61.歌が裁く無声の記録
静寂に包まれた広間。
宙に浮かぶ球体――かつての音響制御装置の反応が、薄く空間を照らしていた。
セリアはその前に膝をついたまま、両手をそっと重ねる。
球体の中心から発せられる柔らかな光が、まるで心の深層にまで染み込んでくるようだった。
(これは……記憶。誰かがここに残した“歌の記録”)
だが、そこには“声”がなかった。
音は発されている。けれどそれは、人の耳には届かないほど微細で、空気のふるえとしてだけ存在していた。
まるで、沈黙の中に閉じ込められた“無声のメッセージ”のように。
「まるで……この装置自体が、私にだけ反応しているみたいだ」
セリアはぽつりと呟く。
ジェイドが慎重に装置へ近づく。
「おそらく、特定の“歌声”と“音のパターン”にだけ反応するよう設定されてる。
それに君の声が一致したんだ。まるで……遺された誰かが、君にだけ聞かせようとしていたかのように」
「それって……この装置が、もともと“私と同じような力”を持った人のものだったってこと?」
「可能性は高い。“調律詠者”の始まりは、きっとここに近い」
セリアは球体にそっと触れる。
その瞬間――
空間が“震えた”。
まるで周囲の空気が逆巻くような感覚。
石の壁に取りつけられた小型の板状装置が、順に点灯しはじめる。
そして――視界の前に、淡くゆらめく映像が浮かび上がった。
(これは……)
映し出されたのは、白衣を着た人々。
整然と並ぶ研究施設。
操作パネルと歌唱用マイクロホン――
そして、機材の前で真剣な表情を浮かべている、一人の女性。
(……わたし?)
――否。
似ているが、違う。
セリアではない。だが、その姿は、あまりに彼女の前世と“重なって”見えた。
「この人も……私みたいに、音で力を扱っていた……」
ジェイドが息を飲む。
「映像記録……いや、これは音波を媒体にした“ホログラム再現”だ。
つまり、“歌声そのもの”が記録媒体だった」
映像の女性が歌う――声は聞こえない。
ただ、音響装置が微かに共鳴し、波紋のように部屋を包んでいく。
セリアは無意識に立ち上がり、その場に“自分の声”を重ねるように旋律を口ずさんだ。
「……この歌……知ってる……」
思い出ではない。教わったわけでもない。
だが体が覚えていた。前世で、何度も歌っていた“調整用の基礎旋律”。
セリアの声と、映像の波動が重なった瞬間――
装置が低く反応し、淡い光が膨らむ。
それはまるで、沈黙の中に隠されていた“記憶”が、
今、ようやく“声”として認められたかのように。
映像の最後、女性が一枚の譜面を手にして、ゆっくりとカメラの方を見つめた。
その目は、誰かを“信じて託す”ような優しさを湛えていた。
映像が消えると、広間は再び静寂に包まれた。
セリアはしばらくその場から動けず、ただ、自分の鼓動の音だけを感じていた。
(信仰じゃない。奇跡でもない。
でも――これを、ただの“技術”とは言い切れない)
「セリア……」
レオンがそっと声をかけた。
彼の声で我に返ったセリアは、小さく微笑みながら言葉を紡いだ。
「ここに来て、確信しました。
私の“歌”は、昔この世界にあった“調律”という技術の延長なんです。
つまり、これは……誰かが残した“祈りの形”なんだと思います」
リクが目を丸くする。
「昔の世界って……古代の時代のこと?」
セリアはわずかに目を伏せて、柔らかく答える。
「ええ。記録に残っていないくらい、ずっと昔の。
でも、似たような歌や響きが、今もどこかに残っていて――
私がたまたま、それに近い“声”を持っていただけ、なのかもしれません」
アイリスが静かに頷いた。
「あなたの歌を“信じたい”って、初めて思った。
それが誰かの手で作られたものでも、
それを歌うあなたに“想い”があるなら、それでいいって思える」
セリアの中で、“信仰”と“科学”の境界がゆっくりと溶けていく。
(私は、どちらにも背かない。
どちらも、歌に重なるなら――それが、私の調律)
遺構を後にする一行の背に、装置が小さく、優しい光を灯していた。
まるで、その“記録”がようやく聞き届けられたことを祝うかのように。




