46.歌が裁く帰還の歌声
風が静かに吹き抜ける森の中。
焚き火の残り香がまだ漂う夜明け前、セリアは石盤の前に座っていた。
それは、かつて遺跡で見つけた“共鳴石盤”。
古代の装置であり、音波を増幅・変調し、広域に伝達するために用いられていたもの――と、リナは言った。
「この装置、遺跡の奥で私が確保したものよ。構造は単純だけど、魔力じゃなく“音”で動くの。音波の波長を増幅するタイプ」
「まるで……前世で私が扱ってた音響装置みたい」
セリアは目を細めながら、かすかな振動を感じ取っていた。
「でも、本当に王都まで届くの?」
「理論上は可能。風の流れと共鳴帯の範囲を合わせれば、今の気候なら十分狙える。問題は、どんな“歌”を送るか――それだけ」
セリアは黙って頷き、ノートを開いた。
そこには、何度も書き直された歌詞のメモ。
この数日で、彼女は“歌の意味”を考え直した。
祈りではなく、命令でもなく。
誰かに押しつけるのでも、救いを約束するものでもない。
「……私、ずっと“何のために歌うのか”が分からなかった。
でも、あの戦いで気づいたの。“誰かにどう思われたい”じゃなく、“自分が何を伝えたいか”が大事なんだって」
リナはそっと頷いた。
「あなたの歌が“調和”をもたらすものなら……この世界に必要な音になる。きっと」
セリアはゆっくりと立ち上がり、深く息を吸う。
夜明け前の空に向かって、静かに歌唱杖を構えた。
「――風よ、運べ。まだ見ぬ誰かへ。
癒しと裁きの狭間に立つ、この世界に――揺らがぬ想いを、届けて」
杖の先が光を帯び、共鳴石盤が振動する。
広がった波動は空気の流れと共に、王都の方向へと放たれていく。
それは、祈りでも呪詛でもない――“問いかけ”だった。
この世界が本当に信じるべきものは、何なのか。
王都ヴェルナス、神詠騎士団本部。
まだ日も昇らぬ早朝、静まり返った空気に、ひとつの旋律が響いた。
最初に気づいたのは、巡回中の若い団員だった。
「……ん? 歌……?」
それは風に乗って、都市全体をやさしく包み込むように流れた。
アイリスはその瞬間、聖堂での祈りを中断した。
「また来た……セリアの歌」
だが、前回とは何かが違っていた。
調和があり、確かな“意志”がある。
癒しの波動と、芯に通った強さが共存していた。
レオンは窓を開け放ち、風を感じた。
「……これが、彼女の“帰還の歌”か」
王都のあちこちで、同じように人々が足を止め、耳を澄ます。
ある者は震え、ある者は涙し、ある者は顔をしかめる。
だが、誰一人として――無反応な者はいなかった。
「これが異端の歌だというなら、信仰は何を裁く?」
レオンは訓練場に剣を立てたまま、呟く。
「誰かを救いたいと思って歌った声が、裁かれるべきだというのか?」
騎士団内では再び動揺が走っていた。
前回よりも明確に広がる波動。
明らかに“計算された構造”を持つ旋律。
神官のひとりが、慌てて駆け込む。
「副団長! この歌は神殿の結界に影響を……しかし安定化方向です! これは神の力と同調しているとしか……」
「神の力と同調……?」
アイリスは深く息を吐いた。
「神の力って、誰が定義したの……?」
彼女の胸中にあった信仰の礎が、音もなく崩れていく。
そして、神殿上層部から下された命令は――“再討伐”。
「歌が強まっている。今のうちに拘束せねば、信仰が崩れる」
その通達を見つめながら、レオンは書簡を破り捨てた。
「彼女は帰ってきた。もう逃げていない。それなのに……追い詰めるのか」
アイリスもまた、静かに呟いた。
「だったら私たちが行くわ。彼女を討つためじゃない――彼女の“歌”を、真実として聞くために」
その頃、セリアは共鳴の余韻に身を預けていた。
「……ちゃんと、届いたかな」
リナがそっと言う。
「届いたわ。あの歌は、“誰か”に刺さる音だった。私にも、きっと」




