55.歌が裁く異端の証明
王都ヴェルナス中心部、アリア神殿の主礼堂――
その広大な石造りの空間は、今日だけは儀式ではなく「裁き」のために使われていた。
天蓋から差し込む光は穏やかで、
本来であれば“祝福の象徴”として降り注ぐはずのそれも、
今日に限っては、冷たい審判の光のように思える。
神殿の最奥、裁定の円壇。
その中央に、セリアはひとり立っていた。
その背には誰もいない。
味方を連れて立ち入ることすら認められていない、孤独な立場。
そして円壇を囲むのは、神詠騎士団上層部、大神官会議の面々――
中にはグラン・エスパーダ団長の姿もある。
(……これが、異端再審問の場)
彼女は肩の奥に力が入りすぎていることに気づき、そっと深く呼吸をする。
それはかつて前世で、学会の壇上に立ったときの感覚とよく似ていた。
敵意に晒され、緊張の視線に囲まれ、それでも“語らなければならないこと”がある――あの時のように。
壇の中央、神官のひとりが高らかに宣言した。
「セリア=ライトフォード、かつて神詠騎士団に所属し、祈りの歌を用いた支援活動に従事。
だがその後、教義に反する構成を用い、攻撃的構造を含む歌を展開――
その存在と歌は“異端”として分類され、討伐令が一時発令された」
彼女はただ黙って聞いていた。
反論するタイミングではない――それは分かっていた。
これは“宣告”ではなく“構成”だ。
今から彼らが何を“問うか”が、真の争点になる。
続いて、別の神官が口を開く。
「本日、本会議により当該者の歌の再検証および意図の確認を行い、
異端としての再分類、もしくは例外的認可を審議するものとする」
騎士団の中には、セリアの帰還を支持する者もいれば、
未だに彼女を“破壊の象徴”と見る者もいる。
だが、ここでの議論は、それらを超えた“信仰の定義”にまで踏み込もうとしていた。
神官が問いを放つ。
「問う。
汝が用いた旋律は、祈りか、術か。
癒しか、破壊か。
いずれにも属さぬならば、それは“信仰”と呼べるか?」
セリアは静かに口を開く。
「それは、祈りでした。
けれども“破壊”という結果を伴いました。
ですが、その歌が導いたのは“救い”です」
「では問う。
信仰が導いた結果が“破壊”であるならば、それは歪みではないのか?」
「逆です」
彼女は一歩、壇の中央に踏み出す。
「“破壊”を目的としたのではなく、“守るため”にそうなった。
もし、“誰かの命”と“教義”がぶつかるなら――
私は命を選びます。
それが、私にとっての信仰です」
騒然とする壇上。
だが、セリアの声は曇らなかった。
グラン・エスパーダが、ようやく口を開いた。
「ではセリア=ライトフォード。
汝は“アリアの御業”として定められた回復・支援・浄化の範囲外にある力――
すなわち“攻撃の歌”を、その信仰心によって発動したと認めるか?」
彼の問いは、ただの確認ではなかった。
“信仰に由来しない力”であるとセリアが言えば、それは“神の力”を否定する異端となる。
逆に、“信仰による発動”だと認めれば、それは“教義に反した神の加護”となり、神官制度の根幹を揺るがす。
つまり――どちらを選んでも、火の中を歩く選択肢しかなかった。
それでもセリアは、ゆっくりと答える。
「私は……信じました。
この声が、誰かを守る力になると。
信じていたのは“神”ではなく、“救いたいという願い”そのものです。
それを“信仰”と呼ぶなら、私の力は信仰によって成り立っている。
でもそれは、誰かが定めた教義の範囲の中に収まるものじゃない」
その言葉に、いくつもの神官が動揺を見せた。
だが、黙り込んだままの者もいた。
目を閉じ、何かを考える者もいた。
沈黙の中、グランが言った。
「ならば、“証明”せよ。
汝の歌が、信仰による加護であると、ここで示せ」
セリアは、一瞬だけ目を閉じた。
これは、用意された罠だ。
歌が“規格外”であればあるほど、それは“信仰”とは異なると結論づけられる。
だが、もしここで歌を拒否すれば、“隠している”と見なされる。
(でも……今まで、全部歌で乗り越えてきた。
なら、最後まで歌で応える)
セリアは杖を手に取り、構えた。
「聴いてください。
これは、“誰かを守りたい”と願う一人の歌です」
深く息を吸い、セリアは歌い始めた。
旋律は静かだった。
攻撃のエネルギーも、回復の祈りも、単体では感じられない。
だが、ゆるやかに“波”が生まれる。
空気が震え、空間が共鳴し、音の層が重なりあう。
傷ついた者を癒し、力尽きた者に気力を戻し、
そして、すべての魂に静かな“灯”を灯す――
それは、分類不能な歌。
祈りであり、術であり、祝福であり、警鐘でもある旋律。
歌い終わったとき、誰も声を上げなかった。
誰も、否定できなかった。
「……証明は、終わりました」
セリアはそう告げ、杖を収めた。
会議は、そのまま一時休廷となった。
判決は明日、大神殿にて発表される。
その日の夜、セリアは神殿の一室にひとり残り、
静かに目を閉じていた。
(歌が裁かれるのではない。
この世界の“信仰”そのものが、いま……試されている)




