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3.

「こんにちは。初めまして。婚約の件でお伺いしました、渡瀬(わたせ)紅葉(もみじ)と申します」


「あ……ああ。こ、こんにちは」


 薄い屏風を挟んで俺は当の婚約者なる人と会話をしていた。


 相手の影しか分からないが、けど柔らかい声は落ち着きがあって穏やかな印象を受ける。


「陽葉さん……でいいのですよね?」


「好きに呼んでくれ。逆に俺は君のことをどう呼べばいいんだろうか?」


「では、紅葉と呼び捨てにしてもらって結構です。実は私、殿方に名前で呼んでもらうことを夢見ていまして……!」


「そ、そっか。紅葉……さん」


「さんは要りませんよ」


「紅葉」


 やばい。まともに人と話したことがないせいか変に緊張してしまう。


 深呼吸を挟みなんとか平静を取り持つ。


「それで、一応紅葉と俺は婚約者ってことになるんだよな?」


「ですね。陽葉さんのお手を煩わせるようなことがないよう伴侶として精進します」


「いや、そんなにかしこまらなくていいというか。俺、正直この婚約にあんまり納得してなくて」


「そうですか……。私では不満足だったのでしょうか?」


「い、いやそうじゃない!君は少し話しただけでも魅力的に思うよ。ただ、俺がこの八束水家の次期当主とかいう身に余る立場に疑問があるだけで」


 一息挟んで俺は今の心境を全て言葉にした。


「俺、元々他人とあんまり関わらない生き方をしてたんだよ。だから、人の上に立つような器じゃないし、この先受け入れることができない気がするんだ。だから、そんな奴に君という婚約者ができるなんてあまりに不相応すぎると思う」


 おそらく俺は身の丈に合わない転機を迫られている。


 そこで自分を変えて乗り越えようだなんて真似は俺にはできない。


 仮に俺がこの変化を受け止めて、紅葉と結婚し八束水の当主になる未来を考える。


 それはきっと曖昧なもので、全てに対して不誠実だ。誰も幸せにならない最悪が見え透いている。


「陽葉さんとは今日が初対面ですけど、私はきっと大丈夫だと思いますよ」


「いや、口では何とでも言える。紅葉だって俺のことを知れば嫌でも思い知ると思う。俺がどれほどダメな人間かって」


 しばらく静寂が流れる。

 言いたいことは言った。本音を吐き出せて胸の奥に渦巻いていた不快感のようなものが消えた気がする。

 だから俺は最低だと思う。婚約者という体のいい話相手に不満をぶつけてしまう、自己中の半端者だ。


「陽葉君・」


 その時、正面の壁__俺と紅葉の間にあった屏風が傾いた。


 ダンとけたたましい騒音を立て屏風は床に重なる。


「陽葉君はなんでそんなに卑屈なんですかっ」


 小動物のような小柄な少女だった。

 その子は駄々をこねるみたいに地団駄を踏んで怒りを露わにしていた。


「え、ちょ……、紅葉……さん?」


「また、さんを付けましたね!今度さんを付けたら陽葉君を海に沈めますから!」


 驚いたのは今まで話していた相手が想像以上に小さかったからだけじゃない。


 それは彼女の頭の狐の耳と体に巻き付いている小麦色の尻尾。


「え?は?」


「驚きますよね。でも今は陽葉君と話をつけたいので後回しです」


 体重が傾く。紅葉に押し倒されたのだ。


 無抵抗に背中が床に押し付けられ、俺の腹に紅葉が乗っかる。


「陽葉君が悪いんですよ。私だって乱暴なことはしたくないんです」


「なら一旦退いてくれよ」


「嫌です。もうこのまま離しませんし、陽葉君のお嫁さんに意地でもなりますから」


 その体のどこにこんな力があるんだ。全く身動きができない。


 しばらく抵抗したが虚しく脱力して、完全に床に体重を預ける。


「よろしいです。陽葉君は非力ですね」


 紅葉は両手とお尻を俺の腹にくっつけ、尻尾で俺の頬をツンツンする。


「陽葉君は非力な上に卑屈で後ろ向きでもう魅力も何もありません」


 ですが__


 紅葉は優しく微笑みかける。


「そんなダメ人間なので気に入りました。八束水家とか私の事情とか無しにして、普通に私は陽葉君を好きになったのかもしれません」


「この一連でか?それはさすがに男の趣味が悪いと思うんだが」


「そうですね。確かに趣味は悪いです。でも私は成長物語が好きなんです。陽葉君のようなダメ人間が魅力的な男性に成長していくような」


 紅葉は俺から立ち退き、身を起こした俺と紅葉は真っすぐ顔を見合わせた。


「陽葉君、私は君を支えてあげたいんです。君が前向きに生きていけるように」


 琥珀色の瞳が俺を見つめる。期待の籠った純粋な瞳。


「……こんな俺を支えてくれるなんてよっぽど世話好きなんだな」



「それは陽葉君みたいな若い子をサポートするのが大人のお姉さんの役割ですから!代わりに陽葉君も困ったときは私を助けてくださいね」


 心にかかったモヤのようなものは完全に晴れていた。清々しい朝を迎えたような心地に、どうやら俺は変わりたいと思った。


 紅葉の手をゆっくり握る。小さくて冷たい手を取って俺は紅葉に笑みを零す。


 よほど不器用な笑みだったのだろう紅葉は驚いたように目をまんまるにして、その後今日一番の笑顔を咲かせた。


 これが俺と紅葉の出会い、そして婚約関係が結ばれた瞬間だった。


「それで、その耳と尻尾はなに?」


「ああ、これはですね____」



 腕に巻き付いてきた尻尾を空いている腕で撫でる。

 少し硬さのある質感なのにそれでいて柔らかい手触りが気持ちいい。


「ちょ、ちょっと。陽葉君くすぐったいですよ」


「いやもう少し触らせてくれ……。なんかこうしてたら落ち着く気がする」


 撫でるのを続けようとしたが、するりと尻尾が逃げた。


「もう!あんまり意地悪しないでください!」


「ごめんって。でも、ほんとに気持ちいいんだよ。それになんだかいい匂いもするし」


「陽葉君をこんなに罪な男にした覚えはありませんよ」


「紅葉に育てられた覚えは……まあ人間性的に育てられたか」


 紅葉と出会ってから俺は格段に前向きになってきた。と言っても未だに卑屈さが抜けきらず、その度に紅葉に叱られるものだが、一歩ずつダメ人間を卒業しつつある。


「いいお嫁さんに恵まれてしまった」


「ちょ、ちょっと恥ずかしいですよ。でも、陽葉君にそう言ってもらえて嬉しいです」


 紅葉は頬を赤く染めながら自身の尻尾をぶんぶん振る。


「まあでも、ほんとに紅葉でよかったよ」


「これからはその言葉の濃度を高めれるように頑張りますからね。例えば、来世も紅葉と結婚したい、とか言わせちゃいますよ」


「まだ結婚はしてないけどな。でも言わされちゃいそうなのが恐ろしい」


「ふふ。期待してくださいね」


 夏風が二人の間をすり抜ける。うだるような暑さも、非現実な運命も紅葉となら乗り越えられる気がした。


 服の裾をちょちょっと引っ張られて紅葉の方を向いた。


 いつになく顔を赤く染め上げた紅葉の顔は前髪が隠していて、表情が読めない。


「陽葉君……好きですよ」


「俺も好きかもな」


「そういうのは真っすぐ言うもんなんですよ!」


 怒った顔の紅葉も可愛い。


 これは俺の非現実と可愛い婚約者の物語だ。

元々短編として出す予定だったものを読みやすいように三話に分けて出させていただきました。

気に入っていただけたならブックマークや☆なんかいただけたら幸いです。

もしかしたら長編用に書き直す可能性も____。

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― 新着の感想 ―
紅葉ちゃんが可愛いですね。 私ももふもふしたいです
紅葉ちゃんが可愛い! 可愛らしい物語をありがとうございました!
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