そして、新たな重低音の旅へ
事件は解決した。 学園を揺るがした「沈黙の聖歌隊」も、魔力核を狙った学園長の陰謀も、すべてはわたくしの放ったド底音の前に、塵芥となって消え去ったのです。 王国政府と学園理事会は、この未曾有の不祥事を隠蔽……もとい、円満に収束させるため、わたくしに莫大な口止め料――失礼、解決の功績に対する「特別報奨金」を支払いました。さらに、わたくしが強く要望した「学園地下エリアの永久私有権」についても、二つ返事で承認されたのです。
あれから一ヶ月。 聖アリア学園の地下は、かつての薄暗い石造りの空洞から、人類史上類を見ない「音響工学の聖域」へと変貌を遂げていました。
「ポエム、そちらのインピーダンス整合はどうなっておりますの?」 わたくし、キャサリン・フォン・グランバッハは、巨大なコンソールパネルの前で鋭い声を飛ばしました。 かつてのドレス姿はどこへやら。今のわたくしは、耐熱・耐震仕様の特注作業用ドレスに身を包み、首からは最新鋭の魔導測定器を提げております。
「……自分、先ほどから右耳の三半規管がログアウトしかけているのですが。お嬢様、この第六出力系統の魔力供給量、明らかに計算がおかしいです。これではスピーカーが鳴る前に、学園の地盤が砂になります」 助手――もとい、忠実なる実験台であるポエムが、げっそりと頬をこけさせて答えました。 彼は今、高さ五メートルを超える超巨大サブウーファーユニット『デス・カリバー・マークII』の背面にへばりつき、極太の魔導直結ケーブルと格闘しています。その首には、例の「集音用猫耳カチューシャ」が、今や彼の身体の一部であるかのように鎮座していました。
「あら、砂になるならそれもまた一興。土壌の粒子が音波によって流動化する『液状化現象』を、この目で見られるチャンスですわ。それよりもポエム、第七ダクトの吸音材が甘いですわよ。わたくしが求めているのは、純粋な、一点の曇りもない『質量を持った空気の塊』。壁の反響などという雑味は、わたくしの美学に反しますの」「お嬢様、自分は雑味以前に、自分の内臓がシェイクされてカクテルになりそうなのですが。昨夜から、心臓の鼓動がサブウーファーの待機電力と同期し始めています。これ、労災ですよね? 生命保険の受取人、実家の母にしておいてもいいですか?」「何を弱気な。貴方の骨密度は、日々の振動によって今やダイヤモンドに匹敵する硬度に達しているはずですわ。感謝なさい、ポエム。貴方は世界で最も頑丈な従者になりつつあるのです」
わたくしは鼻歌まじりに、クリスタル製のフェーダーをゆっくりと押し上げました。 この地下スタジオ――通称『グランバッハ・ベース・キャッスル』は、学園の魔力核から直接エネルギーをバイパスしています。壁面はすべて、振動を吸収しつつ増幅させる特殊な魔導合金でコーティングされ、空間全体が巨大な「エンクロージャー」として設計されているのです。
「さて、準備は整いましたわ。本日の実験は、可聴域を完全に捨て去り、全エネルギーを十二ヘルツに集中させた『臓物転位重低音』のテストです。ポエム、耐震ベルトを締めなさい。奥歯を噛み締め、舌を噛まないように注意することですわ」「……十二ヘルツ。もはや音ですらない、ただの災害ですね。了解しました。自分、死んだら墓石には『低音に殉じた男』と刻んでください」
ポエムが諦めたように、自身の身体を頑丈な鉄柱にベルトで固定しました。 わたくしは、不敵な笑みを浮かべます。 前世で夢見た、ライブハウスの最前列で全身を叩き潰されるような、あの快感。それを超える、物理的な「暴力」としての音。 婚約破棄? 王妃の座? そんなものは、この空気を震わせる巨大なエネルギーに比べれば、あまりに軽薄で、高周波で、耳障りなノイズに過ぎません。
「行きますわよ。全回路、フルドライブ! 魔力核、リミッター解除! 出力設定――『UNIVERSE』!」
わたくしが、中央の巨大な赤いスイッチを、慈しむように押し込みました。
――その瞬間。 音が消えました。 いえ、音が大きすぎて、鼓膜が音として認識することを拒絶したのです。 代わりに、世界が「圧」に支配されました。
ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ……。
地底の底から、巨大な怪物が目覚めたような、あるいは惑星そのものが身震いをしたような、凄まじい振動。 スタジオ内の空気が、目に見えるほどの密度で圧縮され、波となって押し寄せます。 ポエムの頬が、高速で波打ちました。彼の持っていたティーカップが、粉々に砕け散ることも許されず、ただその場で「粉」へと還元されていきます。
「おーっほっほっほっほ! これですわ! これこそがわたくしの求めていた、魂を揺さぶり、DNAを書き換える重低音! 世界が、世界が震えておりますわ!」
わたくしの高笑いさえ、その圧倒的な音圧にかき消され、物理的な振動となって空間に溶けていきました。 地下スタジオの天井から、パラパラと石粉が舞い落ちます。しかし、それは崩壊の予兆ではなく、建物全体がわたくしの音に「共鳴」し、歓喜の産声を上げている証拠。
一方、地上では――。 聖アリア学園の全校生徒たちが、突如として発生した「原因不明の局地的大地震」にパニックに陥っていました。「またか! またあの『重低音の令嬢』の仕業か!」「逃げろ! 立っていられない! 膝の皿が笑いすぎて、勝手にダンスを踊ってしまう!」 校舎の窓ガラスが一斉にビリビリと鳴り、池の水面には幾何学的なクラドニ図形が描かれ、銅像の首がリズムに合わせて回転し始めます。 かつてわたくしを糾弾したアリスティア王子は、食堂でスープを飲もうとした瞬間に発生した激震により、皿ごとスープを顔面に浴びて白目を剥いていました。
しかし、そんな地上の喧騒など、地下深くのわたくしには一切関係ありません。
「ポエム! まだ出力を上げられますわよ! 魔力配管のバイパスをさらに三つ開きなさい!」「……(もはや声も出ないポエムが、親指を立てて白目を剥く)」
わたくしは、狂喜乱舞しながらコンソールを叩きました。 前世で果たせなかった夢。今世で手に入れた自由。 わたくしは、悪役令嬢などという決められたロール(役割)を、この重低音で粉砕し続ける。 誰にも邪魔はさせません。この世界の底辺から、天界まで届くほどのド底音を響かせて差し上げますわ。
学園の地下から、再び、かつてない規模の衝撃波が放たれました。 ドォォォォォォン……!
それは、新たな伝説の幕開けを告げる、重低音の咆哮。 聖アリア学園に、今日もまた、安息の時間は訪れないのでした。
「おーっほっほっほ! もっと、もっと深く、臓物に響かせなさいませ――!」
爆音と共に、物語の幕が下りる。 しかし、わたくしの探求する「究極のド底音」への旅は、まだ始まったばかりなのです。




