82.歌が裁く神殿の檻
音が、ない。
それは静寂というにはあまりに不自然で、冷たく、孤独で――そして痛かった。
セリアは目を覚ました。
だが目に入ったのは、見慣れぬ石造りの天井。そして、手足の感覚が鈍い。何より――声が出ない。
彼女の喉には、薄青の紋様が浮かぶ“封音帯”が巻かれていた。
それは神殿内部でも最高位の“音封術式”であり、魔法はおろか、声帯の動きすら制限する。
さらに魔力の循環を妨げる“拘束結界”が四肢に刻まれ、彼女の身体はまるで“魔導兵器の封印”のように固定されていた。
だが、その目は、怯えていなかった。
恐れがないわけではない。ただ――意志だけは、明確だった。
(……やっぱり、ここまで来たのね)
彼女の中には確信があった。
これは“制裁”ではなく“観測”。
神殿は、彼女の中に“何か”を見た――そして、それを確かめにきた。
壁の向こう。制御室と呼ばれる場所で、白衣の神官たちが淡々と記録を取っていた。
「封印状態、安定。共鳴波の再起動兆候なし」
「魔力干渉ゼロ。対象、沈黙状態継続中」
記録板に魔力走査の波形が刻まれ、異常があれば即座に遮断される構造になっている。
まるで、セリアが“歌という存在そのもの”であるかのような扱いだった。
そこに、グラン・エスパーダが姿を現した。
「進行状況は?」
「異常ありません。ただ……」
神官はためらいがちに言葉を濁す。
「何か?」
「対象から断続的に“無音波”が発生しています。通常、魔力干渉がなければ検出されない領域ですが……。
これは……中枢からの共鳴波に似ています。あくまで構造的には、ですが」
グランの眉がぴくりと動いた。
「つまり――女神の構造に、彼女の音が“似ている”と?」
「理論上は。それでも、これは異常現象でしかありません。
信仰の域を逸脱した“音響適応”――もはや、人間の範疇では……」
「ならば、もはや“器”としては使えんな」
グランの声には冷徹な決断が滲んでいた。
「器ではないなら、制御するか――あるいは、解体するしかない」
同時刻、外部ではレオンたちが潜入の準備を進めていた。
神殿の地下、封鎖された旧回廊。
ジェイドの記憶を頼りに、アイリスが古文書の仕掛けを解読しながら進む。
「セリアが今いるのは、神殿中枢と音響回路で接続された“観測区画”の一つ。
いわば、神の声を“試験的に響かせる”ための場所……」
「それって、つまり……」
「女神の声を出す“機構の中枢”に、セリアが接続されてるということだ」
アイリスは硬く唇を噛んだ。
「それって、“共鳴”どころじゃない。セリア自身が……アリアそのものになりかけてるってこと……?」
リクが叫びそうになるのを、レオンが制した。
「落ち着け。今は彼女を救い出すことだけを考えろ」
彼の瞳には、強い意志が宿っていた。
「俺たちは……あいつの歌を信じてる。だから、あいつが“神になる”なんて、そんなの許せるかよ」
封印室。セリアは、ただ静かに目を閉じていた。
声は出ない。歌は封じられている。
それでも――心の中には響きがあった。
耳の奥に、どこかで聞いたような旋律が流れる。
それは前世の記憶か、共鳴の残滓か、それとも――神がかつて遺した“問い”か。
(歌は、祈りじゃない。誰かに与えられる答えじゃない。
歌うことで、私は問いかけてる。世界に、誰かに――そして、自分に)
喉が震える。封音帯の奥で、微かに響いたのは――“自分の鼓動”だった。
(ならば、まだ終わってない。
沈黙の中でさえ、私は私を歌える)
彼女の瞳が、再び開かれる。
その瞳の奥には、沈黙を貫く“響き”が宿っていた。




