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王子の謝罪と令嬢の拒絶

 朝日が昇り始めた聖アリア学園の回廊を、奇妙な音が支配していました。「ズ、ズズ……ズズズ……」 それは、煤まみれの公爵令嬢キャサリン・フォン・グランバッハが、白目を剥いて硬直した従者ポエムの襟首を掴み、大理石の床を引きずっていく音でした。「……ポエム、しっかりなさい。貴方の骨格は今、わたくしの放った三十ヘルツの純粋な振動によって、かつてないほどの強度を得ているはずですわ。いわば、人間ダイヤモンド。誇りに思いなさいな」「……じ、自分……肺が……肺が右と左で入れ替わったような気が……」 ポエムが蚊の鳴くような声で応えます。どうやら生きてはいるようです。 わたくしたちの手には、先ほど学園の魔力核を暴走から救い、黒幕である学園長を物理的な音圧で粉砕した超弩級魔導サブウーファー『デス・カリバー』が、誇らしげに鎮座していました。その重厚な黒い筐体からは、まだ微かに熱を帯びたオゾンの香りが漂っています。


 その時でした。「――待て! キャサリン!」 静寂を切り裂くような、よく通る、しかしどこか上ずった声が響きました。 わたくしがポエムを引きずる手を止め、ゆっくりと振り返ると、そこには第一王子アリスティアが立っていました。 金髪は乱れ、マントの端は焦げ、先ほどまでの傲慢な余裕は微塵もありません。彼はわたくしの姿を見るなり、一瞬だけ怯えたように肩を震わせましたが、すぐに意を決したように歩み寄ってきました。


「キャサリン……俺は、大きな間違いを犯していたようだ」 アリスティアはわたくしの正面に立つと、芝居がかった仕草で胸に手を当てました。「お前が地下で成し遂げたこと、そしてあの学園長の正体……すべて聞いた。お前のあの……その、耳障りな……いや、力強い音響魔術がなければ、この学園は崩壊していた。俺はお前を悪徳の令嬢と決めつけ、あまつさえ婚約破棄まで突きつけた。すべては俺の不徳の致すところだ」 わたくしは無言で彼を見つめました。正確には、彼の下顎の振動を観察していました。「……キャサリン、許してくれ。俺は、お前の真の価値を見誤っていた。お前ほど学園を、そしてこの国を想う情熱的な女はいなかったのだな。あの激しい音圧……あれこそがお前の、俺への愛の咆哮だったのだと、今なら理解できる!」「はあ」 わたくしは、短く吐き捨てました。 ポエムが床に転がったまま、「あ、これ、一番面倒くさい勘違いのパターンだ……」と、力なく呟くのが聞こえました。


 アリスティアは、わたくしの冷淡な反応を「照れ」だと解釈したのか、さらに一歩踏み込んできました。彼は跪き、わたくしの煤けた手を取ろうとします。「キャサリン、婚約破棄は撤回する。いや、改めて俺から申し込ませてくれ。俺の隣には、お前のような……その、爆発的なエネルギーを持つ女が必要だ。さあ、手を取り合って、共にこの学園に新しい調べを刻もうではないか!」 朝日を背に受け、王子が差し出した手。 乙女ゲームのヒロインであれば、ここで涙を流して喜ぶシーンなのでしょう。あるいは、溜飲を下げて彼を許す、大団円の結末。 ですが、わたくしの脳内にあるオシロスコープは、極めて冷静な波形を描き続けていました。


「……王子様」 わたくしは、彼の目を見据えて口を開きました。「今、貴方の声の周波数を解析いたしましたけれど……基底周波数が約二百ヘルツ。倍音成分が極めて薄く、中音域に妙な歪みがありますわね。一言で申し上げれば、『スカスカ』ですわ」「……えっ?」 アリスティアが呆然と声を漏らします。「そんな貧弱なスピーカーのような声で、わたくしの魂を揺さぶれるとお思いでして? わたくしが求めているのは、鼓膜を突き破り、横隔膜を痙攣させ、内臓の配置を書き換えるほどの純粋な重低音。貴方の謝罪には、サブウーファー一基分の音圧すら感じられませんの」


 わたくしは、彼の手を冷たく振り払いました。「王子様の声は、わたくしの『デス・カリバー』に比べればあまりに貧弱。わたくしはもっと、臓物に響く男……いえ、音を探求しますの。愛だの婚約だのといった、減衰の激しい高周波な感情に構っている暇はございませんわ」「な、何を言っているんだ……? 俺は、王子であるこの俺が、お前を認めてやると言っているんだぞ!」「それが『上から目線』という名の、不快なハウリングを起こしていることに気づきませんの? 位相がズレてますわよ、王子様」


 わたくしは、再びポエムの襟首を掴み上げました。「ポエム、行きますわよ。次は学園の時計塔を、超大型のバックロードホーンに改造する計算を始めなくてはなりませんわ。今回の事変で、学園の石材が特定の低周波に対して極めて優れた共鳴特性を持っていることが証明されましたもの」「……お嬢様、自分、次はせめて耳栓を二重にさせてください。あと、労災の申請を……」「骨密度が上がったのだから、実質的な報酬は受け取っているようなものですわ。さあ、前を向きなさい」


 わたくしは、呆然と立ち尽くすアリスティア王子を完全に無視して、悠然と歩き出しました。 背後で王子が「待て! キャサリン! 俺の話はまだ終わっていない!」と叫んでいますが、わたくしの耳には、学園の地下から響いてくる微かな地鳴り――地球そのものが奏でる、極低周波のハミングしか届きません。


「ああ、素晴らしいわ……」 わたくしは、朝日に向かって高らかに笑いました。 婚約破棄? 結構ですわ。王妃の座? そんな窮屈なエンクロージャーに閉じ込められるのは御免です。 わたくしは自由です。 この世界に、まだ誰も聴いたことのない、空気を物理的な質量に変えるほどの「究極のド底音」を響かせるまで、わたくしの旅は終わりません。


「おーっほっほっほっほ! 全校生徒の皆様、覚悟なさい! 明日の朝のチャイムは、二十ヘルツの衝撃波でお届けいたしますわよ!」


 わたくしの高笑いが、学園の長い廊下に完璧な残響を伴って、どこまでも、どこまでも響き渡っていきました。 その振動が、王子の足元の床を僅かに揺らし、彼をその場にへたり込ませたのは、言うまでもありません。

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