予感
その日、空はやけに青かった。
透明すぎて、まるで誰かが新しい空を貼りつけたみたいに。
放課後、駅前のコンビニでアイスを買って、
校門の坂を下りた先のバス停で食べていた。
山と田んぼに囲まれたこの町では、夕方になると風の匂いが変わる。
草の匂いと、遠くの川の水音。
その全部が、「今日も一日終わったな」っていう合図みたいだった。
だから――その声がしたとき、余計に現実感がなかった。
「君、今日の夕方、死ぬよ」
声の方を見ると、そこに白いワンピースの少女が立っていた。
風が止まり、蝉の声も薄くなる。
まぶしいほどの夏の日差しの中で、彼女の髪だけが不思議と影を落としていなかった。
「……誰が?」
「君が」
「いや俺、期末テストもまだ終わってないんだけど」
少女は、まぶしそうに目を細めて笑った。
その笑い方が、なんというか――“人間っぽくない”。
けど、不思議と怖くはなかった。
どこかで会ったことがあるような気さえした。
「そういう反応、だいたいみんなするの」
「“みんな”? ってことは、何人も見てきたのか?」
「うん。……死ぬ人は、だいたいアイス食べてる」
――そのデータ、どこの研究機関だよ。
俺は苦笑して、棒をゴミ箱に放り投げた。
冗談に聞こえたけど、彼女の目の奥だけは笑っていなかった。
その瞳は、夏の青空みたいに澄んでいるのに、どこか底が見えない。
じっと見ていると、吸い込まれそうだった。
遠くで、カラスが一羽、鳴いた。
それを合図みたいに、風がまた吹き始める。
「ねぇ」
少女が口を開いた。
「最期に、どこか行かない?」
「最後に?」
「うん。どうせ死ぬなら、少しは楽しいほうがいいでしょ?」
俺は、しばらく言葉が出なかった。
そして――なぜか笑っていた。
まるで、もうとっくにその“終わり”を受け入れていたみたいに。
「……いいよ。けど、俺の財布の中身はジュース一本分しかないぞ」
「お金はいらないよ。行き先は、あっちだから」
少女が指差したのは、町の外れ。
山の向こうに沈みかけた太陽が、赤く光っていた。
そこに、俺の知らない道が一本――確かに見えた。
***
歩きながら、少女はぽつぽつと話した。
名前は「シオ」と言うらしい。
年齢は「数えてない」と言う。
それを冗談かと思ったけれど、たぶん違った。
「君、本当に死神なのか?」
「うん。死ぬ人のそばに現れるの。呼ばれるんだよ、自然と」
「じゃあ俺が呼んだってこと?」
「そう。知らないうちにね」
風が通り抜けるたび、彼女の髪が淡く光った。
まるで、光そのものが彼女の輪郭を形づくっているみたいだ。
坂を上ると、町全体が見下ろせた。
夕焼けが田んぼを金色に染めている。
見慣れた景色のはずなのに、今日は少し違って見えた。
輪郭がやわらかく溶けて、まるで夢の中の風景のようだ。
「なぁ、俺、どんなふうに死ぬんだ?」
「言っても、信じないでしょ」
「まぁ、そうかもな」
「でも一つだけ言える。――“間に合わなければ”死ぬの」
「間に合わなければ?」
俺は首をかしげる。
シオはにっこりと笑って、何も言わなかった。
風の中に、どこか焦げたような匂いが混じった。
遠くで雷が鳴った気がしたが、空に雲はなかった。
***
山のふもとまで来たころには、日が沈みかけていた。
鳥の声が減り、代わりに虫の音が辺りを満たす。
足元のアスファルトには、俺と彼女の影が長く伸びている。
「ねぇ、なんで俺なんだろうな」
「それはね」
シオが立ち止まり、俺を見た。
「君が“誰かを待ってる人”だから」
心臓が一瞬止まった気がした。
なぜそれを――。
「待ってるって、誰を?」
「私も知らない。でも君の心がそう言ってる」
彼女が指差した先、山道の奥で、微かに光が瞬いた。
蛍でも、懐中電灯でもない。
もっと冷たく、鋭い光。
それを見た瞬間、胸の奥がざわめいた。
――あれを、知っている。
「行こう」
「どこに?」
「君の“終わり”の場所へ」
彼女の声は、もう人のものではなかった。
それでも俺は、一歩を踏み出した。
理由なんてなかった。ただ、行かなきゃいけない気がした。
道の先に、見覚えのあるバス停があった。
そこには、もうひとりの“俺”が座っていた。
夕焼けの中で、静かにアイスを食べている。
――世界が、二重になっていた。
俺は声を失った。
シオが、少しだけ寂しそうに微笑む。
「ね、言ったでしょ。今日の夕方、死ぬって」
次の瞬間、風が吹き抜け、世界が裏返った。
空が割れ、光が溢れる。
音も色も、すべてが遠ざかっていく中で、
俺はかすかに聞いた。
――“間に合ったね”。
それが誰の声だったのか、分からなかった。
***
次に目を覚ました時、俺は自室のベットにいた。
夕方の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。
制服のまま眠っていたらしい。
夢……だったのか?
机の上には、溶けかけのアイスの棒。
コンビニのレシートが隣に落ちている。
俺は確かに――あの場所にいたはずだ。
「……おかえり」
声がした。
振り向くと、窓の外に白い影が立っていた。
風もないのに、髪がゆらいでいる。
シオだった。
「ねぇ、真くん。世界、まだ終わってないよ」
彼女の笑みは、どこか悲しげだった。
夕陽の赤がゆっくりと夜に溶けていく。
遠くで、時計の針が止まる音がした。
――世界はまだ、終わりきっていなかった。




