60.国によって異なる文化
ディーお義姉様の扇は、合図だったの。アーサーがこっそり教えてくれた。まだ帰らなくていい、と。
「扇にそんな意味があったなんて」
「振り方で数種類を伝えますが、他国の方がいるときだけですな」
それ以外の時は、直接口頭で伝えればいい。他国の人に気づかれぬよう、自国の貴族にだけ伝えるのね。この国に嫁いだのだし、私も覚えなくてはいけないわ。公爵夫人として、知らずに行動したらシリル様に恥をかかせてしまうもの。
「義姉上に教わるといいよ。丁寧に教えてくれると思うし」
専門の教師もいるけれど、シリル様は嫌だと言った。他国の王女だった私相手に上から説明する姿は、不敬に当たるんですって。我が国では教育の際は、そういった不敬は適用されない。わりと新しいソールズベリー王国は、ルールもあれこれ違っていた。
覚えた内容は、後で日記帳に記しておきましょう。一応持ってきたけれど、書いても数日で面倒になっちゃうの。だから白紙を入れてやり直す。また止まって、の繰り返しだった。最近は覚え書きとして使っているわ。
「落ち着いたかい? アンネマリー」
「はい、お兄様」
公式では「アンネマリー」と呼称する。私的な場では「マリー」だけ。今はアーサーやダレルがいるから? お兄様と話していた他国の男性は、他の人と会話していた。どうやら一段落したみたい。
「お兄様、先ほどはありがとうございました」
「家族として当然だ。夫であるアル殿が、きちんと守ってくれるようで安心したよ」
髪飾りを避けて、するりと髪に触れる。でもすぐに離れた。シリル様が睨んでいるわ。ふふっと笑って手を伸ばし、彼の指先を掴む。表情が柔らかくなって、機嫌が直ったみたい。
「それにしても……あれは酷かったな。外交や礼儀作法以前に、躾がされていない」
お兄様の辛辣な言葉に、誰も反論しなかった。だって事実なんですもの。
そこへ、静かな音楽が再開する。耳に優しい曲から始まり、人々のざわめきが戻ってきた。
「義姉上の扇を見てご覧。あの大きな振り方は、普段通りでいいと伝えている」
先ほどの振り方と全然違う。さっきのは現状維持で、今度は今まで通りに戻ってよし……このくらいなら覚えられるわ。
「兄上達にご挨拶しよう」
「はい。お兄様はまたあとで」
笑顔で見送るお兄様に一礼し、スカートの端を摘まむ。ディーお義姉様が、今回の騒動を詫びた。すぐ動けなかったことね? 皆、過保護なくらい守ってくれる。私がお礼を言うべきだと伝えた。
「ところで、皆を留めた理由は何ですか?」
「決まっているでしょう? マリーのお披露目ですもの。使節団なんておまけよ」
え? サルセド王国の使節団の歓迎会だと思っていましたわ。




