84.歌が裁く祈りの行方
歌が、響いた……」
レオンは足を止めた。
封印区画の厚い扉を目前にしながら、耳を澄ませる。
風も音も届かないはずのこの場所に――確かに、“微細な波動”が染み込んできていた。
アイリスもまた、眉をひそめたまま呟く。
「封音帯を巻かれているはずよ。
でも……これは確かに、セリアの“波”……」
「共鳴が回路を逆流してる……!」
ジェイドの声が走る。
「彼女の歌が、構造ごと変え始めてる。
……アリア中枢の音響共鳴盤が、それに反応して――!」
「つまり……」
リクが口を開いた。
「セリアの声が、神殿中枢を“揺らしてる”ってことか?」
ジェイドは頷いた。その額には、静かな焦りが滲んでいる。
「共鳴反応が進めば、神殿全体の“制御構造”にズレが起こる。
封印も、祈りの構造も、ぜんぶ変質していくかもしれない。
……それが、彼女一人の意志によって――」
その頃、封印区画の中。
セリアの歌は、まだ声を持たない。
けれど空間は、明らかに“響いて”いた。
結界の光がわずかに揺れ、壁に設置された記録盤のひとつが小さく明滅している。
観測装置たちが“意思”を持たないまま、それでも自律的に反応を始めていた。
“神の構造”にとっても、これは予想外だった。
想定されていなかった“自律歌唱共鳴”。
セリアは瞼を閉じたまま、胸の奥に集中する。
歌えない――だからこそ、心で響かせるしかない。
(わたしの歌は、誰かの命令で始まったわけじゃない。
助けたくて、伝えたくて、触れたくて――
ただ、それだけで選んだもの)
身体はまだ封じられている。
でも、響きだけは止まらない。
(アリア。あなたが沈黙を選んだのなら――
その沈黙に、私は“答える”)
音ではなく、響きで。
旋律ではなく、波動で。
封音帯の内側、セリアの喉が震えた。
彼女の胸元に刻まれた紋章が淡く光り、その光が拘束結界へ滲んでいく。
その“歌”は、空間を通じて神殿の上層、さらには“中枢”へと向かって伝播した。
アリア中枢。
神殿の最深部、誰も立ち入ることを許されない“記憶の核”。
そこに刻まれた“歌碑”の中心が、初めて震えた。
石壁に埋め込まれた音響制御核――
そこに、意味のないはずの波形が刻まれていく。
《個人ID:該当なし》
《起動構文:信仰構造外》
《共鳴反応検出――再定義モード準備中》
制御核は、冷徹に“次の処理”を選ぼうとしていた。
だが――その時。
「――やめろ」
低く響いた声。
中枢に侵入したグラン・エスパーダが、音碑の前に現れた。
彼は祭司服を脱ぎ捨て、騎士の黒鎧に身を包んでいた。
目に宿るのは、かつての信仰ではない。
“信仰を手にした者”の、支配の眼差しだった。
「その共鳴は……“秩序を壊すもの”だ」
制御核は彼の声に反応しない。
中枢はすでに、自律処理モードに移行していた。
グランはその場に手をかざし、残響干渉結界を展開する。
「ならば、女神の意志は――俺が定める」
神殿中に、グランの魔力が響く。
それはもはや祈りではなかった。
封じ、定め、屈服させる“命令の波”。
そのとき、封印室の結界が軋んだ。
セリアの内なる“響き”が、誰かの命令に潰されようとしている。
(違う……)
喉が痛む。封音帯が共鳴に耐えきれず、きしみ音を立てている。
(声を、奪わせたりしない)
そして。
「……っ!」
喉が震えた。
光が走る。
音ではなく、反響でもない――
それは、セリアが封印の中で“歌い返した”声だった。
「あなたの声じゃない」
「世界を決めるのは、神でもなく、あなたでもなく――わたし」
封印が割れたわけではなかった。
だが、声の響きが、最奥部へと届いたのは確かだった。
神殿の外。
人々が見上げる空に、うっすらとした“光の環”が浮かんだ。
それは中枢の共鳴が、制御を越えて世界へ届いた証。
誰かが、祈らずに歌ったことによって――“応答を受け取った証”。
女神アリアは沈黙していた。
だが、今。世界が、“別の共鳴”を覚え始めていた。




