81.歌が裁く囚われの旋律
神殿の空が、不穏な静けさに包まれていた。
午前の陽が射し込むはずの回廊には、誰の姿もなく、ただ巡回兵たちの靴音だけがこだましている。
その異様な緊張に、セリアは違和感を覚えながらも、呼び出しを受けた場所――中央礼拝堂へと向かっていた。
「……なんだろう、これ。空気が、重い」
警戒しながらも、セリアは足を止めなかった。
呼び出しの理由は“女神アリアとの再交信の準備”という曖昧なもので、直接署名された文書もなく、不審ではあった。
それでも彼女は、応えなければならないと思った。
沈黙の神に、もう一度向き合うために――
だが、扉を開いたその瞬間。
礼拝堂は、戦場に変わった。
「封音展開――“静域陣、起動”!」
無数の符文が空間を走り、次の瞬間、セリアの周囲から音が消えた。
声が――消えた。息の音さえ、届かない。
「なっ……!」
次いで襲いかかったのは、黒装束の抑制兵たち。
彼らは騎士団ではない。完全に“封印のため”に編成された、“音殺しの兵”。
セリアはすぐに歌唱の構えを取るが――喉が、震えない。
全身を包む結界により、音そのものが遮断されている。
(まずい……これ、ただの沈黙じゃない。“反響遮断”だ)
直感で動く。
杖を振り、地面に向けて“残響操作”の術式を刻む。
結界のわずかな歪みを見つけ、声の漏れ口を確保するために。
「――《揺響・解音》!」
一瞬だけ、結界が震えた。
声が、通る。それだけで――希望はあった。
セリアの口が、かすれながらも歌い始める。
「ひかり、ひかり……つないで、つないで……」
封印をすり抜けるかのように、微細な音が空間に染み込む。
ただし、兵士たちの動きも鋭かった。
「第七波――沈音鎖、発動!」
地面から黒い鎖のような魔法が伸び、セリアの足を絡め取った。
「くっ……!」
逃げ場はない。
本格的に力を出せば、神殿内部が破損する可能性がある。
何より、彼女は“敵”を傷つけたくなかった。
(これは、神殿が――グランが、仕掛けたもの。
私は、“声を封じるための戦術”と戦っている)
その理解が、彼女の動きを鈍らせた。
次の瞬間、背後から放たれた封音札が、彼女の首元に巻きついた。
魔力が逆流し、膝が砕けるように力が抜ける。
「セリア・ライトフォード、確保。
神の器候補、異常共鳴確認により、拘束処置を完了」
兵士たちの無感情な声が、遠く聞こえた。
意識が遠のく中、セリアは震える手で杖を握りしめた。
(……ああ、やっぱり私はまだ、怖いんだ)
身体が冷える。手足が動かない。けれど、心は――まだ折れていない。
(それでも、私は歌う。奪われても、封じられても。
誰の命令でもなく、“わたしの声”で、歌いたい)
瞳を閉じる直前、ぼんやりと見えたのは――
扉の向こうで走ってくる、レオンたちの姿だった。
でも、間に合わなかった。




