45.歌が裁く信仰の矛盾
王都ヴェルナス。
かつて、歌詠士の聖なる祈りが絶え間なく響いていた神詠の都は、いま静かに揺れていた。
セリアが姿を消してから数日。
王都に届いたあの不可思議な歌――支援とも癒しとも攻撃ともつかない、だが心を震わせる力を持った歌は、
神詠騎士団の中でも分裂を生みつつあった。
アイリス・フォーンは、神殿内の封印の間にいた。
古文書の写しを机に広げ、繰り返すように一つの節を読み返していた。
「“癒しの声と共に在りし者、破壊の旋律を知ってはならぬ”……」
信仰とは何か。
それは“守るべき規範”であり、“許されざる真実”を封じるものでもある。
だが、セリアの歌は、あの旋律は――それを打ち砕いた。
破壊の波動を帯びながら、癒しの光を同時に宿していたのだ。
(支援の歌には、敵を弱める力がある。浄化の歌には、異質な存在を排除する力がある。
では……攻撃の歌が癒しと共鳴することは、本当に“ありえない”ことなの?)
声が震える。
自分が支えてきた信仰が、薄いガラスのように音を立てて軋む。
その頃、レオン・アークライトもまた騎士団本部で一人剣を振っていた。
風の唸りのような素振りが、静寂を裂いていく。
部屋の隅には、セリアの報告書の写し。
“攻撃的な歌の使用”、“異端者との接触”、“消息不明”――それだけが記されている。
(誰よりも人を助けたいと願っていた彼女が、なぜ“異端”と呼ばれなきゃならない)
(俺たちは何を守り、何に従っている?)
耳を澄ませば、団内の会話が聞こえてくる。
「例の歌……あれは神の導きじゃない。むしろ、神を否定する音だ」
「だが、心が揺れた。聞いたとき、涙が出たんだ。あんな歌を、俺は知らない」
「だからこそ危険だ。信仰を揺らがせる歌は、異端そのものだろう?」
レオンは剣を納め、静かに息を吐く。
(彼女の歌が“信仰”を否定しているのなら、それは“間違った信仰”だっただけの話だ)
そして、森の中。
セリアは焚き火の前で静かにノートを開いていた。
そこには、前世の記憶の断片と、実験のメモが並ぶ。
「ナノ反応……ナノ共鳴……」
「リナは、“説明しても理解できない”って言ったけど……私は、知ってる。
ナノレベルの共振反応で、音波がエネルギーを変換する理論……それ、私の研究していたものと、ほとんど同じじゃない」
(この世界の“魔法”って、実は魔法なんかじゃないのかもしれない。
もし“神の力”と呼ばれていたものが、実際には――)
セリアの思考はそこで止まる。
答えを出すには、まだ材料が足りない。
けれど、確かに一歩――自分が立つべき地面が、変わり始めている。
その夜。
神殿上層部から、セリアの正式な“異端認定”と“捕縛命令”が通達された。
理由は「神に背く力を用いた疑い」「教義に反する歌の発信」。
それを受け取ったレオンは、書簡を握り潰すように言った。
「ふざけるな。神に背いた? だったら――あの歌を、聞いたあんたたちも同じじゃないか」
アイリスもまた、封印の間で書簡を握りしめながら呟く。
「こんなに早く、“封じたはずの歴史”が戻ってくるなんて……」
彼女の目は、かつてないほど冷たく、そして強い光を宿していた。




