85.歌が裁く断絶の声
セリアの声が届いた。
封じられた喉から漏れたその一言は、言葉ではなく、音でもなく――
**確かな“意志”**として世界に共鳴した。
そして今、セリアは立っていた。
かつて祈りの場だった“調律の間”――
その中心に立ち、向かい合うのは、かつての騎士団長、グラン・エスパーダ。
彼は全身を黒き神殿鎧で包み、かつての荘厳さとは違う“力の象徴”としてそこにいた。
対するセリアは、拘束具を破壊したままの姿で、薄く汚れた衣のまま。
しかしその姿こそが、いま世界の“答え”を問おうとしている存在だった。
「女神はもう、何も語らない」
グランの低い声が響く。
「沈黙を“許す”というのか? それで、この世界はどこへ行く。
迷い、争い、信仰の意味も失われて、ただ無秩序が広がるだけだ」
セリアは目を逸らさず、彼を見据えた。
「神が沈黙したのは、私たちが“自分で選ぶべき時”が来たからよ」
「ならば、私は選ぶ。“語る神”を再びこの手に取り戻す」
グランは、調律盤の中心に歩を進めた。
その足元から、音の律動が沸き起こる。
それは彼の“祈り”によって制御された、神殿の中枢構造――アリアの記憶装置そのものだった。
「信仰が力を持つのは、“神の言葉”があるからだ。
その言葉を、この私が定める」
セリアの心に、かつての自分の恐れが蘇る。
前世でもそうだった。
人々が“神”に決定を委ね、誰も自分の選択をしようとしなかった。
(私は、それが……怖かった)
だから、歌った。
科学者としてではなく、人として。
そして、今の彼女もまた、かつての恐怖を打ち破るために、歌う。
「違う。
神の言葉は“与えられるもの”じゃない。
“聞こうとする意志”があるから、言葉が生まれるのよ!」
セリアは一歩、前に出た。
喉に残った痛みが彼女を警告する。
だが、そんな痛みなど、いまの彼女には意味を持たなかった。
「“裁く声”を、選んで歌う。
それが、私の――“調律”!」
魔法ではない。
神でもない。
それは、人の歌。
誰かを守るための祈りではなく、世界に問いかける意志の旋律。
彼女の足元に広がる魔法陣が、柔らかく光を放った。
それは女神アリアの紋ではない。
セリア自身の響きが、空間を揺らし、共鳴を呼び起こす。
グランが剣を抜いた。
その刀身には、祈りを束ねる術式が幾重にも刻まれている。
「ならば、お前をこの場で裁く。
神の沈黙に縋る者など、この世界には不要だ!」
刃が放たれる。
光の奔流がセリアに迫る――
だが彼女は動じなかった。
「あなたの声は、命令。
でも私は、願いを歌う」
封音帯が解け落ち、彼女の喉が光に包まれた。
そして――彼女は、歌い始めた。
静かに、しかし力強く。
その歌は、命令ではなく、問いだった。
“どうか、選んで。
あなた自身の声で、
あなた自身の意志で。”
その旋律が、グランの刃を押し返す。
彼の剣が、空中で震えた。
「何……っ、これは……!?
私の魔力が……制御を……!」
彼の足元から、共鳴の波が反転し始める。
神殿の中心、アリアの記憶核が再び震えた。
それはセリアの旋律に応じ、沈黙から“応答”へと変わりつつあった。
「これは……神の意志ではない。
だが――響いている。確かに、響いている……!」
レオン、アイリス、リク、ジェイドが遠くからその光景を見守っていた。
「これが、セリアの――“裁きの歌”……」
アイリスは、目を見開いたまま呟いた。
光と音の渦の中、グランの姿が滲んでいく。
だが、セリアはまだ歌い続けていた。
彼の存在が消えるわけではない。
ただ、彼の“独裁の声”が、世界に届かなくなるだけ。
代わりに響くのは――
誰かが、自分の声で歌う、希望の旋律。




