95.お腹が空いても挨拶が先
美味しい料理が並んでいるのに、先にご挨拶がある。恨めしい気持ちになるが、切り替えるのが王族よ。大丈夫、私は出来るわ。食べたい気持ちと美味しそうな匂いに、ごくりと喉が鳴ってしまうけれど……お腹の虫は我慢していた。
「あの辺だけ挨拶したら、食べに行こう」
年下なのに、シリル様が大人すぎる。頑張ったら食べられる、と私を宥めながら歩き出した。微笑んで隣に立ち、挨拶をしたら会釈を返す。手順を確認しながら近づいて、他国の王侯貴族と表面だけの挨拶を交わす。視界の端で、お父様も他国の王族と挨拶していた。
大したことないようだけれど、意外と外交で役立つのよ。あとで外交担当と話す際に、王族を知っているかどうかは重要らしい。笑顔を仮面のように貼り付け、穏やかに会釈を繰り返した。つま先が痛いかも……ふと気になったタイミングで、シリル様が話を切り上げる。
「では、また後日」
「ええ、よい時間でした」
どこぞの国の王子夫妻に一礼し、シリル様は壁際へ移動した。そこで飲み物を受け取る。お酒だったので、近くの侍従に返した。代わりにジュースが手渡される。
「私はお酒でも……」
「ダメ、絶対に飲まないで!」
シリル様が言い切り、付き添う護衛のアーサーも首を横に振った。素直にジュースを受け取る。水に潰した果実を溶かしたジュースは、上のほうだけを上品に頂くらしい。沈んだ果肉がもったいないな、と残念に思った。スプーンがあれば食べられるのに。
「食べ物は別に持ってくるけれど、その前に失礼」
壁際に並ぶ椅子は、休憩用よ。そこへ腰を下ろす私の前に膝をついて、左足の靴を脱がせた。小指が当たって、赤くなっている。左足を、当然のようにご自分の膝に置いた。引っ込めようとするも、足首を掴まれてしまう。
「まだ平気ですわ。歩けますもの」
一番ひどくなると皮が剥けて血が出るけれど、全然平気。そう口にしたら、シリル様は渋い顔になった。
「靴は後日直させるとして……今日は応急処置だね」
左足の靴をアーサーが指で広げる。中に拳を入れて、じわりと力を掛けた。何回か繰り返した後、返される。シリル様の膝に置いた足に、靴が履かされた。
「どう? 当たる?」
首を傾げて、左足をついて立ち上がる。全然痛くないし、靴が大きくなってる! こんな直し方初めて知ったわ。喜んでお礼を言えば、二人とも笑って頷いた。
立ち上がったシリル様と腕を組み、途中で侍従から受け取った濡れた布で手を拭う。汚れを落とすために、定期的に回ってくるのよ。飲み物のサーブと同じね。
「あれが食べたいわ」
私が見つけたのは、色とりどりの鮮やかなピンズ! 小さなピンが食べ物を刺して、小さな塔のように立っている。オレンジの魚に緑の果実、隣はピンクのハムに緑の葉が綺麗だわ。白いのはチーズかしら?
期待に胸を弾ませるも、先にお腹の虫が鳴いた。
「マリーのお腹の虫を黙らせようか、これをどうぞ」
ラーラは侍女で付き添えないので、代わりにアーサーが取りに行ってくれた。辺境伯閣下だったのに、使用人みたいな仕事でごめんなさいね。でもお料理はとても美味しくて、鶏肉や鹿肉も一口ずつ頂いた。このドレスを用意してもらってよかったわ。安心して食べられるもの。