礼拝堂の音響解析調査
「……ポエム、何をボサッとしておりますの? 早くその『魔導周波数解析機試作三号:ハミングバード』をこちらへ。精密機械ですわよ、わたくしの重低音への情熱が結晶化した、魂のデバイスなのですから。卵を運ぶように丁重に扱いなさいな」
「自分、さっきから生卵どころか、いつ爆発してもおかしくない魔導爆弾を抱えている気分なんですけどね。大体、お嬢様。礼拝堂は祈りの場ですよ。そんな、怪しげな真鍮の歯車と発光クリスタルが突き出した、不審物の権化みたいな機械を持ち込んでいい場所じゃないんです」
聖歌隊の声が消えたという、呪われた礼拝堂。 静寂が支配するその空間に、わたくし、キャサリン・フォン・グランバッハの勝気な声と、従者ポエムの、人生の全てを諦めたような低い溜息が重なりました。
重厚な扉を閉めると、そこには不気味なほどの「無音」が横たわっていました。 しかし、わたくしの耳……いえ、前世から鍛え上げられた「音響脳」は、その静寂の裏側に潜む微かな違和感を鋭敏に察知しておりました。 わたくしはドレスの裾を翻し、祭壇の脇に置かれた四隅の水槽へと歩み寄りました。 本来なら、神聖な水を湛えて鏡のように静まり返っているはずの水面。ですが、そこには奇妙な模様が浮かび上がっていました。
「見てご覧なさい、ポエム。この幾何学的な紋様を。まるで砂を撒いたプレートが振動で描く、クラドニ図形のようですわ」
「はあ……。自分には、水が勝手に震えてて気持ち悪い、としか思えませんが」
「これだから素人は困りますわ。音とは空気の震え。そしてこの水面の波紋は、人間の耳には聞こえない『不可視の音』が、この空間を埋め尽くしている証拠ですのよ」
わたくしはポエムの手から、無理やり解析機をひったくりました。 この『ハミングバード』は、魔石の波動を音響エネルギーに変換し、空間の残響特性をリアルタイムで可視化する、わたくしの自信作。 アンテナ状の触針を空気中に突き出すと、装置の内部で歯車が高速回転を始め、小さな水晶のスクリーンに、緑色の光線が複雑な波形を描き出しました。
「さあ、ポエム。あそこの窓際に転がっている、哀れなコウモリを回収しなさい」
「え、自分、死んだコウモリを素手で? 呪われますよ、絶対に」
「安心なさい、死んではいませんわ。ただ、脳を特定の周波数で揺さぶられて、一時的に気絶しているだけです。……ふむ、やはり。この波形、20キロヘルツを優に超えていますわね。超高周波……。それも、単なるノイズではない。意図的に増幅され、この空間で『定常波』を形成していますわ」
わたくしは解析機を片手に、礼拝堂の石床をコツコツと鳴らしながら歩き回りました。 壁の厚み、天井のヴォールト構造、そして柱の配置。 この礼拝堂は、声を美しく響かせるための「楽器」として設計されている。しかし、その完璧な設計が、今は逆の目的……「声を打ち消す」ために利用されている。
「ポエム、そこ。右から三番目の装飾柱の前に立ちなさい。そこで『あー』と発声してみるのです」
「……嫌な予感しかしませんが。あー」
ポエムが気の抜けた声を出すと同時、解析機の針が激しく振れ、キィィィィィン、という、鼓膜を針で刺すような高音が、装置のスピーカーから漏れ出しました。
「うわっ!? 耳の奥が、耳の奥が熱い! 脳みそがシェイクされてるみたいだ!」
「動かないで! そのまま、もう少しだけ耐えるのですわ! データのサンプリングが終わるまで、あと三十秒……二十秒……」
「お嬢様、自分の忠誠心が今、音を立てて崩壊しそうです! 視界がチカチカする!」
「はい、終了ですわ。お疲れ様」
わたくしがスイッチを切ると、ポエムはその場に膝をつき、激しく咳き込みました。 彼は喉をさすりながら、掠れた声で言いました。
「……今、声が、出にくかったです。喉の奥が震えて、空気が逃げていくような……」
「当然ですわ。超高周波による喉粘膜の微振動。それが特定の定常波と干渉し、声帯の正常な震えを阻害している……。これが『沈黙の呪い』の物理的な正体ですわ」
わたくしは解析機の画面を見つめ、不敵な笑みを浮かべました。 呪い? 悪霊? 笑わせないでいただきたい。これは、極めて精緻に計算された「音響工学」の仕業です。 わたくしは、ポエムが立っていた柱に歩み寄り、その表面を指先でなぞりました。 他の柱は冷たい大理石の感触ですが、この柱だけは、指先に微かな、しかし確実な「熱」と「震え」を伝えてきます。
「見つけましたわ。……この柱、材質が違いますわね。表面は石材を装っていますが、内部に特殊な魔導合金……あるいは、振動を増幅させる空洞が仕込まれている」
わたくしは柱の基部を蹴りつけました。 コン、という乾いた音の中に、耳の良い者でなければ聞き逃すような、金属的な余韻が混じっています。
「ポエム、見てご覧なさい。この柱の装飾。天使の彫刻が持っているラッパの向きが、わずかに計算された角度で天井の反射点を向いていますわ。これは偶然ではありません。意図的に、この礼拝堂という空間全体を『共鳴箱』に変えているのです」
「……つまり、誰かが細工をしたってことですか? でも、そんなこと、いつの間に……」
「それを調べるのが、わたくしたちの仕事ですわ。ですが、これだけは断言できます。この現象は、わたくしの重低音とは対極にある、繊細で悪趣味な『高音の罠』です。わたくしのデス・カリバーが放つ、大地を揺るがすような至高の低音を、こんな小賢しい超音波と一緒にされては心外ですわ!」
わたくしは扇を取り出し、バサリと広げました。 怒りで胸が高鳴ります。技術を、音を、人を欺くための道具に使う。それは、重低音の深淵を愛する者として、断じて許せることではありません。
「ポエム、次のステップへ移りますわよ。この礼拝堂の設計図……それも、改築の記録があるはずです。特に、この装飾柱が設置された時期を特定しますわ」
「お嬢様、顔が怖いですよ。……で、仮説というのは?」
わたくしは、礼拝堂の天井を見上げ、確信を込めて告げました。
「これは、単なる嫌がらせではありませんわ。この礼拝堂の建築構造そのものを『巨大な消音装置』に作り替えるには、膨大な知識と準備が必要です。犯人は、学園の内部に精通し、なおかつ、『音』を排除することで、自分たちの『静寂』を守ろうとした……極めて保守的で、偏執的な音楽的感性の持ち主ですわ」
わたくしの第一の仮説。 それは、この怪奇現象が「音を憎む者」による、建築学的なテロリズムであるということ。
「さあ、行きますわよ、ポエム! 犯人を見つけ出し、わたくしのデス・カリバーの最大出力で、その鼓膜に本物の『音』を刻み込んで差し上げなくては!」
「……やっぱり、最後は暴力(物理的な音圧)で解決するつもりなんですね、自分、もう驚きませんよ」
フラフラと立ち上がるポエムを尻目に、わたくしは礼拝堂を後にしました。 背後で、あの不可視の振動が、まだ空気を震わせています。 待っていらっしゃい。三日後、貴方の「静寂」という名の脆弱な城を、わたくしが根底から粉砕して差し上げますわ!




