79.歌が裁く神の沈黙
王都・神殿の最上層。
普段は誰も足を踏み入れない“封祀の間”の奥で、セリアは一人、石造りの広間の中央に立っていた。
周囲を囲むのは、白い無数の柱と沈黙する壁。
その中心には、黒曜石のような球体が静かに浮かび、わずかに震えていた。
「これは……“女神アリア”の心臓部。
ナノマシン制御装置のコアユニットだ」
背後からジェイドの声が聞こえる。
「この球体が、今の信仰体系そのものを裏で支えてる。
でも本来は、“響き合うための中枢”だった。
神と人が、対話できるように――」
セリアは頷き、杖をゆっくりと構えた。
(わたしの歌が、本当にこの世界に届くのなら――
神に祈るんじゃなく、“対話”を試みる)
彼女は静かに息を吸い、そして歌う。
「――閉じられた耳に届く声を、
響きを忘れた心に、静かなる調べを。
わたしの声が、あなたに届くことを信じて――」
音が波紋のように広がる。
空気が震え、柱が共鳴し、球体の表面が淡く脈打つ。
それは、確かに“反応”だった。
が――
次の瞬間、音が吸い込まれた。
まるで全てを打ち消すように、空間から音が消えた。
沈黙。
あまりにも完全で、あまりにも重たい沈黙。
「……反応が……ない?」
リクが、震えた声で問う。
「いや」
ジェイドが低く答える。
「これは“反応してる”。
ただ――応答しないという選択をしたんだ」
「なぜ……?」
アイリスがつぶやく。
「彼女の歌は、世界の真実に届いてるのに」
ジェイドは一歩前に出て、球体を見据える。
「これは、“祈り”に対する応答じゃない。
彼女の歌は命令でも祝福でもない――“対話のための呼びかけ”だった。
でも今のアリアは、それに応える“形式”を持っていない」
セリアは、沈黙の中心に立ったまま、目を閉じていた。
(この沈黙は、拒絶じゃない。
言葉で語れないだけ。
でも確かに――“聴いていた”)
胸の奥で、何かが応える。
誰でもない“意志”が、共鳴する。
(わたしが、どうするか――
それを、わたし自身に委ねてる)
その夜、神殿の外庭。
満天の星の下で、セリアは静かに歌を口ずさんでいた。
誰のためでもなく、何かに届くことを期待するでもなく――
ただ、自分のために。
レオンがその横に座る。
「……返ってこなかったな、神からの声」
「うん。でもね……」
セリアは空を見上げた。
「“返さなかった”んだと思う。
わたしが決めるべきことを、神じゃなくて――自分で選ぶために」
「……それは、“信仰の放棄”か?」
「違う。
わたしが歌うのは、“信じる力”があるから。
誰かに従うんじゃなく、誰かと響き合えるって……信じてるから」
レオンはゆっくり頷いた。
「それなら、俺も信じる。
君の声が、いつか本当に世界を変えるってことを」
その頃、神殿中枢・調律の間。
中央に設置された大規模共鳴装置の制御板が、わずかに明滅していた。
中枢からの“波形反応”を読み取るための、古代の観測機構。
グラン・エスパーダはそれを見下ろしていた。
「……なるほど。封祀の間の球体が反応し、応答は“沈黙”か。
波形干渉は継続していた。だが出力ゼロ――
つまり、“返さなかった”ということだな」
その目には、驚きではなく、静かな計算が宿っていた。
「神は言葉を捨て、選択を委ねた。
だが、それは我々にとって最も厄介だ。
――ならば、こちらが定義する。
神が語らぬなら、人が“神を語る”のだ」
それはもはや信仰ではない。
“秩序を維持するための意志”が、そこにはあった。




