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崩れ去る野望と静寂

 わたくしは煤で汚れた手袋を脱ぎ捨て、額の汗を拭いました。頬には煤がべったりとついていたはずですが、そんなことは些末な問題です。


 視線の先では、学園長が膝をついていました。 彼が操っていた「指向性高周波魔導発振器」は、わたくしのデス・カリバーが放った三十ヘルツの純粋な暴力――失礼、純粋な重低音によってインピーダンス整合が完全に破壊され、無残な鉄屑と化しています。


「私の……私の、完璧な調律が……。古代の叡智を結集した、究極の『福音』が……」


 学園長は、焦点の定まらない目でブツブツと呻いていました。 彼の耳や鼻からは、わずかに黄金色の魔力が漏れ出しています。自らが生み出した高周波と、わたくしの放った逆位相の重低音が、彼の体内という極めて狭い空間で「定在波」を形成してしまったのでしょう。 簡単に言えば、彼は自らの野望という名のスピーカーの中で、自分自身が「ハウリング」を起こしてしまったのです。


「学園長、貴方の理論は確かに興味深いものでしたわ。学園全体を共鳴箱エンクロージャーに見立て、生徒たちの声を触媒に魔力核を共振させる……。ですが、決定的に足りなかった。それは『厚み』ですわ」


 わたくしは、まだ熱を帯びているデス・カリバーの真空管を愛おしく撫でながら、彼を見下ろしました。


「高音は確かに華やかですが、土台となる重低音のない音は、ただの空虚な叫びに過ぎません。貴方は、わたくしの低域という名の『物理的な正論』に押し潰されたのですわ」


 その時です。 ドォォォォォ……ン、という、地底から響くような重厚な音が、今度は地下神殿ではなく、学園の上層階から聞こえてきました。 それは破壊の音ではありません。 これまで学園中の魔力配管に溜まり、生徒たちの「声」を抑え込んでいた異常な定在波が、共鳴の解除とともに一気に解放された音。


 静寂が、一変しました。


「あ……」「あ、ああ……!」


 地下神殿の隅で、生贄のように配置されていた聖歌隊の生徒たちが、一人、また一人と自分の喉に手を当てました。 奪われていた「音」が、戻ってきたのです。 彼らの口から漏れる、掠れた、しかし確かな生身の声。それは地下の冷たい空気と混ざり合い、美しい和音となって広がっていきました。


「聞こえる……自分たちの声が!」「戻ったんだ! 呪いが解けたんだわ!」


 彼らの歓喜の声は、魔力配管を逆流し、地上へと駆け上がっていきました。 保健室で伏せっていたリリアン様も、今頃は自分の「天界の銀鈴」が再び鳴り響くことに驚喜していることでしょう。 学園全体を覆っていた、あの不気味な「沈黙の壁」は、わたくしの放ったド底音によって、物理的に粉砕されたのです。


「……お見通しでしたわ。貴方の仕掛けた『喉切り公』の正体も。特定の風速と魔力圧が重なった時にだけ発生するカルマン渦、そしてそれを増幅させる北校舎の共鳴構造……。すべては、この地下神殿へエネルギーを集約させるための、壮大な『調音装置』の一部だったわけですわね」


 わたくしは、力なく崩れ落ちた学園長に最後通牒を突きつけました。 彼はもう、反論する気力さえ残っていないようでした。自らが作り上げた完璧な音の迷宮を、たった一発の重低音で更地にされたショックは、計り知れないものでしょう。


「さて、ポエム。撤収の準備をなさい。このデス・カリバーは精密機械ですのよ。湿気を吸う前に、わたくしの部屋の『重低音保護区』へ戻さなくてはなりませんわ」


 返事がありません。 見れば、ポエムは白目を剥いたまま、ピクピクと痙攣していました。


「……あら。少々出力を上げすぎましたかしら? でも、おかげで貴方の骨密度は、大理石並みに強化されているはずですわよ。感謝なさい」


 わたくしは、煤だらけの顔で満足げな笑みを浮かべました。 鏡を見ずともわかります。今のわたくしは、究極の音を追い求めた職人の顔をしているはずですわ。婚約破棄だの、悪役令嬢だの、そんな瑣末な世俗のラベルなど、この三十ヘルツの振動の前では何の意味も持ちません。


 地下神殿の天井から、パラパラと塵が落ちてきました。 崩落の予兆……いえ、これは学園が、わたくしの音に感動して震えているのですわ。きっと。


「さあ、行きましょう。明日の朝食は、重低音で熟成させた特製のパンを焼かせますわよ」


 わたくしは、動かないポエムの襟首を掴み、ズルズルと引きずりながら歩き出しました。 背後では、完全に沈黙した学園長と、再起不能になった魔導装置が、静寂の中に沈んでいきました。


 地下神殿を抜けると、そこには夜明け前の、澄み切った空気が広がっていました。 遠くの礼拝堂から、誰かが試しに鳴らした鐘の音が、心地よい残響を伴って響いてきます。 わたくしは、その音の周波数を無意識に解析しながら、悠然と学園の廊下を進みました。


 事件は解決しました。 ですが、わたくしの探求は止まりません。 今回の実験で、十ヘルツ付近の解像度に課題があることが判明しましたもの。 次は、学園の時計塔全体をサブウーファーに改造する計画を立てなくては……。


 わたくしの頭の中では、すでに次なる「究極のド底音」の設計図が、クラドニ図形のように美しく描き出されていました。 聖アリア学園に、本当の意味での「平穏」が戻るには、もう少し時間がかかりそうですわね。 おーっほっほっほっほ!


 わたくしの高笑いが、まだ誰もいない廊下に、完璧なリバーブを伴って響き渡りました。

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