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追い詰められたキャサリン

 石造りの長い廊下に、規則正しい軍靴の音が響き渡る。カツン、カツン、というその硬質な残響は、およそ学園の平穏とは無縁の威圧感を孕んでいた。「お、お嬢様、これはいけません。非常にマズい状況です。私の生存本能が、さっきから『有給休暇を消化して実家に帰れ』とフルボリュームで警告音を鳴らしています!」 背中に二十キロの魔導周波数解析機『ハミングバード』を背負い、膝をガクガクと震わせているのは、私の忠実なる従者(兼・音響機材搬送係)のポエムだ。彼の首元に装着された『集音用猫耳カチューシャ』が、恐怖でピコピコと情けなく動いている。


「静かになさい、ポエム。音の乱れは心の乱れ。インピーダンスの不一致と同じくらい、わたくしの美学に反しますわ」 わたくし、キャサリン・フォン・グランバッハは、手にした解析データの魔導スクロールを握りしめ、扇で口元を隠しながら優雅に、しかし音速に近い勢いで歩を進める。 目指すは、第一王子アリスティアの元。このスクロールには、学園長が地下の魔力配管を悪用し、学園全体を巨大な「共鳴箱」に変えようとしている決定的な証拠が記録されている。これを突きつければ、わたくしへの濡れ衣も、重低音への不当な弾圧も、すべては霧散するはず。


 だが、運命という名のイコライザーは、わたくしが望むようなフラットな特性を描いてはくれなかった。 大講堂へと続く大扉の前に、それは「壁」となって立ちはだかっていたのだ。


「そこまでだ、キャサリン。……いや、重低音の魔女と言うべきかな」 聞き覚えのある、無駄に高音域が澄み渡った傲慢な声。 そこにいたのは、第一王子アリスティア。そして彼を取り囲むように、銀色に輝く甲冑を纏った近衛騎士団が、抜剣せんばかりの勢いで整列していた。


「アリスティア殿下。……それに、近衛騎士団の方々まで。わたくしを歓迎してくださるにしては、少々、音圧が強すぎるのではありませんか?」 わたくしが皮肉たっぷりに一礼すると、アリスティアは鼻で笑い、冷ややかな視線をこちらに投げた。「白々しい。学園長からすべて聞いたぞ。お前は地下の魔力施設に侵入し、禁忌の音響魔術を用いて学園の象徴たる『守護水晶』を破壊しようとしているそうだな。……この、破壊工作員めが」「学園長から? ……ふふ、あのアナログな耳しか持たない御仁の言葉を信じるとは。殿下、情報のサンプリングレートが低すぎますわ。あの方は、自身の研究のために学園を物理的に崩壊させようとしている張本人ですのよ」


「黙れ!」 アリスティアが手を振ると、近衛騎士たちが一歩、前へ出る。「学園長は、お前が夜な夜な怪しげな巨大な箱……『デス・カリバー』とかいう不浄の装置を動かし、地脈を狂わせている証拠を提示した。お前が手にしているそのスクロールも、どうせ学園の魔力核を暴走させるための起動コードだろう」「ハッ、御意! 対象を拘束し、証拠物件を押収します!」 騎士の一人が、事務的な、しかし容赦のない口調で応じる。彼らの瞳には、思考の余地など一切ない。ただ「上からの命令」という名の低周波に操られる操り人形だ。


「お嬢様、ダメです! 完全に包囲されました! 四面楚歌、いや、全方位サラウンドシステムによる包囲網です!」 ポエムが私の背後に隠れながら、悲鳴のような声を上げる。 騎士たちがじりじりと距離を詰めてくる。その数は二十。対するこちらは、重低音オタクの令嬢一人と、今にも気絶しそうな従者一人のみ。


「……可笑しな話ですわ。わたくしが愛しているのは、あくまで『純粋な振動』。学園を壊してしまっては、最高の音響空間リスニングルームが失われてしまうではありませんか。そんな非論理的なこと、わたくしの周波数が許しません」「往生際が悪いぞ、キャサリン。重低音バカの令嬢に何ができる? お前の得意なその『騒音』で、我々の耳でも塞ぐつもりか? 笑わせるな、魔法障壁を展開した騎士団の前では、お前の音など微風にも等しい!」 アリスティアが嘲笑を浴びせる。騎士たちからも、クスクスと小馬鹿にするような笑い声が漏れた。「所詮はおままごとの延長よ。公爵令嬢が地下室でガラクタをいじり、音を出して喜んでいるだけの、薄気味悪い趣味……。その報いを受けるがいい」


 薄気味悪い、趣味。 その言葉が、わたくしの脳内でハウリングを起こした。 わたくしは、ゆっくりと扇を閉じた。 周囲の空気が、わずかに震える。それは怒りという名の感情エネルギーが、物理的な振動へと変換される予兆。


「……殿下。今、わたくしの『重低音』を、おままごとと仰いましたわね?」「そうだ。何か文句があるか?」「いいえ。ただ、一つだけ修正させていただきたいのですわ。わたくしが追求しているのは、単なる騒音ではありません。それは、世界の真理を揺さぶる『物理現象』そのものですの」


 わたくしは、背後のポエムに、視線だけで合図を送った。「ポエム。……例の『特等席』へ、信号シグナルを送りなさい」「えっ!? お、お嬢様、本気ですか? あれをここで起動したら、学園の窓ガラスが全部、粉々の芸術作品になりますよ!?」「構いません。わたくしの情熱を『おままごと』と断じた罪、その鼓膜に直接、刻み込んで差し上げなくては」


 わたくしは、懐から小さな、しかし重厚な魔導発信機を取り出した。 それは、公爵邸の地下に鎮座する、あの『魔導サブウーファー・試作壱号:デス・カリバー』と直結した、リモート・トリガー。 ポエムが震える手で、ハミングバードのダイアルを「増幅モード」へと切り替える。


「何をゴチャゴチャと……! 構わん、捕らえろ!」 アリスティアの命令と共に、騎士たちが一斉に踏み込んでくる。 わたくしは冷徹な笑みを浮かべ、発信機のスイッチに指をかけた。


「皆様、ご注目。これより、わたくしの『秘密兵器』による、世界で最も重厚なティータイムの始まりですわ。……出力最大フル・ボリューム。落雷の衝撃に備えなさい!」


 わたくしの指が、スイッチを深く押し込んだ。 その瞬間、学園の深淵――地底の底から、何かが「目覚める」ような、不気味な地鳴りが響き始めた。

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