プロローグ
スマートフォンの画面に表示されたURLを、
紗唯はしばらく見つめていた。
送ってしまえば、戻れない。
それはわかっている。
やってはいけないこと。
本当なら、止めなきゃいけなかったこと。
それでも。
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圭太:これで次もいけるな。助かる
紗唯:……うん
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短いやりとり。
それだけで、胸の奥がきゅっと縮んだ。
彼が喜ぶ顔を思い浮かべる。
それだけで、迷いは薄れていく。
(大丈夫……)
(私の名前は使ってない)
(誰にも、わからない……)
自分に言い聞かせるように、
紗唯は最後にもう一度だけ画面を確認し、
URLを送信した。
――送信完了。
小さな通知音が、
静かに闇の扉が開いた合図のように響いた。
◇◇◇
その頃。
休日のアウトレットモールは、
買い物客で賑わっていた。
「……あれ?」
人混みの中で、
聞き覚えのある声が、柊を呼び止める。
「柊?」
振り向いた柊は、一瞬、言葉を失った。
「……え?」
そこに立っていたのは、
どこか懐かしい、変わらない笑顔。
「やっぱり!
久しぶりだな、柊!」
「……涼平?」
中里涼平は、相変わらずの調子で笑っていた。
「何年ぶりだ?
いやー、それにしてもさ……
おまえ、なんか落ち着きすぎじゃね?」
「余計なお世話だ」
柊が苦笑する。
「柊先輩?」
後ろから声をかけた凪が、2人を見るなり目を見開いた。
「え……あっ、えーーー!?
涼平さんじゃないですか!」
「おお、凪!
おまえもいるのか!
相変わらずかわいい弟分だな〜」
「それ、褒めてます?」
「もちろんだって!」
そんなやりとりの少し先で、
雑貨店の前に立つ環が、2人の様子を見ていた。
凪が振り返る。
「環さん、こっちです!」
呼ばれて近づいてきた環を見た瞬間、
涼平はぴたりと動きを止めた。
「……ん?」
環と凪が並んで立つ姿を見比べて、
涼平の頭の中で、何かが一気に噛み合わなくなる。
「……え?
……え?
ちょっと待て」
1歩、2歩と近づきながら、涼平は混乱したように言った。
「凪。
……おまえ、彼女できたのか?」
「え?」
「いや、だってさ、
そんなに楽しそうに一緒にいるし……」
柊が思わず吹き出す。
「おい……涼平」
「いやいや、待てって!
だってさ、柊が昔クロノスで――」
そこまで言って、涼平は柊を見る。
「……あれ?」
柊は何も言わず、
すっと環の肩に手を回した。
「……紹介する。
俺の妻、環だ」
「…………は?」
一拍。
「……つ、妻?」
凪が笑いをこらえきれずに言う。
「涼平さん。
環さん、僕の彼女じゃないですよ。
柊先輩の奥さんです」
「………………」
涼平の思考が、完全に停止する。
「……え?
え?
ちょ、待て待て待て」
両手で頭を押さえ、
涼平は一気にまくしたてた。
「だってさ!
あの頃、柊がずっと気にしてた子だろ!?
なのに凪と一緒にいて!
え!?
どういう世界線!?」
柊と凪は大爆笑だった。
「涼平、落ち着け」
「無理だろこれ!
情報量多すぎる!」
環は、状況を理解したのか、
くすっと小さく笑った。
「……あの、驚かせてしまってすみません」
その声を聞いた瞬間、
涼平ははっとして、表情を緩めた。
「あ……いや。
そうじゃなくて……」
そして、ふっと力を抜く。
「……そうか。
柊、結婚したんだな」
柊は少し照れたように視線を逸らす。
「……ああ」
涼平は、心から安心したように笑った。
「よかったな。
ほんとに」
「……え?」
環が小さく声を漏らす。
「だってさ」
涼平は、少し懐かしそうに柊を見る。
「おまえ、あの頃ずっと環さんのこと好きだっただろ。
声もかけられないくせにさ」
「おい……」
「いや、事実だろ?」
凪がすかさず頷く。
「そうっすね。
柊先輩、見た目に反して恋愛ポンコツでしたし」
「……凪」
涼平は笑いながら、環に向き直った。
「環さん。
柊のこと、よろしくお願いします」
「柊、強そうに見えるけど、
あいつ結構もろいんで。
環さんが辞めた後、ほんとに大変だったんですよ」
「ちょっと……!」
環は、驚いたように目を瞬かせたあと、
ゆっくり微笑んだ。
「……そうだったんですね」
柊は顔を赤くして、
思わず両手で顔を覆う。
「もう……やめろって……」
そんな3人を見ながら、
環は静かに思った。
(……柊、こんなふうに笑うんだ)
誰も知らない。
この再会が、
やがて試される信頼と、選び直す勇気へとつながっていくことを。
それでも今はただ、
久しぶりの笑い声が、
休日の空気に溶けていた。




