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56. 歌が裁く告解の朝

深夜の鐘が静かに王都の空に鳴り響いた。

セリアは神殿の控え室に独り残り、灯された燭台の明かりのもと、書きかけの譜面を見つめていた。


(私は、ちゃんと伝えられたのかな……)


神詠騎士団の中枢で、自らの歌を披露した直後の静寂。

反論も、拒絶もなかったが――

それはすなわち、“答えが出せない”という沈黙でもあった。


誰も否定できなかったのは、彼女の歌が確かに“力を持っていた”からだ。

だがそれが「女神アリアの加護」なのか、「異端の力」なのか――

明確に口にした者は、一人としていなかった。


セリアは譜面にペンを走らせながら、前世の記憶を思い出していた。

音波を解析し、波長を調整し、精密なパターンとしてエネルギーを伝達する。

科学としての音は、完全に理屈で制御できるはずだった。


けれどこの世界では、“想い”や“信仰”が重なることで、

ただの音が“歌”になり、力を持つ。


(私は……まだ、科学と信仰のあいだに立ってる)


その思考を断ち切ったのは、ノックの音だった。


「失礼します。入ってもよろしいでしょうか」


控えめな声――

扉を開けて入ってきたのは、アイリスだった。


彼女の表情には、かつての厳格な硬さはなかった。

むしろ、その目には“何かを決めきれない迷い”が映っていた。


「……眠れなかったの」


「私も、です」


二人は言葉少なに微笑み、向かい合って腰を下ろした。


沈黙の中、アイリスが口を開く。


「今日、あなたの歌を聞いたとき、

私は……あの旋律が、どこまでも“優しかった”ことに驚いたの」


「優しさ……」


「そう。“裁く”ための音じゃなくて、“赦す”ための音だった。

それなのに、なぜ私たちはあの歌を“異端”と呼ぼうとするんだろうね」


セリアはしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと口を開いた。


「私も、ずっと考えてました。

どうして“救いたい”って気持ちが、こんなにも“間違い”にされてしまうのかって。

でもたぶん、それって……“信じてきたもの”が崩れることを、人はとても怖がるから、なんですよね」


アイリスは目を伏せ、小さく頷いた。


「私は、神詠士として生きてきた。

ずっと、歌は“加護”であり、“救い”であるべきだと思ってた。

でも、あなたの歌を聞いて……“それだけじゃ足りなかった”ことに気づいたの」


「……足りなかった?」


「人は傷ついた時、回復だけじゃ立ち上がれない。

ときには“戦う力”がなければ、自分すら守れない。

あなたの歌は……そんな力を持ってた」


セリアは静かにアイリスを見つめた。


「だからこそ、私は問いたかったんです。

“信仰”が本当に人を守るものなら、

なぜ“攻撃の歌”が、ずっと封じられてきたのかって」


アイリスはゆっくりと目を閉じた。


「……私は、あなたに謝らなければならないのかもしれない。

かつて、異端だと断じた自分を、今は恥じている。

あなたが“本当に守ろうとしたもの”を、私は見ようとしなかった」


セリアは首を振った。


「私も、誰かに認めてほしかった。

だから、余計に焦って、傷つけたこともあったと思う」


沈黙が落ちる。

けれどそれは、対立のための沈黙ではなく、

“許し”のための静けさだった。



夜明け前、薄明の空の下。


レオンは騎士団の訓練場で剣を振っていた。

静寂の中で、その動きは一つ一つが鋭く、研ぎ澄まされていた。

だが、その目には迷いがあった。


(もし、セリアが……)


彼女の歌が、信仰の範囲を超えるものであると認められれば、

神詠騎士団の教義そのものが揺らぐ。

それはレオンにとって、“己の信じてきたすべて”が問われる瞬間だった。


(でも、彼女の歌に……嘘はなかった)


レオンは剣を収め、夜明けの空を見上げた。


「どんな裁きが下されても、俺は……

もう、“信じるもの”を他人に決めさせたりはしない」



そして、朝が来る。


王都を包む空は、わずかに霞がかかっていた。

まるで、長い夜の余韻がまだ空気に残っているかのように。


セリアは正装に着替え、静かに神殿へ向かった。


今日は、“告解の朝”――

自らの歌が“何であったのか”を、裁定者ではなく、“世界”に示す時。

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