59.知らないのはお気の毒なことね
クリスお義兄様が解散を告げたのに、ディーお義姉様は微笑んで扇を広げた。ひらひらと動かす仕草に意味があるのかしら? 貴族達は心得たように壁際に控え、誰も退場しなかった。使節団は侍従に案内され、深く一礼して出ていく。
「シリル様、ありがとうございました」
庇っていただいたお礼を真っ先に告げる。微笑んだ私に、彼は少しだけ困ったような顔をした。
「僕がマリーを助けるのは、大好きだからだよ。当然のことで、遅すぎたくらいだ」
外交的なことを考えて、わずかに躊躇した。そのことを後悔している口ぶりだった。
「王弟たる立場で、相応のお振舞いは見事です。私より国を重んじるのは、王族として正しい行いでした。私は気にしておりません」
眉尻が下がって、泣きそうなシリル様は、私の手をきゅっと掴んだ。握り返し、笑顔を向けた。私の夫が大人びて頼りになるのに、可愛くて困るわ。
演奏される音楽も止まり、しばらくは無音が続いた。時折り、誰かの出した音が響く程度。見回せば、お兄様は他国の使者との会話に戻っていた。先ほどのお礼を言いたかったけれど、会話を遮ってはいけないわ。
サルセドの王女は、こういった最低限の教養を身につけていなかった。恥をかくだけに留まらず、外交問題に発展させるなんて。どうして外へ出したのかしら。可愛いと甘やかすだけなら、愛玩動物だわ。愛玩される子を外へ出せば、問題を起こすと分かっていたでしょうに。
それとも、理解できないほど可愛がっていたの? サルセド王国について尋ねたいけれど……誰が詳しいかしら?
「いかがなさった? 妃殿下」
「アーサー、サルセド王国について詳しいのは誰? 話を聞いてみたいわ」
「そうですな、ダレルでしょうか。ほら、参りましたぞ」
促されて左側を見れば、歩み寄るダレルがいた。後ろに続くのは、辺境伯を継いだご子息ね。顔や体つきがそっくりだった。
「王弟殿下も妃殿下も、サルセド王国との対峙はお見事でした」
「やり過ごすには無礼すぎたからね」
シリル様はまだ憮然とした様子で、機嫌が悪かった。さっき手を繋いで、回復したと思ったのに。
「対峙する気はなかったのよ」
微笑んで誤魔化す。私からは何も言う気はなかったの。ただ向こうが一方的に食ってかかって、シリル様とお兄様が撃退しちゃったのよ。笑いながら伝えれば、ダレルはやれやれと首を横に振った。
「あの国は自国内である程度完結しておりましてな。輸出入がほぼなく、さほど発展しておりませぬ。ゆえに、世界の広さを知らずに過ごしているのでしょう」
ダレルの説明に、なるほどと頷いた。使節団の方々は文官出身で、他国との接触があるから自国の状況を理解している。でも王族も貴族も殻の中で、己が一番と思い込んで生きてきたのね。
ずっと国内にいたら幸せだったでしょうに……お気の毒ね。




