶然にしては、近すぎるように感じました」
会議室の中に、沈黙が落ちる。
紗唯が、ペンを持ったまま硬直しているのが視界の端に入った。
誰かが、唾を飲み込む音がした。
涼平は、笑顔を崩さないように口角を上げた。
それが仕事の癖だった。
「……ご指摘ありがとうございます。
こちらとしても、意図的に他社様の内容を参照した事実はありません。
もし差し支えなければ、どの部分が特に近いと感じられたか、もう少し具体的に伺えますか?」
丁寧に、冷静に。
“正しい対応”を選びながらも、涼平の頭は高速で回っていた。
――そんなはず、ない。
この資料は、チームで作った。
ゼロから考え、調べ、組み立てた。
誰かのものを盗むなんて、あり得ない。
……あり得ない、はずだ。
担当者は、資料を1枚めくる。
「こちらのストーリー設計と、演出の導入部分です。
同じ流れを、別の会社からも聞いています」
言葉は穏やかなのに、
胸の奥が、じわりとざわつく。
涼平はその場で答えを返しながら、
心の中で、もう一つの声を聞いていた。
――もし、ほんの一部でも、どこかから漏れていたとしたら。
――それは、どこから?
会議室の空気が、少しだけ重たくなる。
けれど涼平は、表情を崩さなかった。
崩せなかった。
この場にいる誰も、
まだ“事件”の入り口に立ったことに気づいていない。
涼平だけが、胸の奥に引っかかった小さな違和感を、
そっと握りしめていた。
◇◇◇
プレゼン終了後。
リアライズのプロジェクトメンバーは、小会議室に集められていた。
誰からともなく、ため息が漏れる。
「……正直、驚きましたよね」
最初に口を開いたのは、デザイナーの1人だった。
「“似ている”って言われたことは、今までもありましたけど……」
別のメンバーが頷く。
「でも、“酷似している”なんて言われたの、初めてです」
「ですよね」
「構成も、演出も、あれは誰でも思いつくようなアイデアじゃないはずです」
「偶然かぶるレベルを、明らかに超えてました」
テーブルの上に広げられた資料を見つめながら、
誰かがぽつりと呟いた。
「……酷似って、ほぼ“同じ”って意味ですよね」
その言葉に、会議室の空気が一段、重くなる。
「ここまで言われたら、このアイデアで通すのは厳しいな……」
「ええ。クライアント側も、そういう目で見てきますよね」
落胆が、ゆっくりと広がっていく。
涼平は、しばらく黙って皆の顔を見渡していた。
ひとりひとりの表情に、悔しさと戸惑いが滲んでいる。
「……まあ」
涼平は、少しだけ明るい声を作って口を開いた。
「今回は残念だったけどさ
切り替えよう。
こういうことも、仕事してたらある」
数人が顔を上げる。
「次の案件もあるし、今日のところは気持ち切り替えていこう
みんな、よくやってくれたよ」
その言葉に、
「そうですね……」
「切り替えないとですね」
と、何人かが無理に笑った。
会議は、そこでいったん解散になった。
◇◇◇
オフィスに戻り、
それぞれが自分のデスクに向かっていく。
涼平もパソコンを立ち上げたが、
画面を前にしても、指が動かなかった。
――切り替えよう。
さっき、自分で言った言葉が、胸の中で引っかかる。
(……でも)
あのプレゼン内容。
あの構成。
あの切り口。
ただ似ている、で済ませていいものだっただろうか。
「酷似している」
その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
(盗むか……)
(もしくは、どこかで聞いたか……)
どちらかしか、考えられない。
そんなこと、チームの誰かがするはずがない。
それは、理屈では分かっている。
それでも。
(……おかしい)
涼平は、椅子にもたれかかり、
小さく息を吐いた。
――じっとしていられなかった。
権限も、正式な調査手続きもない。
それでも、確かめずにはいられない。
「……少しだけ、調べるか」
誰にも聞こえない声で、そう呟く。
単独調査。
それが、後戻りできない一歩になるかもしれないと、
このときの涼平は、まだ知らなかった。
ただひとつ確かなのは、
胸の奥の違和感が、もう無視できる大きさではなくなっていたということだけだった。




