【超短編小説】ホスピタリティ
病院は早寝早起きだ。
夜九時には消灯だし、朝は六時くらいに動き出す。なにも老人ばかりだからと言う訳じゃないが、全体がそうやってサイクルしている。
おれみたいに老人でも小児でも無い奴はとうぜんエネルギーと暇をもて余す。
夜通しプリペイド式のテレビをザッピングするのはもったいない気がするし、かと言ってゲームやマンガを読むのも飽きた。
まるで中学生が夜中に家を抜け出るような気分で病室の外にある薄暗い廊下を歩く。
ナースステーションを通り過ぎるまでに、35回の咳と186回の電子心音、あとは人工心肺のシューという音が聞こえた。
看護師たちはおれを気にも留めない。
やたら大きいエレベーターに乗って降りる。担架やベッドごと入る広さは、夜中になると少し心細い。
院内に併設されたコンビニで煙草と缶コーヒーを買う。
セルフレジは楽だ。
忙しそうな急患コーナーを通り過ぎて夜間出入り口から外に出ると、湿った春風と共に虫の鳴き声が押し寄せてきた。
病院とは真逆の圧倒的な生命の気配に、思わずむせ返りそうになる。
ロータリーの先にあるベンチまで歩く。
新鮮な空気が美味しい。それがたとえロータリーで乗客待ちのタクシーが吐き出す排気ガスまみれだとしてもだ。
病室の空気は乾燥しているし、だいたい中途半端な気温設定のせいで気が狂いそうになる。
暑くもないし寒くもないのに、何だって快適さからは遠ざかってるんだ?誰が快適に過ごせているんだろう?
それともおれ以外は快適なのかな。どうかしてるのはおれだけだったりしてな。
「狂ってるじゃん、それって」
独り言にも慣れたもんだ。
煙草に火をつけて甘い缶コーヒーを飲む。
そうやって病院の管理から抜け出る瞬間だけが自由に思える。
仕事帰りと思しきサラリーマンが、おれに胡乱な目を向ける。
「おれだって働きてぇよ」
休みたくて休んでんじゃねぇ、バーロー。働きたくねぇって願いは病院でこうしてることじゃねぇんだ。
働いて、食って飲んで買って……そうやって過ごしたかった。
「何してるの」
いつからそこにいたのか、寝巻き姿の少年がおれに尋ねる。
「何してるんだろうな」
おれは笑いながら答えた。
おれは一体、何をしているのか?
生産も消費からも遠ざかって、寝てばかりいる。社会のリソースを削っているから屍より始末に終えない。
少年はおれを見つめている。照れくさくなって視線を外してしまったが、少年は気にするでもなかった。
「ぼくはね、入院してるの」
そうだろうな。おれもだよ。
兄弟分の盃としたいが生憎と缶コーヒーはひとつだし、きみに煙草は少し早い。
おれは黙って少年の続きを待った。
少年はおれの煙草を吸う様を少し見ていたが、やがてすぐに興味を失ったようにベンチの隣に座って足をぶらぶらと遊ばせていた。
もしもおれが順当に結婚したりして、嫁がいて出産とかしていたりしたら、いまこれくらいの子どもだろうか?
友だちの家の子どもくらいだとすれば、まぁそんなもんだろう。
おれが手に入れられなかった未来のひとつが、目の前にあるように錯覚をして頭を振った。
少年はベンチを降りると、手に持った石で塀に落書きを始めた。
「なにを描いてるの」
「パパとママとぼくだよ」
壁に丸い顔が並んでいる。
家族。ファミリー。おれはそこから出てきて、そして持つことができなかったもの。
おれは何をしているんだろう。
「おじさんも混ぜてあげるよ」
少年は丸をひとつ描いて、その中に目玉や鼻を描いてみせた。
「ありがとう」
そうか、それだけの事だったんだな。
おれが空き缶に吸い殻を押し込んで顔を上げると、そこに少年の姿は無かった。
「そうか」
おれは空き缶を地面に置いた。
「もう行かなきゃ駄目か」
決まっているから、と耳元で少年の声がした。




