44.歌が裁く守りの旋律
遺跡の最深部へと続く階段は、まるで地下へ沈む迷宮のように深く続いていた。
セリア、カイル、そして響律の徒の一員リナは、慎重に足を進めていた。
周囲は古びた石壁に囲まれ、空気はひんやりと湿っている。
カイルが灯火を掲げ、前を行く。
「ここから先は、かつての研究区画と記されていた部分だ。記録によれば、歌の力を再構築するための実験が行われていたらしい」
セリアは無言で頷きながら、心を静めるように呼吸を整えていた。
(私は……まだ力を使うのが怖い。でも、それを越えないと、歌の本当の意味にたどり着けない)
階段を抜けた先は、吹き抜けになったドーム状の広間だった。
中央には小さな祭壇があり、その上には壊れた歌唱杖の残骸が安置されている。
壁には詩文と、波形のような図が刻まれていた。
リナがその前に立ち、静かに呟く。
「“祈りは重ね、調和は織りなされる。破壊と癒しの交わるところ、真の旋律が生まれる”……」
セリアはその詩文を聞き、自然と口元に言葉が浮かぶ。
「破壊と癒し……交わるところ?」
カイルが補足するように言う。
「つまりこれは、攻撃と支援の力が同時に発動する、あるいは重なり合う状態を示している。言い換えれば、“歌の二重奏”だ」
セリアの眉がぴくりと動く。
「それって……一つの歌で、回復と攻撃を同時に行うってこと?」
「単純にそういうわけではない。だが、波長と歌詞、リズムの組み合わせ次第では、相反する力を一つの旋律に融合させられる」
リナが頷く。
「私たち“響律の徒”でも、そこに到達した者はほとんどいません。ですが、セリアさん……あなたなら、可能性がある」
そのとき、空間の奥から低いうなり声が響いた。
壁の影から、魔物が姿を現す。
それは黒い霧をまとい、体の一部が金属のように変質した異形だった。
「……ナノ反応種。遺跡に残っていた個体か……」
「ナノ……反応?」
セリアは思わず口にした。
リナは構えながら答える。
「この遺跡に眠っている“暴走個体”の一部よ。歌に反応して、内部の共鳴が暴走するの」
「……ちょっと待って。“ナノ”って……」
セリアは目の奥がチクリと痛んだような感覚を覚える。
(ナノ……ナノ反応……ナノ共鳴……)
(私の前世、“音羽 静”として研究していた領域に、確かにあった。ナノテクノロジー……超微細粒子が音波で活性化する理論)
(まさか……この“魔法”って、ナノレベルの共鳴現象で?)
頭の奥に、かすかな記憶の残滓と、理論式が浮かんでは消える。
「セリア、下がれ!」
カイルの声で我に返る。
考えを振り払うように歌唱杖を構える。
今は歌うしかない。
「恐れるな、セリア。今こそ、お前の“調和の旋律”を試すときだ」
「でも、もしまた――暴走したら……」
カイルは振り返り、静かに言った。
「あの時は、気持ちだけで歌っていた。今は違う。お前は“どう歌うか”を考えている。制御する力を、もう手にしてる」
セリアは目を閉じ、心を沈める。
(私は、守りたい。仲間も、この歌も、そして――自分自身も)
一歩前へ出て、歌を紡ぐ。
「――光よ、揺るぎなき調和となりて、癒しと裁きを重ねよ!」
その旋律は、炎のように鋭く、それでいて春の陽だまりのように柔らかかった。
放たれた歌の波動は、魔物の動きを鈍らせながら、その足元に回復の光を同時に走らせる。
しかし、それは攻撃力を弱めるのではなく、魔物の内部に潜んでいた暴走の源――“共鳴”を静め、崩壊させた。
「っ……! 中から崩れていく……」
魔物はもがきながら、苦しげなうなり声を残して崩れ落ちた。
セリアは膝をつき、息を整えながら、歌唱杖を抱きしめた。
(歌が力になる理屈。もしかして、私……少しだけ近づけたのかもしれない)
リナが歩み寄り、目を見開いたまま言った。
「すごい……あなた、本当に、攻撃と癒しの共鳴を……」
カイルも呆れたように笑いながら言った。
「まさか、ここまで早く到達するとはな。やっぱりお前、普通じゃない」
セリアは小さく微笑んで答えた。
「私、ようやく分かってきた気がする。歌は、誰かを傷つけるためのものじゃない。誰かを“救うため”に、調和するものなんだ」