第9章 選んでしまった行動
リアライズのオフィスは、
いつもより静かだった。
残業する社員の数も少なく、
フロアの照明が、ところどころ落とされている。
紗唯は、自分のデスクで、
画面を見つめたまま、動けずにいた。
(……見られてた)
あのカフェでの視線。
穏やかで、怒りも敵意もないのに、
なぜか逃げ場を失うような目。
(あの人……)
胸の奥が、きゅっと縮む。
(大丈夫。
私は、ちゃんとやった)
(誰にも、バレない)
そう言い聞かせるほど、
心は落ち着かなくなっていく。
◇◇◇
スマートフォンが、静かに震えた。
画面に表示された名前に、
紗唯は一瞬、迷う。
――崎山圭太。
ためらいながらも、
メッセージを開く。
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圭太:次の件、準備どう?
圭太:今回、絶対に取らないとまずい
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指が、止まる。
(……また)
胸の奥に、重たいものが沈む。
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紗唯:進んでる
紗唯:問題ない
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短く返すと、
すぐに既読がついた。
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圭太:助かる
圭太:君がいると心強い
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その一文が、
嬉しいはずなのに、
なぜか、胸を締めつけた。
(……私が、いないと)
(私が、やらないと)
気づけば、
もう一度、ノートパソコンを開いていた。
(……少しだけ)
(確認するだけ)
自分にそう言い訳しながら、
指をキーボードに置く。
◇◇◇
同じころ。
リアライズの会議室では、
凪が、1人でモニターに向かっていた。
「……やっぱり」
低い声で、そう呟く。
ログの中に、
わずかな“揺れ”がある。
同じ権限。
同じID。
けれど――
使い方が、微妙に違う。
「……2人いるみたいだ」
凪は、画面をスクロールしながら、
慎重に痕跡を拾っていく。
(慣れてる動きと、慣れてない動き)
(同じ人間じゃない)
だが、
まだ断定はできない。
「……もう一段、必要だな」
凪は、
ログを保存し、
時間帯と端末情報を重ね始めた。
◇◇◇
そのころ。
紗唯は、
オフィスに1人残っていた。
誰もいないフロア。
自分の呼吸音だけが、やけに大きい。
(……これで、最後)
(これ以上は、やらない)
そう思いながら、
1つの操作を、終えようとした瞬間――
背後で、
エレベーターの到着音が鳴った。
びくり、と肩が跳ねる。
(……誰?)
思わず、画面を閉じる。
静かな足音。
誰かが、フロアに入ってくる。
(見られたら……)
心臓が、早鐘を打つ。
だが、
足音は、そのまま通り過ぎていった。
紗唯は、
その場に座り込むように、椅子に沈んだ。
(……危なかった)
それでも――
胸の奥に残るのは、安堵ではなかった。
(私……何やってるんだろう)
◇◇◇
翌朝。
凪は、
1つのデータを見つめていた。
「……見つけた」
ごく小さな、
しかし決定的な違い。
「端末……か」
同じID。
だが、
アクセス元の端末が、
一致しない。
凪は、静かに画面を閉じた。
(……これで、繋がる)
まだ、名前は呼ばない。
だが、
真実へ続く道は、
はっきりと見え始めていた。
一方で、
紗唯は、
自分が“選んでしまった行動”が、
すでに引き返せない場所へ
自分を連れてきていることに、
まだ気づいていなかった。




