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学園長の不審な行動

「お嬢様、お願いですからその、鼻息でハミングバードの感度を狂わせないでください。ただでさえ地下の激甚振動で、自分の三半規管はシェイクされてカクテル状態なんですから」


ポエムが、背負った二十キロの筐体をガタガタと鳴らしながら、恨めしそうに言った。彼の頭上では、精密な集音を司る『集音用猫耳カチューシャ』が、主人の不満に同期するように力なく折れ曲がっている。


「何を仰るの、ポエム。あのような巨大な音響増幅機構エンクロージャーを目の当たりにして、興奮しない技術屋エンジニアがどこにいますの? あれはもはや楽器ではありませんわ。空間そのものを震わせる、巨大な低域補完システム……いわば学園全体をサブウーファーに作り替えるという、狂気的なまでの情熱! わたくし、犯人と一度じっくりインピーダンスの配列美について語り合いたいくらいですわ!」


キャサリンは、埃を被ったドレスの裾を翻し、学園長室の重厚な扉の前に立っていた。地下通路から這い出し、そのままの足でここへ乗り込んできたのだ。地下に隠されたあの巨大な真鍮管の森。あれが学園の「音」を支配しているのは明白だった。そして、その管理責任者がこの事態を把握していないはずがない。


「いいですか、お嬢様。今は犯人との対談希望を出す場ではなく、あくまで『報告』ですからね。学園長にこの異常事態を伝え、速やかにこの重い機械を自分から降ろさせる……それが最優先事項です」


「分かっておりますわ。わたくしの『デス・カリバー』こそが至高であることを証明するためにも、この紛い物の装置は解体せねばなりませんもの」


キャサリンがノックもそこそこに扉を押し開ける。しかし、そこにあるじの姿はなかった。


「……あら。不在ですの?」


室内には、高級な葉巻の香りと、古い羊皮紙の匂いが混ざり合って停滞していた。窓から差し込む午後の陽光が、宙に舞う埃をキラキラと照らし出している。地下の喧騒が嘘のように静まり返ったその空間は、かえって不気味なほどの静寂を保っていた。


「お留守のようですね。では、伝言を残して撤退しましょう。自分、もう肩の筋肉が悲鳴を上げて……」


「待ちあそばせ。ポエム、何か違和感を感じませんこと?」


キャサリンは、すんすんと鼻を鳴らした。それは淑女にあるまじき動作だったが、彼女の嗅覚は今、物理的な「音の残り香」を捉えていた。


「違和感? 自分の人生そのものがお嬢様に振り回される違和感の塊ですが」


「そうではなくてよ。この部屋……妙に『デッド』ですわ」


キャサリンは部屋の中央でパチン、と指を鳴らした。乾いた音が響く。だが、その残響は不自然なほど短く、吸い込まれるように消えた。


「壁一面の本棚、厚手のカーテン……それだけではありませんわね。この部屋の構造自体が、特定の周波数を吸収するように設計されていますわ。まるで、外に漏らしたくない『音』がここにはあると言わんばかりに」


彼女の視線が、学園長の執務机の傍らに置かれた小さな書見台に止まった。そこには、一冊の古びた書物が開かれたまま置かれている。


「……『古代音響魔術:魂を共鳴させる禁忌の旋律』? まあ、なんて前時代的でオカルトチックなタイトルかしら」


キャサリンは眉をひそめ、そのページを指先でなぞった。そこには、魔法陣と共に、おどろおどろしい記述が並んでいた。『特定の振動を以てして、人の精神の深淵に干渉し、集団的な忘我状態、あるいは発声の拒絶を引き起こす……』


「お嬢様、それ……マジのやつじゃないですか。禁書ですよ、禁書。学園長がこんなもの読んでるなんて、教育者としてどうなんです」


ポエムがハミングバードのアンテナを揺らしながら覗き込む。


「ポエム、わたくしは魔法だの呪いだのといった非科学的な言葉は信じませんわ。ですが、ここに書かれている『魂の共鳴』という記述……これを物理学的に解釈すれば、『生体組織の固有振動数への強制介入』に他なりません。つまり、学園長は『喉切り公の呪い』などという安っぽい怪談を口実にして、この学園全体を使った大規模な音響実験を行っている可能性があるということですわ!」


キャサリンの瞳に、探究者特有の危うい光が宿る。


「実験……? 生徒たちの声を奪ってまで、一体何を実験するというんです」


「それは分かりませんわ。ですが、地下のあの巨大な装置と、この禁書の内容は合致リンクします。犯人は、音楽を奏でようとしているのではない。音という名の物理的圧力を用いて、人間の脳や肉体を直接制御しようとしている……。ああ、なんて素晴らしい……いえ、なんておぞましい発想かしら!」


キャサリンは興奮のあまり、机の上に身を乗り出した。その拍子に、机上に置かれていたインク瓶がカタカタと震える。


「お嬢様、落ち着いてください。机を揺らさないで。証拠隠滅を疑われますよ」


「揺らしておりませんわ! これは……微弱な固体伝播音ですわね。まだどこかで装置が稼働している……」


彼女は獲物を狙う猛禽類のような鋭さで、学園長の机を凝視した。整然と並べられた書類、高価そうな万年筆、そして重厚な革製のデスクマット。キャサリンはそのマットの端が、わずかに浮き上がっているのを見逃さなかった。


「……ありましたわ」


「え、何がです?」


「ポエム、ハミングバードの『超音波探傷モード』を起動なさい。この机の引き出し、あるいは隠し棚に、何かがありますわ。わたくしの低音レーダーが、ここから不自然な反射波エコーを感じ取っています」


「ええ……また無断で私物を漁るんですか。自分、退学になっても知りませんからね」


文句を言いながらも、ポエムは慣れた手つきでダイヤルを回した。ハミングバードが「ピィーー」という耳障りな高音を発し、机の構造をスキャンしていく。


「お嬢様、ここです。中央の引き出しの奥。二重底になっています」


キャサリンは躊躇なく手を伸ばした。淑女としてのマナー? そんなものは、デシベルの壁の向こう側に捨ててきた。彼女の指先が、隠されたスイッチに触れる。カチリ、という小さな金属音と共に、デスクマットの下から薄い隠し引き出しが滑り出してきた。


「これは……」


そこにあったのは、古びた羊皮紙ではなかった。極めて精密に、そして執拗なまでの細かさで描かれた、現代の魔導工学の粋を集めたような図面。


「設計図……? いえ、これは配線図ダイアグラムですわ。それも、ただの魔法回路ではありません。地下の真鍮管から各教室へ、どのように『振動』を分配ディストリビュートするかを記した、音響ネットワークの全体図……!」


キャサリンはその図面の一部を手に取り、窓の光に透かした。そこには、学園の時計塔を頂点とした、巨大な「共鳴系」の完成予想図が描かれていた。そして、その図面の隅には、まだインクの新しい手書きの注釈が添えられている。


『――周波数、17.4ヘルツ。出力、最大。これにて、"沈黙の聖歌"は完成する』


「17.4ヘルツ……。人間の可聴域を下回る、超低周波インフラサウンド……。やはり、奴の狙いはこれでしたのね」


キャサリンの指が、その図面を強く握りしめた。その時、静まり返っていた学園長室に、ズズ……という、あの地底からの不気味な脈動が再び響き渡った。今度は先ほどよりも、ずっと近く、そして強く。


「お、お嬢様! これ、図面だけじゃないですよ。その下に、まだ何か……」


ポエムが指差した先。図面が置かれていた場所のさらに奥に、金属製の小さなプレートが埋め込まれていた。そこには、学園の紋章とは異なる、奇妙な『歪んだ音叉』のマークが刻印されていたのである。

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