不浄なる音の主への糾弾
「お嬢様、お願いですからその『獲物を見つけたマッドサイエンティスト』のような顔はやめてください。自分、この後の展開を予想するだけで胃に穴が開きそうです。それも、大口径のバスレフポートみたいな巨大な穴が」
ポエムの必死の諫めも、今のわたくしの耳には心地よいBGMにすら聞こえません。わたくしは、声を失い呆然と立ち尽くす聖歌隊の少年から手を離すと、ゆっくりと立ち上がりました。
指先に残る、あの不自然な微振動。空気の振動が、ある特定の周波数で固定され、定常波となってこの空間を支配している。これは「呪い」などという非科学的なオカルトではありません。極めて緻密に計算された、物理的な「音響兵器」の仕業ですわ。
「ポエム、聞こえますか? この、鼓膜の裏側を針でなぞられるような不快な静寂が」
「自分には、お嬢様が次に何を言い出すかという恐怖の音しか聞こえません」
「ふふ……。素晴らしい。わたくしの『デス・カリバー』が重低音の暴力だとするならば、これは高周波の拷問。音響工学への冒涜、あるいは究極の嫌がらせですわね」
わたくしがその「見えない音」の正体に思いを馳せていた、その時です。
「――そこまでだ、不浄なる音の主、キャサリン・フォン・グランバッハ!」
礼拝堂の重厚な扉が、これ以上ないほどドラマチックな音を立てて跳ね飛ばされました。逆光を背負い、まるで見せ物のような大股で歩いてくるのは、この国の第一王子、アリスティア。無駄に装飾の多いマントを翻し、彼はわたくしを指差して、朗々と宣言したのです。
「この神聖なる始業式を、あろうことか『呪い』で汚した罪、言い逃れはさせんぞ!」
わたくしは、思わず深いため息をつきました。せっかくの思考の共鳴が、この低俗なノイズによって乱されてしまったのですから。
「アリスティア様。相変わらず、登場の仕方が視覚情報をキャバーシティオーバーしたやかましさですわね。デシベル換算で言えば、今の扉の音は優に百を超えていますわ。近所迷惑という概念をご存知かしら?」
「黙れ! 貴様が地下室で夜な夜な怪しげな箱を鳴らし、大地を揺るがしているという噂は既に俺の耳に届いている。その『不浄なる重低音』が、ついに聖歌隊の清らかな声を奪ったのだ! 証拠は明白だ!」
王子の背後から、彼を崇拝する取り巻きの令嬢たちが、扇子で口元を隠しながらクスクスと笑い声を漏らします。「まあ、なんて恐ろしい」「やはりあの悪役令嬢、悪魔と契約して音を盗んだのね」……やれやれ。彼女たちの脳内構造は、わたくしの自作スピーカーの配線よりも単純なようですわ。
「王子、一つ訂正させていただいてもよろしいでしょうか」
わたくしは、優雅に、しかし圧倒的な威圧感を持って一歩踏み出しました。
「わたくしの『デス・カリバー』が奏でるのは、不浄な音などではありません。それは宇宙の根源に迫る、至高の三〇ヘルツ。魂を震わせ、内臓の位置を正しく矯正する聖なる振動です。それを、この、安っぽい耳鳴りのような現象と一緒にされるのは、技術者として、そして重低音愛好家として、断じて看過できませんわ」
「なっ……! 何をわけの分からんことを! 現に、彼らは声が出ないのだぞ! 貴様の呪い以外に何があるというのだ!」
アリスティア王子は顔を真っ赤にして叫びます。ポエムが横から「お嬢様、火に油を注ぐのはやめてください。自分の心臓の鼓動が、すでにBPM二〇〇を超えています」と小声で訴えてきますが、無視です。
「王子、貴方は『音』というものを何だと思っていらっしゃるの? ただ耳に聞こえるだけのもの? 違いますわ。音とはエネルギー、すなわち物質の震えです。今のこの状況、見てごらんなさい」
わたくしは壇上の隅に置かれた、聖水が入ったクリスタルの水槽を指差しました。水面には、風もないのに細かな、幾何学的な模様が浮かび上がっています。
「これはクラドニ図形。特定の周波数が水面と共鳴している証拠です。そして、窓際に落ちているあのコウモリたち。彼らは超音波を頼りに生きる生き物。つまり、ここには人間の可聴域を超えた『高周波の壁』が張り巡らされているのです。わたくしの重低音とは、スペクトルの真逆にある現象ですわ」
「……コウ、モリ? クラ……何だと? 貴様、煙に巻くつもりか!」
アリスティア王子は、わたくしの説明を理解することを早々に放棄したようです。彼は腰の剣の柄に手をかけ、尊大に言い放ちました。
「御託はいい! 貴様がこの呪いを解かぬというのなら、俺は王族の権限をもって、貴様をこの学園から追放し、あの忌々しい『重低音の箱』をすべて粉砕してやる!」
「粉砕……?」
わたくしの脳内で、何かが切れました。いいえ、正確には、わたくしの中の真空管が真っ赤に加熱され、フルブースト状態になったのです。
「わたくしの……『デス・カリバー』を、粉砕とおっしゃいましたか?」
「ああ、そうだ! あの悪魔の装置など、この世にあってはならんのだ!」
わたくしは、ゆっくりと、しかし確実な足取りで王子へと歩み寄りました。ポエムが「あ、これ終わった。自分の人生、ここでクランクアップだ」と絶望的な呟きを漏らしていますが、構いません。
王子の鼻先数センチまで顔を近づけると、わたくしは冷徹な、しかし情熱を孕んだ笑みを浮かべました。
「いいでしょう、アリスティア様。その挑戦、謹んでお受けいたしますわ。わたくしが、この『沈黙の呪い』の正体を、三日以内に暴いて差し上げます」
「な、三日だと?」
「ええ。ただし、もしわたくしが真相を突き止め、この現象がわたくしの音とは無関係であると証明した暁には……」
わたくしは王子の喉元を、まるで回路の接触不良を確認するかのような鋭い視線で射抜きました。
「貴方のその、無駄に響きだけは良い声を、わたくしの次なる実験――『骨伝導による超重低音の肉体透過実験』の被験体として提供していただきますわ。もちろん、拒否権はありません」
「ひっ……!?」
王子が情けなくのけぞります。周囲の令嬢たちからも悲鳴が上がりましたが、わたくしの勢いは止まりません。
「無知は罪ではありませんが、技術への侮辱は万死に値します。この『沈黙』という名の安っぽいトリックを仕組んだ輩に、本物の『音の力』というものを教えてやらねば気が済みませんの」
わたくしはポエムの方を向き、パチンと指を鳴らしました。
「ポエム! 撤収ですわよ。まずは、あそこの柱の装飾と、水槽の波紋の周期を測定します。計測器の準備をなさい!」
「……はいはい。了解しましたよ。どうせこうなると思って、絶縁防護服と予備の魔石は馬車に積んであります。全く、自分、次の人生では静かな図書館の司書にでもなりたいです」
肩を落とすポエムを従え、わたくしは呆然と立ち尽くす王子と取り巻きたちの間を、堂々と割って歩き出しました。
「アリスティア様、震えて待っていらっしゃい。三日後、貴方の常識という名の貧弱なスピーカーを、わたくしが根底から吹き飛ばして差し上げますわ!」
礼拝堂を出る間際、わたくしはもう一度だけ、あの「沈黙」が支配する空間を振り返りました。耳の奥で鳴り続ける、不可視の振動。その主が誰であれ、わたくしの「音」を汚した報いは、高くつくことになりますわよ。
わたくしの高笑いが、静まり返った学園の廊下に、心地よい低音の余韻を残して響き渡りました。




