49.歌が裁く選択の門
森を抜け、王都を遠くに望む丘にたどり着いたとき、セリアは足を止めた。
視界の先には、青灰色の城壁が広がり、朝霧の中でゆっくりとその輪郭を現していた。
高い壁と尖塔の影――
かつて「帰る場所」だと思っていたその都を、いま、彼女はまるで異国のように見つめていた。
(私は……本当にここに、戻っていいの?)
隣に立つレオンは、そんな彼女の迷いを察しながらも何も言わなかった。
ただ、じっと静かにその横顔を見守っていた。
少し前、出発の準備を整えた森の拠点にて。
セリアは荷物をまとめながらも、手が止まっていた。
アイリスが後ろから声をかける。
「不安?」
「……うん。あの歌が届いたって分かった時は、何かが動いた気がした。
でも、その“動いたもの”を自分の手で壊してしまうんじゃないかって……怖い」
「それは、誰かの心が揺らいだからこそ、よ。
揺らぎがある場所に、選択が生まれる。
あなたはその“選択肢”の一つになっただけ」
「でも、“異端”って言われる側であることに、変わりはないんでしょ?」
「“異端”の定義は、時代と力の都合でいくらでも書き換えられる。
問題は、“あなたが何を望むか”じゃない?」
セリアはしばらく沈黙し、やがて小さく答えた。
「……私は、自分の歌が嘘じゃなかったって、証明したい。
信仰に従うことが正しさの証じゃなくて、信じて選び取ったその意志が、信仰であってほしい」
リナが木陰から顔を出す。
「王都の中にも、あなたの歌に揺れた人はいる。
私たち響律の徒も動くわ。
“真の歌”がどこにあるのか、世界全体が問い始めてる。
その中心にいるのがあなたよ、セリア」
彼女はゆっくり頷いた。
そして、火を消し、歌唱杖を手に再び立ち上がった。
王都では、神詠騎士団の中枢で、再び討伐部隊の編成が進められていた。
団長グラン・エスパーダのもとに集まった高位神官たちが、次々と命令を確認していく。
「命令通達:セリア=ライトフォード。再異端認定。接近次第、拘束。拒否した場合は処罰対象」
「彼女を支援した者も同様。副団長アークライト、歌詠士隊長フォーンの行動は監視下に」
グランの声は静かで、感情の起伏はなかった。
だがその中に、“動揺”への警戒がにじんでいた。
(セリアの歌が、これ以上広まる前に断ち切る――それが秩序のため)
一方、団内では別の“会話”が交わされていた。
訓練場の裏手、人気のない場所に集まった数人の若手騎士たち。
「セリアを討つ……本当にそれが正しいのか?」
「上は“信仰を守るため”って言うけど、あの歌を聞いたら……それだけじゃ説明がつかない」
「リクもそう言ってた。『正しさは、決められたものじゃなく、自分で選ぶものだ』って」
「だけど逆らえば異端だろ? 自分の家族も、立場も危うくなる」
「それでも……俺は、“声”を無視できない」
このような小さな会話が、王都のあちこちに生まれていた。
沈黙を選ぶか、声を出すか――人々はまさに“選択の門”の前に立たされていた。
セリアたちはついに、王都の城門前に立った。
詰め所の兵たちは明らかに動揺していた。
目の前にいるのが“討伐対象”であるはずの少女なのだから。
だが、彼らは剣を抜かなかった。
レオンが前に出て、短く告げる。
「セリア=ライトフォード。神詠騎士団副団長アークライトの責任下で、一時拘束ではなく、“確認”のため王都に戻る」
「……え?」と一人の兵が目を見開いた。
「それって命令違反では……」
「なら、俺がこの場で“命令の矛盾”を明文化する。
この剣は信仰のためじゃない、“守るため”の剣だ」
静まり返る空気の中、セリアがゆっくり歩み出る。
(私がこの門をくぐることに意味がある。
これは帰還じゃない、“対峙”――
私自身が、“選ぶ”という行為の象徴)
城門の鉄扉が、ゆっくりと開いた。




