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目覚めのアラームは重低音で

 眩いばかりの陽光が差し込む、公爵邸のテラス。目の前には、絵画から抜け出してきたような美貌の少年――第一王子アリスティアが、これまた絵に描いたような優雅な仕草でティーカップを傾けている。 本来ならば、この世の春を謳歌するような至福のひととき。しかし、わたくし――キャサリン・フォン・グランバッハの脳内には、突如として「前世」という名の濁流が流れ込んでいた。


(……あら? わたくし、知っておりますわ。この光景、そしてこの、反吐が出るほどキラキラした展開)


 脳裏に浮かぶのは、スマートフォンの小さな画面。乙女ゲーム『薔薇と魔法のラプソディ』。わたくしは今、その作中で「高慢ちきな振る舞いの末に婚約破棄され、国外追放される悪役令嬢」の席に、どっかと腰を下ろしているのだ。 普通ならば、ここで絶望し、破滅フラグを回避するために奔走するところでしょう。あるいは、王子に媚びを売り、聖女とやらに慈悲を乞うのかもしれません。


 ですが、わたくしが感じたのは、そんな世俗的な恐怖ではありませんでした。 わたくしの魂を震わせたのは、もっと根源的で、もっと重厚な「違和感」だったのです。


「……キャサリン? どうしたんだい、急に黙り込んで。私の話が退屈だったかな?」


 アリスティア王子が、鈴を転がすような、あまりに「高音域」な声で微笑みかけてくる。 その瞬間、わたくしの内側で何かが弾けました。


(……薄い。薄すぎるんですのよ!)


 王子の声だけではありません。風に揺れる木々のざわめき、小鳥のさえずり、果ては給仕の足音に至るまで。この世界の音は、まるで安物のラジオから流れてくる音楽のように、スカスカで、奥行きがない。 前世のわたくしが、命を削ってまで追い求めていたもの。 それは、胃壁を直接叩き、眼球を細かく震わせ、脳髄を物理的にマッサージするような、あの「ド底音」。地響きと区別のつかない、暴力的なまでの重低音……!


(思い出しましたわ。わたくしは、フェス会場のステージの最前線、巨大なスピーカーの壁の前で、内臓が裏返るような衝撃波に包まれて絶命した……あの、至福の瞬間を!)


 そう。わたくしは悪役令嬢である前に、重低音の求道者。 この世界に転生した意味。それは、破滅を回避することでも、王子と結ばれることでもありません。 この「中高音域ばかりが跋扈する軟弱な異世界」に、真の重低音を叩き込むこと。それ以外に何がありましょうか。


「キャサリン?」「……王子」「なんだい?」「あいにくですが、今の貴方のお声……周波数にして約四百ヘルツ。わたくしの鼓膜を撫でるには、あまりに軽薄すぎますわ。もっとこう、三十ヘルツ以下の、地面から這い上がってくるような『圧』は出せませんの?」「……は?」


 アリスティア王子が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まる。 わたくしは、目の前の高級な茶菓子を一切れ掴むと、それを握りつぶさんばかりの勢いで立ち上がりました。


「決まりましたわ。わたくし、今日から忙しくなりますわよ!」


 婚約破棄? 結構。 国外追放? 望むところですわ。 そんなことより、まずはこの貧弱な音響環境をどうにかしなければ。 わたくしは、呆然とする王子を置き去りにし、ドレスの裾を翻して地下室へと直行しました。 まずは魔導具を改造し、この公爵邸を揺るがすほどのサブウーファーを自作するところから始めなくてはなりません。


 これが、後に「重低音の令嬢」として歴史に(物理的な振動と共に)名を刻むことになる、わたくしの新たな人生の、第一楽章――その、あまりに「ド底音」な始まりだったのです。

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