60.歌が裁く導かれし音
ラグラン森林の奥へと、セリアたちは静かに歩を進めていた。
昨夜、魔物の不自然な動きと“模倣された歌”を目の当たりにした一行は、
その発信源と思しき場所へ向かうため、森の深部に向かっていた。
空は曇天。
霧に包まれた林の空気は湿り気を帯びて重く、足音すら吸い込んでしまうようだった。
ジェイド・クインが携帯型の測定器を確認しながら、立ち止まる。
「この先だ。昨日と同じ音の震源が続いてる……ただ、今は発信というより“何かを受け取ろうとしてる”反応だな」
「受け取る?」
アイリスが訝しげに眉をひそめる。
「つまり……誰かが来るのを待ってるってことさ」
ジェイドは真顔で言った。
「“反応できる誰か”をね。たとえば――セリア、君のような」
セリアは黙ってうなずく。
彼女の体には、確かにあの“揺らぎ”が届いていた。言葉にはできないが、空気に微かな共鳴があった。
しばらく進むと、木々が途切れ、小さな崖と岩壁に囲まれた場所へ出た。
その中央にあったのは、朽ちた石の門――
表面は苔に覆われ、上部には古代文字らしき刻印があったが、半分以上は風化して読めなかった。
「遺跡……?」
リクが目を見開く。
「そうだろうね。ただし普通の遺跡じゃない」
ジェイドが答える。
「ここは“記録に載っていない遺構”だ。いや、正確には――“意図的に記録から消された”場所だと思う」
「なんでそんなことを……?」
「もし、ここが“神の奇跡”じゃなくて“人の技術”で動いていたとしたら――
それを知られたくない人たちは、真っ先に封印しようとするだろうね」
セリアの胸が、静かに高鳴る。
(やっぱり……これは、ただの遺跡じゃない)
ジェイドが門の下部にある、黒い石板に触れると、そこから鈍い低音が響いた。
耳では聞こえないような“空気の圧”が、体の内側にじんわりと広がる。
「これ……“声”に反応する扉だな」
ジェイドは顔をしかめながら言った。
「ただの鍵じゃない。“正しい音”を持った者にしか開けられない仕組みだ」
リクが思わず聞く。
「じゃあ、誰かが歌えば開くのか?」
「違う。正確には“その音を歌える者”――
つまり、君のように“調律された声”を持ってる人間じゃなきゃ反応しない」
セリアは静かに歩を進め、門の前に立つ。
「やってみます」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
彼女はそっと息を吸い、歌唱杖を胸元に構える。
「――響け、古の扉よ。
願いと想いに応え、調律の道を今、開いて――」
歌が放たれると同時に、石板が震え、微かな光を放つ。
低く重い音を立てて、石門が左右に開き始めた。
その奥から、青白い光が差し込む。
「開いた……!」
「やっぱり、君の声が鍵だったんだ」
ジェイドが言いながら、慎重に内部を覗き込む。
石造りの通路。
奥に進むにつれ、床の一部には光る筋のような模様が現れ、それがまるで“誘導路”のように続いていた。
しばらく進むと、広間にたどり着く。
その中央には――宙に浮いた、球体の装置があった。
それはセリアが前世、研究者として扱っていた“音響制御ユニット”に酷似していた。
「これは……間違いない。
前の世界で見た、音の波を操作して空間を制御する装置……」
ジェイドも目を見張る。
「おそらくこの遺構は、音――つまり“歌”を使って、
何かを制御するために作られた施設だ」
「魔物の動きも、ここから……?」
「可能性はある。模倣された歌が使われたなら、
ここに残された技術が、今も誰かの手に渡ってるかもしれない」
セリアはそっと装置に手を伸ばした。
その瞬間、球体が反応し、微かな光を放つ。
まるで――彼女を“知っている”かのように。
(これは……)
そのとき、頭の奥で“映像”のような記憶が走った。
――ビルの屋上。
――音を流しながら空気を制御する装置。
――研究室で、試作機を前にうなずく自分。
――その声が世界に与える影響を測定していた、あの日々。
(これは、私の記憶……)
セリアは、前世――音羽 静として生きていた時代の光景を、はっきりと思い出していた。
(この場所は……私に思い出させようとしている)
彼女は静かに、球体の光の前に膝をついた。
かすかに震える空気。
そこには、かつて失われた“真実の音”が、今も残っていた。




