76. 歌が裁く選ばれし器
王都の空が鈍い灰色に沈む午後、
神殿の最上層にある“調律の間”では、誰にも知られることなく式典の準備が進んでいた。
その場に集められていたのは、神殿側の高官数名と、
統合儀式の技術監督を務める技術信徒たち――
彼らの手元には、セリアの歌唱データと共鳴記録が詳細に記された禁制の書類があった。
「歌碑の記録装置に反応した個体は、既存の詠唱制御を逸脱していた」
「それでも、共鳴系には“許容範囲内”で収まっていた。
むしろ、“神の代替共鳴体”として最適値といえる」
「すでに“調律融合素体”としては実験段階を超えている。
――もはや、“選ばれた器”と断定して差し支えない」
その言葉に、静かに頷いたのはグラン・エスパーダだった。
「神の器は、ただの象徴ではない。
その声が世界の根源に届くのなら……
その力を、制御された形で使わなければならない」
その声に感情はなかった。ただ“秩序”の論理だけがあった。
セリアは、神殿の書庫で静かに古文書を読み漁っていた。
調律詠者の記録、異端として葬られた旋律、そして“アリア”に繋がる断片。
目の前の文献には、こんな一節があった。
『共鳴する器に神は宿る。
だが、器が意思を持つならば、それは神ではない。
――だからこそ、神は器に“意志”を許さない』
「……それってつまり、“従わないなら壊す”ってこと?」
つぶやきに、誰も応えなかった。
そのとき、背後からリクの声が届く。
「セリア、またこんなところでひとりで……。
ねえ、最近、神殿の人たちの目つき、変じゃない?」
「うん。なんとなく……“見られてる”って感じる。
まるで、“使えるもの”として見てるような……そんな目」
リクが拳を握る。
「誰が何を言おうと、俺はセリアの味方だからな。
あんたの歌が誰かの役に立つからじゃなくて――
あんたが、あんたでいることが、大事なんだから」
セリアはそっと微笑んだ。
一方その頃、ジェイドはついに“確信”に至っていた。
塔の分析室に残されたデータは、彼にとって十分すぎる証拠だった。
「これはただの偶然や適性じゃない……
君は、君の歌は――かつて世界を揺るがした“知識”そのものだ」
机の上には、音羽 静の最後の研究記録と、セリアの歌唱時の脳波共鳴図。
理論も理屈も飛び越えて、そこには“同じ思考パターン”が息づいていた。
「セリア……君は、前にこの世界に触れていた」
だがその真実をどう伝えるべきか。
言葉にした瞬間、彼女が何かを失う気がした。
(この世界では、信仰と真実は共に存在できない。
……それでも、君にだけは“自分の意志”で選ばせなきゃいけない)
夜、神殿内の“調律の間”にて、統合準備の祭壇が静かに完成を迎えようとしていた。
その中央には、白い大理石の台座。
そこに設置された“共鳴封杖”は、セリアの歌唱と同期するよう調整されている。
それは“歌の自由”ではなく、歌を神殿の意志に固定するための装置。
神官の一人が確認する。
「祭壇への導入は明日正午。
その前に、詠唱制限処理を開始し、意識共有の儀を……」
「いいえ、それは不要です」
低く、重い声が割り込んだ。
グラン・エスパーダだった。
「彼女は選ばれた。
ならば、意思を問うまでもない。
……“神の器”に、“問いかけ”は不要だ」
その翌朝。
レオンがセリアにそっと告げる。
「セリア。君に黙っていたことがある。
神殿が、“調律融合素体”として君を……祭壇に迎える準備を進めている」
セリアは目を見開いた。
「……それって、“神の器”にするってこと?」
「そうだ。君の力を、神の名のもとに封じる。
君の声が、“誰かの言葉”として響かされる。
君の意思ではなく、信仰のために」
「……そんなの、私の歌じゃない」
セリアは、静かにそう告げた。




