39.どう呼ぶか迷うわ
着任の挨拶をいただいて、呼び方を決めようと思ったの。だって、辺境伯の地位を息子さんや娘さんに譲ったと聞いたから。
『アーサーじぃじでどうじゃ』
『抜け駆けしよって! おらはダレルと呼び捨てがええど』
二人して癖が強いわね。少し前まで、国境を守る一族の頂点に立っていたのでしょう? こんなに軽くていいのかしら。
『アーサーどん、ダレルどんは?』
「……普通に共通語で話せばいいだろ」
隣で聞いていたシリル様が溜め息を吐いた。それから注意事項を伝える。
「ソベリ語は私室内のみ。外で誰かに聞かれるとまずい。マリーは、ソベリ語が話せない設定だからね」
「もうバレているのではありませんか?」
「いや、あのタイミングで音楽が流れていたから、ほとんどの人は聞こえていないよ」
侍従や侍女からの聞き取りも踏まえた上で、やっぱり話せないことにするみたい。以前に仰っていた、諜報活動をするのかしら。
「諜報活動は任せて!」
「何の話ですかな?」
首を傾げるアーサーに、事情を説明した。共通語なら、護衛は呼び捨てが一般的なの。あとで確認しておかないといけないわね。
「実はね……ソベリ語が話せないフリで、誰かが良からぬ相談をするかもしれないでしょう? その場合に聞いて知らせるのよ」
「王弟妃殿下には無理ですな」
「かなり厳しいと言わざるを得ません」
二人がかりで否定された。ちゃんと聞かなかったフリができるわよ? そう伝えたら、素直すぎると返された。褒められているわけじゃなさそう。
「姫様はご本人が思っておられる以上に、顔に出ております」
「全部語っておられる」
ぷっと噴き出したのは、シリル様だ。お腹を抱えて笑うのは、ちょっと失礼じゃないかしら?
「怒らないで。でも……そうだね、義姉上の話は一回忘れようか」
「それでいいなら構いませんわ!」
ぷんと横を向いて腕を組んだ。しばらく許してあげません。態度で示すと、シリル様が眉尻を下げる。機嫌を取る言動が続き、アーサーやダレルも含めて三人が泣きついてきた。どうしようかしら。
「もういいです。怒っていませんわ」
シリル様が俯いて、あまりに悲しそうなので折れた。澄まし顔のラーラが、後ろでお茶を淹れている。
「皆様、お茶をどうぞ」
王侯貴族はお茶を好む。この部分は両国共通で良かったわ。ソールズベリー王国の方は、お茶に砂糖やジャムを足さないのね。そっとジャムを沈めたら、不思議そうな顔をしたあと……シリル様が真似をする。迷ってから、二人も続いた。
「……甘いね」
「ああ、甘いな」
「これは……甘い」
おかしくなって笑ってしまった。二人とも、これからよろしくお願いしますね。
 




