57.歌が裁く調律の名
王都ヴェルナス、アリア神殿中枢部――
厳粛な鐘の音が、静まり返った礼拝堂に響き渡る。
今日は「異端再審問」の判決が下される日。
朝早くから神官たちが集まり、神詠騎士団の要人たちも席に並んでいた。
普段であれば祈りの場として機能するはずのこの空間は、今や信仰そのものを問う“法廷”のような空気に包まれていた。
礼拝堂の最奥、裁定壇の上。
大神官のひとりが、書面を手に立ち上がる。
「本日、当神殿はセリア=ライトフォードに対する異端再審問において、
証言および“力”の検証を基に、判決を言い渡す」
空気が緊張に縛られる中、彼の声だけが礼拝堂に響いた。
「結論より述べる。
当該者の使用した旋律は、確かに“支援”“回復”“浄化”の範囲を逸脱し、
旧教義に照らして判断すれば、“異端”と見なされる構成である」
セリアは壇の中央に立ち、静かにその言葉を受け止めた。
背筋を伸ばし、目はまっすぐに前を見据えている。
震えも迷いもなかったが、それでも胸の奥は僅かに高鳴っていた。
「しかしながら――
その旋律は、現実において“人命の救助”および“魔物の排除”に寄与し、
かつその効果と意図が“破壊”ではなく“保全”と一致していたと認定する。
これをもって“異端”として裁くことは、教義における内的矛盾を助長するものである」
沈黙。
「よって、当該者・セリア=ライトフォードの“異端”認定を解除する。
ただし、従来の神詠士の定義に該当しない例外者として、
本日より“調律詠者”の称号を与える」
低く、長いざわめきが広がった。
“赦し”ではなく、“新たな定義”。
それは従来の信仰枠組みに収まらない者としての“制度上の居場所”を与える処置だった。
セリアは目を伏せた。
(これは、私の“勝ち”じゃない。
ただ、歌を否定せずに“保留された”に過ぎない。
でも……それでも、もう“否定されたまま”ではない)
大神官が文書を閉じながら続ける。
「“調律詠者”とは、支援・回復・攻撃・浄化すべてを統合し、
その旋律によって“共鳴と調和”をもたらす、新たなる歌の担い手である。
今後同様の力を持つ者が現れた場合、本件を先例とし適用する」
形式的な宣言。
だがそれは、確かな“始まり”でもあった。
判決を終えたセリアが壇から降りると、レオンとアイリスがすぐに駆け寄ってきた。
レオンは何も言わなかった。
ただ、そのまっすぐな眼差しが「おかえり」と語っていた。
アイリスは小さく微笑み、言葉をかける。
「“調律詠者”……それが、あなたに与えられた名なのね」
セリアは静かに頷きながら答えた。
「“異端”でも、“神詠士”でもない。
でも――この“調律の名”でなら、私はこの歌と向き合える。
誰かのために、もう一度……堂々と、歌えると思う」
その声には、揺らぎがなかった。
その日の午後、王都中にセリアの裁定は広がっていた。
神官たちの間では動揺と対話が交錯し、
若き訓練生たちの間では、希望と混乱が入り混じるざわめきが渦巻いていた。
中庭の片隅で、リク・ハーシェルは空を見上げる。
(“調律詠者”か……)
その言葉は、彼にとっても新しい世界の扉だった。
セリアの歌は、ただ異端を許したのではない。
“枠を越える力”として、正式に認められたのだ。
そしてそれは、この世界が「変わる可能性」を手にしたことでもあった。
夜、神殿の高塔の上。
セリアは再び譜面帳を手にしていた。
“失われた旋律”。
“書き加えられた歌”。
かつて「異端」として封じられた音は、今や彼女の中で生きている。
「調律詠者……か」
小さく呟いたその声には、自嘲でも迷いでもない。
ただ、自分に課せられた“責任”と“未来”への決意があった。
(私が歌う理由――
それが世界に裁かれるとしても、
この“名前”と“歌”だけは、最後まで守り抜く)




