77. 歌が裁く意志の在処
夜が明けきらぬ王都。
神殿の中央にそびえる「調律の間」は、今や厳粛な沈黙に包まれていた。
儀式は正午に執り行われる予定だった。
だがその直前、空気が張り詰めるように重く、静けさが異様なほどに深かった。
セリアは、神殿の一室に控えさせられていた。
白い衣に着替えさせられ、髪も結い上げられていたが、その表情は硬く、冷たい。
「……歌えって言われたから、歌うんじゃない」
「私の歌は、誰かの命令で響くものじゃない」
小さくつぶやいたその言葉は、冷えた石の壁に吸い込まれていった。
ドアの向こうから、近衛神官の足音が近づいてくる。
扉が開き、姿を現したのは――レオンだった。
「……準備は整ったそうだ。
あとは、君が“受け入れるかどうか”を確認するだけだってさ」
「“確認”って、意思を尊重してくれるって意味じゃないよね?」
レオンは苦く笑った。
「……ああ。
“拒めば反逆、受け入れれば栄誉”。
選択肢があるようで、実は用意された道しかない――そんなやり方だ」
セリアは立ち上がる。
「だったら、私が示すよ。
私が選ぶのは、“用意された栄誉”じゃなくて――“私自身の声”」
調律の間。
神殿高官と神官たちが儀式の準備を整え、セリアの登場を待っていた。
だがその静寂を破ったのは、予定外の人物だった。
「その儀式――やらせません」
アイリス・フォーン。
かつてセリアを異端視し、距離を置いていた彼女が、
神官たちの前に立ちふさがる。
「歌は、祈りだけじゃない。
誰かを守り、誰かと繋がるための手段であって、
誰かに“支配されるための鎖”じゃない」
「アイリス殿……あなたは神詠騎士団の詠士隊長として、その言葉を?」
「ええ。
だからこそ、私が否定してきたものの“真の意味”を、今この目で確かめたい」
その背後から、セリアとレオンが歩いてくる。
セリアは、もう迷っていなかった。
その瞳にあるのは、怒りでも恐れでもない。
ただ、静かな“意志”だった。
「私の歌を、神のために使うなら――私は、もう歌わない」
ざわめく場内。
「だが、もし誰かの声に触れ、誰かの心と響き合えるなら――
そのとき私は、何度でも歌う。
それが“調律詠者”としての、私の選択」
グラン・エスパーダがゆっくりと立ち上がる。
「……ならば、その選択の結果を、己の身で受けるがいい。
“神の器”の座を拒否するということは、
もはや神の守護の外に身を置くということだ」
「それでいい。
神の庇護がなくても、私は人としてここに立つ」
レオンが一歩前に出る。
「ならば、俺もその外に立つ。
セリアの剣となり、その歌を守る盾となる。
信仰に殉じる前に――“今を生きる者”として、彼女と共にある」
続いて、アイリスが頭を下げた。
「私も。
今こそ“信仰の形”を見直すときだと、ようやくわかったのです。
彼女が新たな祈りの形なら――私はその変化を、受け入れたい」
神官たちは動揺し、一部は怒号を上げようとしたが、
グラン・エスパーダは手を上げ、場を制した。
「……ならば、見せてもらおう。
神の名を拒絶しながらも、その声が“響き”を保てるのか――」
静かな挑発。
だがセリアは、答えずに歩み去った。
その夜。
神殿の裏手、古びた石壁の向こうにある庭園で、セリアは杖を膝に置いて座っていた。
レオンとアイリス、リク、そしてジェイドがそばにいた。
「……少しだけ、怖かったんだ。
“拒む”ってことが、どれだけ重たいかわかってたから」
「でも、歌ってきたよね」
リクが言う。
「何度も怖い中で、君は自分の声を通して誰かを救ってきた。
その歌は――俺にとって、もう神の言葉なんだよ」
セリアは微笑む。
「ありがとう。
みんながいたから、“私の意志”にたどり着けたんだと思う」




